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「ROMA ローマ」★★★★★ 5.0

◆そして家族になる、圧倒的なモノクロ映像美と完成度の高さで、Net配信と映画館の荒波を乗り越える!

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大傑作としか言いようがない、早くも今年の暫定一位(バーニングと争う)。確かに商業主義とは程遠いこのアート色満載の地味で私的なテーマは、大手配給会社が扱わないのも納得できる。でも、こういった本当に撮りたい映画を自由に撮らせてもらえる環境(お金・人などのリソース)があれば、監督はもちろん、観たい人にとってもNetであろうが関係なく作って公開して欲しいのも事実。ハリウッドから金は出せないと門前払いされた題材を、Netflixで実現させアカデミー賞を含む映画祭で絶賛されるというのも事実・・

今回はNetflix側がアカデミー賞向けに宣伝含めやり過ぎた感もあるが、時代的にも今後はうまく棲み分けしていくはず(事実、ROMAは絶対に映画館でも観たくなる)。お願いですから、日本でも映画館で公開して下さい、こういう映像・音響こそiMAXで観たい!

基本はひとりの家政婦が、仕える白人家族と本当の家族の一員になっていく話。大きな出来事はあまり起きない静かなドキュメンタリーのような作品で、時代の流れに翻弄されながらも強く生きようとする人々の心情を、言葉ではなく映像で鮮烈な感性で描いている大傑作。

「痛いほど美しい」とにかく絵作りが完璧、監督の私的な記憶に寄り添って、詩的に映像を紡ぎ出しているという印象で、どこを切り取っても1枚の写真・絵画として成立するほど美しく無駄のないシーンの連続で、静かな波のような余韻が残る。。

また、全ての構図・カメラワークが完全に計算し尽くされていて、広角レンズを使い、ロングショットの長回しを多用することで、主人公を取り巻く世界を「ただ、ありのままに」自然な装いをもって見事に表現している。

監督曰く全編モノクロ撮影にこだわったのは「過去の記憶や映像に色を付けることで脚色や美化をしたくなかったから」とのこと。また、「映画で描かれる90%は私の記憶に基づいて、およそ3年間の記憶を10ヶ月の物語にまとめたもの」と、いわば半自伝的な物語の思い入れが強い作品。終わりに「リボへ」というクレジットが出てくるが、この人物は監督の幼少期の乳母の名前で、この作品自体が「感謝の手紙」のようなもの。私的ではあるが、移民問題などの社会的メッセージ性も込められている。

過去から一貫したテーマでもある「トゥモロー・ワールド」「ゼロ・グラビティ」と同じく、「死と再生」「新しい命」「父性の不在」も描かれている。ちなみにタイトル「ROMA」は、メキシコのコロニア・ローマという都市のこと、逆さからよむと「AMOR」(愛)ということです。

信じられない政治、裏切りの愛、耐えるべき生活水準、理不尽ながらも生きていくしかない環境の中で、結局救ってくれるのは些細な会話だったり、積み重ねてきた日常でのほんの小さな喜びだったりする。世界は寄せては返す波のように私たちを飲み込んでいき、その流れに身を任せるしかない。ただ、どんなに大きな波に飲み込まれようと、形を変えて残り続けるものがある、それが愛なのだ、さあ、冒険を続けよう!

 

【カメラ・音響】

この作品は「Alexa65」という超高性能カメラで撮影されている。解像度が高く深度が深くパンフォーカスが抜群、画面の奥まで全てのものにはっきりとピントが合う撮影方法は、情報量が多く様々な人の物語を発見できる。画面の隅々にドラマがあり、あらゆるところに普通の人たちの生活が息づいているのが表現されている。

本来白黒の作品は奥行きが出にくく、平面的なイメージになるが、白と黒のコントラストが強く・きめ細やかなグラデーションを映し出し、画面上の構図を巧みに操っている。モノクロならではの極めてミニマムな色彩構成なので、表面的ではない本質的なもの・本当の美が浮き彫りになり、役者の演技や物語により没入出来るように計算されているのだろう。(犬のうんこすら美しい)

今回もキュアロン監督常連のエマニュエル・ルベツキの撮影かと思いきや、監督自らが撮影したらしく、これまたその才能に驚かされる。

周りを舐めるような引きのミドルショット長回しの多用が多く、人物へのズームアップは無く、一定の距離を保ち全景で捉えていて、人物が動くとカメラも水平に移動してドリーで追って行く。それが逆にパースを強調して立体感のある奥行きのある画になっていた。ホームビデオでの記録のようなイメージで、画面が水平に流れるのと共に、ありふれた毎日も、嬉しいことも、悲しいことも、怒りや恐怖も淡々と過ぎていくだけ、第三者的な立場から家族全体を眺めているような感覚になった。テオ・アンゲロプロス小津安二郎に近いものも感じる。しかし、山火事と暴動と波のシーン、どうやって撮影したのだろう。中盤の360°回転パンは息を呑むほど芸術的。

音響もこだわっていて、Dolby Atmosを使用しており、圧倒的な効果を生み出している。作中には音楽はほとんど出てこないが、当時のメキシコをそのまま切り取った環境音のみを使用し、五感に自然に訴えかける。これはNetflixではなく、ぜひ映画館で体感したいところ。

 

【演出】

地味な映画ながら唸らせられる様々な演出が素晴らしい。

オープニングからすでに信じられないレベルで驚かされる。ガレージの床をひたすら映しながら始まるが、水を流した瞬間反射して空が映る、そこにタイミングよく飛行機が飛んで入ってくる。水と光と音を巧みに使いながら、詩的に作品のテーマを最初から表現している。

序盤での死んだふりしている子供に寝そべってクレオも死んだふりするシーン「ねえ、死んでるものいいね」のセリフ、生きることの意味を見出していない彼女の心情を示しているが、これがラストの生きている実感につながっていく。

父の大きな車は裕福な家庭と強い存在を象徴し、何度もゲートを前後する度にサイドミラーが壁に当たりそうになり窮屈そう、これは父の心情を表している。後半は、妻はその車を思いっきり直進してバキバキと音を立てて破損しながら突き進んでくる、そして小さな車に買い替えてようやく自由に簡単に通れるようになる、妻の決意が見られるのだ。車の大きさは家族の問題そのままなのである。

クレオの赤ちゃんに対する演出、病院での地震のあと赤ちゃんがガラスルームで守られてると思いきやすかさず墓地で?の十字架のショットを挿入、飲み屋で女性がぶつかってきて割れてしまったコップをずっと映しているシーンなど、これは後の赤ちゃんをイメージしていたと思われる。

武術の師匠が目をつぶって片足立ちで両手キープするポーズをした時、弟子の誰もできないのに、クレオだけ出来ているのも印象的で、独り立ちの意志の強さ・精神力の強さが表れている。

一方で全編を通して、白人中流社会と下層社会との支配関係、対立が描写されているのも見逃せない。おばあちゃんが看護師に「ミドルネームは?年齢は?」と言われてオロオロと「分からない、雇い主です」と答えるところなど、リアルな無意識の差別を感じさせるところも素晴らしい。

しかし、出てくる大人の男達は信じられないクズばかり。特に彼氏フェルミン、最初の残した飲み物をさりげなく飲むところやフルチンでのブラブラ演武(Netflixはモロ出しOKなのです、このインパクト笑は凄い・・でも武士道をなめるな)でアカン奴なのがバレバレなのに辛い・・

役者は、監督が芝居ではない自然なリアクションを求め、ほぼ素人で固め、台本を一切渡さずシーンごとに役者と話し合って撮影を進めていったという。主役のクレオを演じたヤリャッツァ・アパリシオも、監督の名前も作品も知らなかった演技未経験の幼稚園教諭で、妊娠した姉に代わってオーディションを受けに行ったら主役に抜擢されたらしい。。それが初演技にしてアカデミー主演女優賞にノミネートされたのも凄いとしか言いようがない。。

  

※ここからネタばれ注意

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【(ネタばれ)ラスト・考察】

ラストの海辺のシーンは全てが圧倒的に美しく、本当に何度でも見たい素晴らしさ!

大音量で容赦なく押し寄せる波、溺れる子供、泳げないクレオが海の荒波にぶつかりながらも無我夢中で進み続け子供を救い出す。そして、今までほとんど感情を表に出さず喜怒哀楽を見せなかったクレオが、「本当は子供なんか欲しくなかった」と罪悪感と喪失感を絞り出すように胸中を吐露する。自分の赤ん坊の死、そして死を厭わない救出行動を経て、初めて生きることの意味を見出して解放される。

それを、家族みんなが次々と「クレオ大好き」と言いながら抱きしめる、こんな単純なことが何よりも胸に響く。クレオを慰めるでもなく、会話するでもなく、ただただ自分の愛で包んでいる。弱者ながらも寄り添いながら立ち向かって生きていく尊さ、美しさよ。

この一連の流れは完璧としか言いようがなく、自然と涙が流れて溢れてくる。このポスターにもなっている波打ち際で陽の光を浴びながら皆で寄り添う構図も完璧で、神に祝福された三位一体の絵のようでもあり、新しい家族の誕生とこれからの希望を感じさせる素晴らしいシーン。

冒頭とラストの対比も見事で、床の水に映った空から始まり本当の空を見上げて終わる、洗い流す緩やかな水から最後の海での荒波、飛行機もエンディングでまた意味を反転させて出てくる(時代に流されるか、抵抗するか)。

また、カメラの動きは一貫して右から左へ(過去に戻る)フレーム上を動いて行くが、クライマックスでは例外的に左から右へ(未来へ向かう)動く、そして最後は縦に下から上へ見上げていくように動く。様々な負の感情が洗い流され、抑え込んでいた自分の感情が解放されて過去から未来への変化を見事に表している。

 

小さな水の流れ(日常)から、小さな波(格差・差別、強者の勝手な男性)、大きな波(社会情勢・死産)に飲み込まれながらも、新たな再生(救出)に向けて、海(母/母性の象徴)の中で生まれ変わる。そして、今までの抜け出せない平行線・横移動から最後の最後で縦のカメラ移動で下から上へ上がっていく、そこには自由の象徴である飛行機が真っ青な大空(現実的な幸せ)を飛んで横切る。

誰もが願うであろう、この家族の今後の幸せを!