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「第三世代」 ★★★★ 4.0

ファスビンダーの難解なセリフと映像と音の洪水に溺れていく、「真実は嘘の姿で現れる」ことを見抜けるか?

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16年で44本の映画を量産した夭逝のドイツの鬼才、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督作品、早稲田松竹で「13回の新月のある年に」との問題作2本立てで鑑賞。DVD・レンタルも無く見る機会を逃していたので、ようやく見られて良かった(絶対に何度も繰り返し見る必要ある監督なので早くDVD化して欲しい、TUTAYAの発掘良品をお待ちしてます)。

ファスビンダー、最も難解かつ自由な作品」と言われるだけあり、ゴダールばりに難解かつ哲学的、形而上的な台詞が飛び交うアングラ映画。難解だけれどスタイリッシュで格好良くて、今観ても古さは感じないが、ドイツ語の膨大な情報量と終始流れる雑音に耐えられるかどうか?体調の良い時に見ることをおススメします。

おおまかには「第三世代」のメンバーたちが複雑に繋がって絡み合いながらテロを起こそうとする話。テーマとしてはよく出てくる「意志と表象としての世界」という言葉になるかと思うが、歴史背景やショーペンハウアーを知らないので、会話のやりとりを理解するのは困難だった。

会話をしている後ろでは、ひたすらテレビやラジオなどのメディアが流れていて、人々はそれとは無関係に喋りまくる(一般世間には無関心を表している?)。更に騒音やノイズなどの不響和音が重なってきて不安感や緊張感を醸し出し、目まいすらしてくる。人物描写も少なく、次々と画面に登場してくる人数が多いわりに人物描写も少ないので、人物を全然覚えられない。これらの影響もあり全体的についていけず、中盤少しウトウトして意識が飛んでしまった。

 

1979年の西ドイツが舞台なので、タイトルの第三世代とはドイツ赤軍第三世代のこと。夢と大義の第一世代、過激化する第二世代(バーダー・マインホフ世代)、そしてテロ行為を自己実現化し資本主義に取り込まれる第三世代。グァダニーノ版「サスペリア」は、バーダー・マインホフ含め時代背景や章立てなど今作の影響を受けているはず。

この第三世代は、戦後訪れた戦争も闘争も知らない平穏な世界の中で、漠然とした焦燥に駆られた世代で、ある者はアーチストとして、ある者は革命家として政治活動に参加することが生きている実感に繋がっていたのかもしれない。若者の多くは難しい言葉で政治思想を語ることにステイタスを感じていたのではないか。彼らのあいまいな政治活動は思想と行動のバランスが崩れ、最後はただの快楽テロ集団となってしまった。

結局そういった若者は権力者にいいように踊らされて利用されてしまうのだが、この薄っぺらさは現代にも通じるのでは。。あるべき信念を失い手段が目的と化し、何となくみんなで一緒に楽しく騒ぎたい、単なる愉快犯となったテロリストたち。。

渋谷の交差点でハロウインなどイベントの度に繰り広げられる狂騒と何ら変わりないのでは・・(SEALDsは果たしてどうなのか?)

 

【演出】

とにかく最初と最後にやられる。オープニングは、鼓動のようなビートとともにキャストやスタッフの文字が点滅する。このクレジットを最初に流しているので、エンディングはいきなりぶった切られて暗転、めちゃくちゃカッコ良かった。

構図の豊かさは変態的で、ファスビンダーらしいギラギラしてごちゃごちゃした画面がカオスを作り出す。各章ごとにリアルな「便所の落書き」を章タイトルとして挿入するアイデアもさすが。

惑星ソラリス」の話の中での表現が心に響いた、「映画は1秒間に25回嘘をつく。そして真実は嘘の姿で現れる。だから映画はユートピア」(ヨーロッパではテレビ放映を前提として1秒25コマで映画が撮影されたりするらしい)。

笑えるところもいくつかあり、中でも笑ったのは家宅捜索のシーン、「帽子も逮捕するんですか?」、また途中で突然「やき」という日本食料理屋が出てきて、大関の酒樽とともに「大曜日休業致します。」という張り紙にも笑えた。

 

※ここからネタばれ注意 

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【(ネタばれ)ラスト・考察】

冒頭に長回しで示されるロベール・ブレッソンの「たぶん悪魔が」が既にラストを暗示していた。

企業トップや警察とテロリストが繋がっていて、若者たちはいいように利用されただけだった、仮装して襲撃に向かい次々とあっけないくらい死んでいく、この少し乾いた感じはアメリカンニューシネマをも思わせた。

全員が狂ってテロリスト化していく中、一人だけ全体像を把握しているファスビンダーに似ている?ひたすら本好きの青年と薬漬けの女がまともだったのは皮肉的。自分の世界を持っているからか?

結局は物質主義的な欲望の中でしか生きられず、利用される人間だからこそテロリストになってしまうのか。「真実は嘘の姿で現れる」ことを意識しながら見極めて、冷静に自分の意志を確立していかねばならない。

周りやネットなどに流されるまま、瞬間の快楽を求めて固まりとなっていく現代の我々は未だ「第三世代」のままなのか、新たな世代を確立していけるのだろうか?