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「君が君で君だ」 ★★★★ 4.0

◆真っ直ぐな異常とすれ違いの純情、気持ち悪くて切なくておかしい狂気の純愛カルト映画、「僕が君であるために、愛が愛で愛だ」究極のエゴ・愛の形に正解なし

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大好きな女の子ソン(キム・コッピ)の好きな人になりきって、自分を捨て去り、10年間彼女を見守ってきた尾崎豊池松壮亮)、ブラピ(満島真之介)、坂本龍馬大倉孝二)。ある日、星野&友枝(YOU、向井理)の借金取りに見つかったことから大騒動へと発展していく、松居大悟監督のオリジナル企画によるラブコメディ。

普通に見ればストーカ(兵士)の話なので、犯罪だし気持ち悪いし狂ってるし恐怖のはずなのだが、このキャストのおかげで笑っていつの間にか受け入れられてしまう。。何を守っているのか?だけに、どう考えても頭がおかしい奴らの行動を心配しながら、意味の分からない熱い想いで感動させられるのはなぜ? 

とにかく全く先の読めない意外な展開で、爆笑したりドン引きしたり切なくなったり振り回されながら、最後に愛とは(哲学)まで考えさせる。絶対に万人受けするものではないので、かなり見る人を選ぶし友達には薦めにくい(ジャケットは爽やか青春コメディっぽいので注意)。

 

遠くで見ながら一挙手一動にキャーキャー言って喜んでいる思春期から抜け出ていない純粋さと変態さ(学生時代の先輩かっこいいよね〜と言ってるだけで楽しい感じ?、尊すぎて近づけない熱狂的なアイドルファンのような感じ?)。

基本は向かいのアパートから覗きと盗聴を繰り返すのみで「好きな人の好きな人物になりきり彼女と同じ行動・同化することで愛情表現をしている自分」に自己満足している。彼女がクズのヒモ彼氏(高杉真宙)に食い物にされようが借金に苦しめられようが、ただ尊いと崇めながら文字通り見守り続ける3人の男たちの生活。

その閉ざされた部屋は現実から逃げてるモラトリアム空間であり、永遠に続く桃源郷として守り続けたい王国でもある。彼らは見返りも何も求めてはいない、ただ君が君でいてくれれば満足だった(ソンの立場なら、こんな風に愛されたら絶対に怖くて嫌だけど)。それが、ただ見つめてるだけでは済まない状況になり、それぞれが自分の想いにケリをつけようとするクライマックスは、青春の痛みそのままで切なくも「卒業」シーンとして感動的だ。

 

【演出】

松居大悟監督らしく、「青春の衝動・暴走」を描かせたらピカ一で、「私たちのハアハア」や「アイスと雨音」と同様、とにかく演出、役者すべての熱量が凄く伝わってくる。こんな無茶苦茶な話をクソ真面目に撮っているのはすごいし、その意気に役者たちが全力で応じているのもすごい。

演出としては狭い空間での会話劇がメインのため、舞台の密室劇っぽく、なんでこんなことしてるのか?を、回想シーンで少しずつ見せていくのが上手いので、変態性がどんどん薄れていき、彼らのことを応援したくなる。映像では特にダンボールの隙間から差し込む光、海を漂う二人やひまわりのシーンが美しかった。

 

役者陣の演技もみんな素晴らしくて、3人は似てないようで成り切っての演技は絶品!

池松壮亮は、目・声の演技がいつも鋭く、生々しく、何かおかしいですか?姫を愛してるだけですよ?といった狂気的な目が凄い。大倉を2階から突き落としてからのぶっ飛び感も笑えて、こんな非現実的な話をリアルに感じさせるのはさすがで、髪の毛や向日葵を食べるまでの狂気と繊細の共存にゾクゾクさせられた。特にブラジャーとパンツ姿で、訳の分からない祈りのダンスをしながら姫が乗り移ったように説教するシーンは圧巻。異常さが際立つが繰り出される尾崎の愛のひたむきな言葉と本当の心情に笑いながらも完全にノックアウトされた。「宮本から君へ」と同様、クソ真面目一直線の中からの突き抜け感は彼しかできない。

姫と呼ばれるヒロインのソン役キム・コッピは、美人ではないが絶妙な可愛さで純粋さから落ちていく感じの難しい役どころを上手く演じていた(傑作「息もできない」での演技も忘れられない)。最初は清楚な水色や黄色の服だったのが、荒んでいくにつれ、どぎつい赤色になっていくのも良かった。

大倉孝二の吹っ切れ具合も良く、入院した時のやりとり「体調どうですか?」「・・少し切ないです。」がじーんときた。

満島真之介の絶妙なブラピ具合や、高杉真宙の今までに無い役どころクズ男も案外ハマっていた。

向井理は、細眉のチンピラメイクで別人のようだったが、周りがすご過ぎてあまり目立たず・・でも視聴者の目線で現実に引き戻してくれる地味ながら良い役だったし、YOUとの掛け合いは面白かった(小競り合いはアドリブらしい)。

  

※ここからネタばれ注意 

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【(ネタばれ)ラスト・考察】

登場人物全員それぞれの愛がかみ合わず空回りし、愛し方を間違えてしまっている、誰も頼んでないのに「自分がそれをしたいから、相手が求めていると勝手に思ってしている」究極のエゴ・愛の形である。そんな三者三様の愛の形(守りたいもの)と卒業の仕方が見事に表現されていて、おかしいのに爽快感あふれるラストだった。

プラピが守りたいものは、姫への想いを隠して3人で過ごせる王国を壊さないこと。

龍馬が守りたいものは、愛し方は一度否定されているが姫の側に居続けること。

尾崎が守りたいものは、自分の「太陽」と仰ぐ姫を見守り続けることで、生きている実感を得ること。

3人だけでなく、姫が宗太(ヒモ彼氏)にお金を出して尽くすのも、宗太がただ受け続けるのも守りたい愛の形。

それぞれのエゴ・愛の形が否定されて、現実と向き合ったことで彼らはようやく「卒業」し、成長することができた。

 

特に本当の主役だったと気付かされた尾崎のラストまでの流れが素晴らしい。龍馬は姫を助けようと部屋から現実に戻ろうとして窓から尾崎に突き落とされて脱落、ブラピは姫の髪の毛が現実のものに見えて食べられずに脱落、そして尾崎だけが髪の毛も物ともせず食べて完全に姫と同化して踊る。その世界に姫が出現し、ひまわり畑でダンスをするも、姫=「太陽」と触れ合うことで自分が一方的に太陽を仰ぎ見るひまわりだったんだと気付く。その瞬間、信仰を失っってしまうが愛を無くしたわけではなかった。

ラスト、空港へ向かう妄想の中で彼は尾崎ではなく、姫は太陽ではない、ただ好きな女の子に会いに行く男の子として、新たな恋の物語の始まりを求めて映画は終わる。(どこからが妄想なのか含めラストは人により様々、いろいろと想像できるはず)

 

「こんなに愛されたことある?愛したことある?」愛の形にルールも正解もないが、少しうらやましくもあり。

エンドロールのみんなの歌声、最高、肩組んで尾崎を歌いたくなること間違いなし!

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない 正しいものが何なのか それがこの胸に解るまで 僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる♪」