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「累」 ★★★★ 4.2

◆重ねられたメタ構造と2人の圧巻の演技合戦、偽物が本物を超える瞬間を見逃すな!誰もが土屋太鳳を見直すことになったお

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美人だけど演技力がないニナ(土屋太鳳)と演技力抜群だけど顔に醜い傷がある累(芳根京子)、口紅を使って顔を入れ替えることでお互いを利用しようと嫉妬の渦に巻き込まれていくサスペンス。

美しさや劣等感をテーマに演劇を大胆に絡めた複雑な女同士の情念バトルと心理描写、人間の底知れぬ欲望や自分の為なら他人の人生まで奪う強欲さを見事に炙り出す。2人は鏡のような関係で、合わせ鏡の奥にはいくつもの女の表情が映されていて、メタな構造も含んだいろいろな「重ね」と素晴らしい2人の演技など見どころは多く面白かった。

醜い顔のせいで暗くて内向的な累(実際は元が芳根京子なので酷く見えないし、傷は整形技術で何とかなりそうだが、そこは置いといて)と、美しい容姿で高飛車なニナ。キスをした瞬間に相手の人格を自分に憑依させて演じ分けるので、非常にクセの強い2人を両方演じて瞬時に切り替えるのは相当に困難だったはず。黒髪ロングで背丈や服装も似ている中、微妙な仕草や表情の機微、醸し出しす雰囲気、姿勢に至るまで相手のキャラを研究し尽くしていて、その顔の裏に今どちらの人格が潜んでいるのか分かりやすく伝わってくるのに感嘆した。

ニナの役や男を獲るための手段を選ばない執念と、累の圧倒的な演技や美貌への執着、最終的な乗っ取りへ向けた2人のぶつかい合いが本当に魅力的で、ただの共犯関係を超えた複雑なそれぞれの想いが溢れていた。

 

芳根京子は屈指の若手女優として元から評価はしていたが、今回の土屋太鳳の圧倒的な演技には正直驚かされたお、誰もがその実力は認めざるを得ないはず。近年は恋愛スイーツ映画ばかりで、どうしても少女漫画の実写化のヒロイン役のイメージが強く、「PとJK」「orange」「となりの怪物くん」など、他の若手女優でも代わりがいるような役で少し可哀そうな気はしていた。事務所のゴリ押しとアンチの声も聞こえてくるが、さすがに実力が評価されているから仕事が舞い込んでるわけで「8年越しの花嫁」を見れば納得してもらえるはず。

今作は特にラストのサロメの舞台での踊りの表現も合って、彼女の持つ良いところがいかんなく発揮された役柄なのでキャリアベストの演技だろう(演技が下手な演技も絶妙だった)。こういう役の経験を重ねれば、元からの身体能力(体育大学出身)に加えて、日本を代表する独自の地位を築ける女優になれるかもしれないと思った。

芳根京子も相変わらずの上手さで、コンプレックスの塊のオドオドさから一転した時の仏頂面、形勢逆転したときの開き直り、隠れた髪の奥から除く強烈な目など、彼女だから土屋太鳳がより輝けたというのもある。

 

監督はテレビドラマ作品などを多く手がけ、映画では「キサラギ」「脳内ポイズンベリー」「ストロベリーナイト」などのベテラン佐藤祐市

顔の入れ替わりや演劇との絡みだと「フェイス・オフ」「ブラック・スワン」「ガラスの仮面」「Wの悲劇」などを思い浮かべたが、特に劇中劇が入れ子構造になっている「Wの悲劇」が近いのかな。

 

※ここからネタばれ注意 

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【演出、ラスト

劇中の戯曲がメタ構造になっていて、アントン・チェーホフの「かもめ」は女優に憧れるニーナを、オスカー・ワイルドの「サロメ」はすべてを欲しがるサロメを演じていて、累=ニナの心情や立ち位置を分かりやすくメタファーとして描いている(チェーホフは「寝ても覚めても」でも使われてた)。

「かもめ」は互いに女優と作家を志すニーナとトレープレフという男女の悲劇的な物語。ニーナがどんな困難があろうとも女優として生きていく覚悟を語る一方で、トレープレフは「僕には信じるものもなく何が自分の使命か分からない」と自殺する。結局この2人を分けたのは、自分の追いかける夢を最後まで信じられたかどうかだった。今作では累は母親の影を振り払って女優として生きていく覚悟を決める一方で、ニナは女優としての夢よりも自分の人生を取り戻すことに全力をかけている、この女優に対する信念の強さが2人を分けたものなのだろう。

サロメ」はお姫様サロメが愛するあまり預言者ヨナカーンの首を切り落とした狂気に満ちた物語。殺して生首を抱いてでも手に入れたいという永遠の愛こそが究極の愛の姿なのか。今作も、愛する対象ヨナカーンは演劇であり、累にとってのニナであり、ニナにとっての累であり、殺すほどの覚悟を持った方が手に入れられる。

ニナを飲み尽くして、自分をサロメと完全に同化させ自分の言葉として語ることで、とうとう彼女は究極の演技を手に入れた、そして偽物であるはずの物語が現実に存在する物語となって、われわれ観客含め全てを圧倒したのだ。

赤と白のヴェールをまとった累が、すべてを飲み込むような視線で得体の知れない狂気を、全身全霊をかけた踊りで表現し、見ているもの誰もを引き込んでしまう。サロメは得意のダンスでヨナカーンの首をもらい、累も同様にニナの顔をもらう、完全に融合した瞬間、降り注ぐ返り血が光り輝く、土屋太鳳の身体性の圧倒的存在とともに美しいラストカットが見事。Aimerのエンディング曲「black bird」も詞がリンクしていて、最後まで染みてくる。

同時に鏡合わせの関係で何度も登場した母親の幻影(檀れいの魔女的な美しさよ)、サロメの舞台裏でその幻影からの握手を拒否して、母親越えを果たした瞬間でもあった。結局、鎖に繋がれて監禁させられて母親と入れ替わっていたのは誰だったのか?累の本当の母親はどちらだったのか?

 

天才演出家の烏合(横山裕)が、累の内面を見抜く力や恋愛関係で重要そうに見えたが、途中でフェードアウトするのは気になった。結局、ニナとの男バトルの駒に過ぎなかった、累は烏合もあっさりと捨て男も次々変えているようなので、累の快楽はあくまでの舞台上のみだからか。

しかし、ジャニーズ力なのか、せっかくの2人の演技を前に、関ジャニ・横山は無いわ、天才演出家の天才オーラ感ゼロ(逆に狙いなのか?)、演技もキスもあまりに下手すぎて(現実もか?)笑ってしまった。呼び止めるところとかマジでやってるのか?

累は美しい顔になっても人からジロジロ見られる事に驚き、ニナは他人から見られる事に慣れているため醜い顔でも隠さずに堂々とさらして歩くのはなるほどなと思った。2人のキスの意味合いも複雑な感情も絡み合いながらだんだんと変わっていくのが上手く表現されていた。

個人的にニナの親を取り込んだシーンが怖かった、自分には他人行儀で、客観的に自分の親と仲良くしてる自分を他人として見る辛さは、想像しただけでゾッとする。ちなみに原作では累の妹が登場して、話や結末も違うらしい。

 

ツッコミどころとしては、5ヶ月!も眠り続けて筋力が衰えたり顔が痩せたりしないのか? 謎の口紅は一本しか無いのか、永遠に減らないで使えるのか? ラストの策略は、あまりにも賭けの要素が強く、もしニナが会場に来なかったら、舞台裏の自分に会いに来なかったら、どうするつもりだったのか? そして、屋上から落ちたニナが死んでしまったら、そのまま入れ替わったままなのか?、元に戻って累の顔で一生を過ごすことになるのか?

 

本当に誰かと容姿を入れ替わることが出来るなら、変わりたいのか、誰と変わりたいのか? 一生変わったままは厳しいが、12時間限定の体験レベルならありかも(モテてチヤホヤされてみたいだけ?)、悩ましい。。

さすがに顔を入れ替えるのは無理だが、整形をしている芸能人は多いし、世の中「顔」「容姿」が良ければ有利であるのも事実(そこに才能が加わらないと生き残ってはいけないが)。

最終的に誰かの美しい顔で舞台に立ち続けても所詮は偽りの姿、決して累自身に賞賛が向けられることはない、やはりありのままの自分が認められない限り、永遠に心が満たされることはないのだろう。

ラストカットの続き~10年後どのようニナってるのか累て見てみたい。。