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「デイアンドナイト」 ★★★★☆ 4.7

◆「善と悪はどこからやってくるのか」、大切な人を守るための正義とは?究極の問いを突き付けられる、とにかく清原果耶は必見!

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内部告発をした父親が自殺に追い込まれ、その真相を探り復讐を果たそうとする青年が、答えのない善悪の深淵に飲み込まれていく。クライムサスペンスと重厚な人間ドラマで、見終わった後に深く考えさせられる見応えのある傑作。

「善と悪」、テーマ的にはこれまで何度も繰り返されてきた題材だが、それは普遍的かつ簡単には定義できない究極の問いだからなのだろう。この作品はあらゆる出来事を二律背反として強調している、昼と夜、光と闇、善と悪、罪と罰、表と裏、嘘と真実、男と女、社会と個人…。SNSなどでの勧善懲悪や白黒をはっきりと区別しようとする風潮に対し、現実での善と悪の狭間で揺れ動く人間の姿を光と闇のコントラストで突き付ける。自分の大切な人、家族の為にその境界を越える心の強さや弱さを見事に表現した作品。

俳優・山田孝之がプロデュース及び脚本に関わったことで話題になっているが本人は一切出てこない、テレ東の「山田孝之のカンヌ映画祭」を観ていたが、そこで言っていた事や作りたい世界観の本気度が十分に感じられた(カンヌも決して夢じゃないかも)。山田孝之という名前からの興味経由でもいいので、ぜひ一人でも多くの人に見て欲しい。

 大企業の不正隠し、真相・証拠探し、裏稼業での犯罪、施設の少女との関係などが絡み合いつながりながら、それぞれの想いや善と悪が浮かび上がってくる展開は非常に濃厚で見応えがあり、134分の長さがあっという間。映像もよく考えられた画面構成とカット割り、題名どおり昼と夜の場面での色彩感は大変美しく、光と影が物語が進むにつれて重なり、曖昧にぼやけていくような感覚にさせられる。

 映像もセリフも全て「善と悪」「光と影」をここまで徹底して対比すると、安っぽくなるところだが、強烈なパワーと熱量でそれを感じさせずに押し切っている。確かに、セリフ含めて心情や映画のテーマの大事なところを言葉で説明し過ぎている感はあるが、作品的に敢えて意志を誇張しているのかもしれない。

 

大手クルマメーカーのリコール隠しの映画は「空飛ぶタイヤ」もあるが、こちらと違って勧善懲悪とはならず、現実の事件のように告発した側は破綻し、隠した大手側は経営を続けている。正義は必ず勝つ・爽快感を第一とした「社会派風」の見やすい話が増えているが(現実がこうだからせめてドラマはスカッと気持ちよく見たい?)、現実には映画ドラマみたいに暴かれたり報道されたりすることは少ない。誰もが強大な企業や組織に立ち向かえる勇気を持ってるわけではない。

「悪」とされる側にも「正義」があり、守るべき従業員や家族がいるはずなのに、一方の視点から見るばかりで、自分の思う正義が全てというような空気も怖い。人それぞれ違う善悪の定義、自分が正義だと思っている事を貫いて誰かを傷つけてしまうこともある。いつ、誰が正しいと決めるのか?誰かに決められるものでいいのか?

「答えを出したいわけではなくて、話がしたいんです」という山田孝之の想いがこの映画にあふれている。奈々が明石に「正しいって何?」と問いかけるシーンがあるが、自分でも考えれば考えるほど分からなくなった。常識的には悪いことだが、感情的には正しいこと、そんなグレーなことは正直たくさんある。誰かを愛する優しい気持ちが強い人こそ、法律が守ってくれない人たちを守るため法律を犯してしまうこともある。

明石が善で三宅が悪、デイが善でナイトが悪と見てしまうが、実際には明石やデイの中にも悪があって、三宅やナイトの中にも善がある。そして最後の対決では、明石と三宅ふたりとも泥にまみれて真っ黒になる。。

結局は、不正隠しの悪が、大多数の従業員や家族を幸せにする社会的な正義として納得させられてしまうのも事実。「正しいとは多数派であることだ」「善と悪では圧倒的に善の方が多いんだよ」のセリフが突き刺さる。

 

【演出】

スピーディな昼と夜、善と悪の連続カットの対比表現が素晴らしい、1つ1つの行動を似たような動きでシチュエーションを変えただけで逆の意味に変換する編集の上手さ(昼は玉ねぎの皮を剥き、夜は札束を数える動きで善と悪を表現)。

秋田の三種町のロケーションは良く見つけたなあと感心、地方ゆえの雄大さと閉塞感もリアルで内容に合う重苦しい雰囲気が漂っていた。バスが田園を走る始まりと終わり、自由に秩序立てて羽ばたく雁の群れ、回り続ける広大な一連の風車など自然との演出も見事。心情を表現する衣装の色彩、光の取り入れ方は幻想的で、昼間でも霞がかったライティングで昼と夜の曖昧な二つの関係性を表している。

バスにカメラが寄っていくオープニングと、バスからカメラが引いていくエンディングで進む方向も逆となっている。帰ってきた男が過去を清算し変化をもたらし、影響を受けた女が未来へ向かって去っていくのも上手い。

特に何度も映る風車が印象的で、それぞれの人生という風車は信念を持って回り続けているが、自然の力に流れを任せるしかない。風が止まり回転が止まる時もあれば、強い風に勢いよく回り出すこともある、自分の力だけでは抗えないのもまた人生なのか。

監督は藤井道人(高校卒業を控えた7人の若者たちを描いた「青の帰り道」も素晴らしかった)、原案・主演は阿部進之介、プロデューサーは山田孝之、3人で作り上げた脚本はセリフまわしを役者陣自らリハーサルしながら4、5年かけて練り上げたとのこと。低予算のインディーズと思えない撮影、美術、編集、音楽のレベルの高さに唸らされた。

 

【役者】

主演・明石役の阿部進之介(総理や巨人選手ではない)は、初主演とは思えない存在感。藤木直人を厳しめに長瀬智也空飛ぶタイヤの主演)をやさぐれさせたような感じ。弱々しく自分に自信のない序盤から、裏稼業の犯罪に慣れて自信を付けていく終盤への別人のように変化していく様がすごい。葛藤、怒りに加え、根幹にある人間の業のような表情が作品の重いテイストにハマっている。

そして何よりも奈々役の清原果耶!大事なのでもう一回、清原果耶!すごい、圧巻、素晴らしい! 「ちはやふる-結び-」や「透明なゆりかご」での存在感も良かったが、今回の役へのハマり度合は完璧。「正しいって何?」「普通って何?」一言一言軽く聞いているのに、凄く重みがある。儚いとも危ういとも言い表せない独特で圧倒的な存在感、あの年頃ならではの繊細な感情で完全なる光と闇の二面性を演じている。特に目力が素晴らしくこれだけ目だけで語ることが出来る子はいない。くだらない学園ラブコメとか安っぽい仕事はさせないで、こういう映画中心で深みのある本格女優さんになって欲しい(アミューズ所属なので厳しいか・・)。ああ、自分も「このロリコン野郎」って言われたい?

エンディング曲「気まぐれ雲」はRADWIMPS野田洋次郎が作詞・作曲・プロデュースしていて、役名の大野奈々として清原果耶本人が歌っている。透明感のある素直な歌声でこの重いテーマの最後にかすかな希望の余韻が感じられる。

あとは久々に見た気がする父親役の渡辺裕之、安定感抜群で裏表のある施設長・北村役の安藤政信、相変わらず本気で憎らしく思える敵・三宅役の田中哲司山中崇のムカつき感も本当に上手い。

 

※ここからネタばれ注意

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【(ネタばれ)ラスト・考察】

ラストの対決・決闘シーンは息をのむ迫力で、殺してしまうのかドキドキしたが、ギリギリで立ち止まった。電話越しに聞こえた奈々の「行ってきます」の声が明石を留まらせたのか?北村と同じ後悔を背負わないように踏みとどまらせてくれたのか?

明石の正義には復讐が含まれていたので、結果的には刑務所で閉じ込められてしまい、支えが必要な奈々や子供達を助けることが出来なくなった。明石逮捕のニュースを見るシーンではゆっくりと画面が360度回転(斬新なカメラワーク)し、明石の母や奈々の絶望の深さが重たいほど伝わってくる。最後の奈々の「大切な人を守れたの?」の一言にこの映画の全てが凝縮されているように感じた。現実を上手く立ち回る上では三宅の「正しいとは多数派であることだ」にも理があって、三宅が娘の卒業式で家族で笑っている姿を見て何とも言えない気持ちになった。

 

ラストのバスに揺られる奈々の凛とした姿、北村の死の原因をどう捉えるかで変わってくる、自殺なのか、足を滑らせたのか、奈々が殺したのか? あの目は希望を見つめる目であって欲しいと願う。ラストカットは映画のモチーフ全て(バス、奈々、夕日、風車、雁)が同一ショットに収まっていて感動的。

この映画は善と悪の境界線を描きたいわけではない、夕日が落ちていく空を「まだ明るい」と捉えるか「もう暗い」と捉えるかは人それぞれ。昼と夜があるように人それぞれにも善と悪は存在していて、それは今の立場や幸せにしたい相手によって変わっていき、他人からは簡単には見えない。

「善と悪はどこからくるのか?」その答えは人によって違うから生きやすくもあり、生きにくくもある。今の自分としては「善と悪は自分の中からやってくる」と答える・・善悪を法律だけに委ねられる時代では無いからこそ、あらゆる側面から考え抜き、自分の中に信じられるものを形作り、生きていかねばならない。。