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「愛がなんだ」 ★★★★☆ 4.6

◆映画流行語大賞「幸せになりたいっすね」、恋愛のゴールって何だろう?「愛とはなんだ」をどうかしながら「愛がなんだ」とおかしくなる

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日本のホン・サンス、ダメ恋愛映画の達人・今泉力哉監督が、角田光代の原作をダメダメ男女の微妙な距離感で見事に映像化。今泉監督らしく、それぞれの想いがすれ違いながらダラダラとした関係が続いていく、淡々とゆったりとした会話劇がメインだが、俳優の魅力や演出の上手さもあり全く退屈することなく楽しめる。

人のダサくてダメな部分がリアルにしっかり描かれていて、鑑賞する人によって、どれだけ人生の中で恋愛に重きを置くか?誰に共感できるか?で感想・評価が変わってくる映画。人により好き嫌いが分かれるタイプで万人ウケはしない。きっと誰かにイライラするはず、感情移入は出来ても共感はできない…というかしたくない、共感する自分を認めたくない、絶対幸せにならないと分かっているから。

「搾取する側」と「搾取される側」の両方の立場で過去の経験を思い出しながら、ひたすら古傷をえぐられ続ける人も多いだろう。自分は恋愛で依存したことはないので、主人公テルコには全く共感出来なくて”おかしいだろ!”とイライラしたけど、実際には結構こういう子いるんだろうなあとも思いつつ楽しく見られた。「だって好きなんだもん、しょうがないじゃん」確かにどうにも出来ない・・

自分がどれだけ相手のことを好きでも、相手が自分を好きでいてくれるとは限らないし、自分の想いに答えてもらえないのは当たり前だし。生きていくために好きでいるのか、好きでいるために生きているのかよく分からないが、とにかく人はひとりでは生きていけないと実感させられた。

カップルでいくと状況によっては辛くなるので注意(デートムービーならキラキラスイーツ系映画へ)、関係がグレーなカップルで行くとお互い気持ちが整理・はっきりできるかも?、どちらかと言うと非リア充こじらせ女子が一人で見るのがいいのかもしれない(偏見?失礼?)。特に、20代後半の恋愛中の人たちには刺さるのでは(好き!付き合って下さい!という確認のないグレーな関係が増えてくる頃だし)。

 

とにかく登場人物の会話やキャラ設定がリアルで人間くさい、友達でも恋人でもなくそれ以上踏み込めない葛藤、男と女のズルさ・ダサさ・醜さ・甘えを容赦なく描く、好きな人とそうでない人とで変わる言動(湯葉は牛乳の膜じゃなかったのかよ!)など笑いながら”そうだよねー”と納得させられる。また、自分の非難した愛の形を自分自身で実践してしまっていて、自身の恋愛も客観視できないのに友だちの恋愛に正論を挟んでしまうところも面白い。

<テルコ>:自己肯定感が低いタイプで、自分の意思ではなく全てを相手に委ねており、相手を想うあまり一方的に自分勝手に暴走する。恋愛を「生きがい」にしているため、「マモルが好き」という感情を失ったら、きっとテルコには何も残らない。葉子から言われるように「寒気がするほどバカ」「不思議ちゃんと言うより不気味ちゃん」。

個人的にテルコのような女性はダメ、頼んでもないことを勝手にやられ過ぎるのはキツイ。風邪の時ご飯買ってきて来てくれるのは嬉しいが、手料理を振る舞いたいのか濃い味の味噌煮込みうどんだし、そのあと風呂掃除始めたり(一人で早めに静かに寝たい)、居ない時引き出しの中勝手に開けて片付けたり、2人用の土鍋など置いたり・・と自分の欲求優先で相手がどう思うかを考える余裕がない。相手のためを思っているようで、実は尽くすことで自分を保っているのかもしれない。最後には執着することがアイデンティティとなってしまったのか、彼女を突き動かすものが何なのか分からないため、逃げることも出来ないという泥沼にハマっている。

<マモル>:もう誰が見ても間違いなく酷い男なのだが、本当に淡々と何の悪意もなくそういうことが出来るタイプで、決して憎まれる存在にはならないのが不思議。こちらも実は世の中でイケてるイケてない立ち位置も含めて自分の価値を低く捉えているため、同じようなテルコを無下には出来ない。スミレに対するアプローチはテルコと同じ状態になっているのだが、気持ちが分からない。ダメダメ同士が絡み合って更にダメになっていくのは傍から見る分には面白い。

<ナカハラ>:テルコと状況は似てるのにまともに思えて一番共感しやすいタイプ、いなかったらこの映画は成り立たなかったはず。葉子のためと言いながら、ただ隣にいるだけでは満足できなくなった自分に苦しくなって強引に終止符を打とうとする、ひたすら真っ直ぐで苦しい片思い。「王様と家臣」の話を持ち出して「俺が葉子さんをダメにしている、残酷なのは家臣の方なんだって」の深いセリフと、「好きでいるのをやめる=好きでいるのを諦める」可能性が残されていながら自ら前向きに決断すること、そして劇中で2回言う「幸せになりたいっすね」のニュアンスの使い分けが素晴らし過ぎる。

<葉子>:人当たりの良い柔らかな可愛さで世の中うまく渡っていて、年下男を都合のいいように無神経に振り回す、酷い女に見えるが、お母さんを含む複雑な家庭事情を思うと一概に憎めない(葉子の母が消せない机のシミを消そうとしながら自分の中の執着について話そうとするシーンは印象的)。ナカハラの好きという気持ちに依存して、ナカハラも葉子の世話をしている自分に依存してる。

<スミレ>:決して美人でもないのにマモルがどうしてここまで夢中になるのか?と最初は思うが、徐々に確かにこの人がモテるのも分かるというカッコよさや色気もあり、一番大人だけあって客観的な状況把握が素晴らしい。

 

3組のいびつな片思いを心地よく笑える展開で進めながら、最終的には「依存と搾取」の関係を含め深いところに着地させる、恋愛からアイデンティティまで痛々しくて美しい人間賛歌映画となっている。

主人公のキャラ、路上ラップ、動物園、職場を去るシーンなど完全に「勝手にふるえてろ」を思い出させるが、昨年の「寝ても覚めても」「きみの鳥はうたえる」に続き、今年を代表する恋愛映画になるのは間違いなし。

 

【演出】

今泉監督らしく、あるあるの細かい描写、長回しを多用した会話劇を中心に、全体的にゆったりとした日常をローテンションで描き、全くキラキラしないところがリアル。カメラは前半などは人物に寄り添っていて、次第にふっと人物から離れた俯瞰の視点に展開していくので、主人公の視野がだんだん広がっている感じが上手い。

前半のラスト、河口湖キャンプのところで4人の関係性を一度整理する手法は見事(その後から一人ずつ画面に人物名を出して展開)。

別荘のリビングでの会話が、他者を自分を写す鏡として利用する仕掛けの構造となっていて・・ナハカラがスミレに詰め寄られキレることによって生まれる言い合い、ナカハラの葉子への気持ちをマモルが代わりに語るシーンは、そのままテルコのマモルへの気持ちであり、お前が言うかというセリフを俯瞰で見つつ重ね合わせをするのは面白かった。気まずい雰囲気の中、突如「パスタを作る」というセリフで立ち切ったスミレ(確かに惚れるわ)が最高。誰かにムカついたらパスタ作るの流行りそう?

ラブラブシーンは見ていて懐かしくも羨ましくもあり、若いっていいな・・と完全におっさんになった自分がいた。2人で入ってイチャつくお風呂のシーンとか恥ずかしく、Hまでの流れや出来なかった時のやりとりから復活シーン、足だけ見えてけり合うシーンとか。特にマモルの追いケチャップは反則技、服を脱がす時に引っかかるネックレスを含めて、成田凌のアドリブだったらしい(普段の素が出たのか凄すぎ)。

スミレと出会った後、テルコの心のもやもやをラップするシーン、ラップの原点である「自分の抑えきれない感情を言葉で吐き出す」まさにライミングが下手ながら響いた。スミレの嫌いな要素をあげていくのだが、実際にはそれが全部スミレの魅力になっているのも面白い(画面の観客にカメラ目線で語り掛ける感じでも良かった気がする)。

全体的にご飯を食べたり酒を飲みながら会話をしているシーンが多く、大事な場としてうまく機能していた。ビールが金麦な人とエビスな人がいたが違いがあるのか確かめられず、酒は依存のメタファーになっていて最後は飲んでなかったかも(どちらもビデオ出たら確認したい)。

ポスターの図は本編に出てこなかった気がするが(服装的には最初の結婚式2次会の後?)、マモルがテルコをおんぶしているように見えて、テルコがマモルに必死にしがみついて重荷になっているようにも見える(座敷わらしならいいが?)。

Homecomigsの主題歌「Cakes」も歌詞と歌声が合っていて最高(「リズと青い鳥」の主題歌もそうだった)。

 

【役者】

主要5人みんな自然体で役柄に溶け込んでいた、特にあるある目線の動きが見事、誰が何を思って誰を追っているのかの分かりやすさ、会話での探り合いの目配せなどが印象的。

岸井ゆきのは、彼女のための映画と言えるくらい彼女の魅力満載。キャラ的には大袈裟で嘘くさくなりがちなところを、絶妙なバランスで、かわいさ、健気さ、イタさ、コミカルさと生々しさを見事に表現していて魅力的に演じていた。昨年の「勝手にふるえてろ」の松岡茉優に通じる「本当に見ていてイタい子だけど応援したくなる」最高のヒロインだった。唯一、残念だったのは、ベッドシーンで不自然に胸を隠してたところ、この映画での体の関係は重要なので脱いでも良かった気もするが・・(女優としてはもう少し待ちたい事務所の意向も分かるが)。

成田凌は、「ここは退屈迎えに来て」とか「チワワちゃん」と同じく、見た目イケてるけど中身スカスカな役が似合い過ぎ。基本クズでイライラさせられるけど、どこか憎めなくて母性本能をくすぐられるキュートな笑顔は男でも惹かれてしまう。タクシーを待つシーンや歯磨きのシーンでの岸井ゆきのとの身長差も堪らない。

若葉竜也は、どうしても「葛城事件」の次男・通り魔殺人鬼のイメージが強いが、今回は180度異なる1番観客に近い応援したくなるキャラクターでの存在感。顔が絶妙で苦笑いが上手い、弱々しいのに強さも感じる、気持ち悪いのにかっこよくも見える2面性が魅力的で、ナカハラの場面はどれも笑いと切なさあふれる名シーンだった。深夜に葉子の写真を撮るシーン、大晦日の葉子実家でのテルコとの会話、別荘でのスミレとの会話、ラストの個展での葉子との再会。特にテルコとの夜のコンビニ前のやりとりはこの映画屈指の名シーンで、ナカハラの「幸せになりたいっすね」の表情は絶品、テルコの暴言に対して道に唾を吐き捨てて帰るところまで素晴らしい。今年度の助演男優賞ノミネートは間違いないレベル。

深川麻衣は、今泉監督の前作「パンとバスと2度目のハツコイ」に続き出演、前作は恋愛に自信の無いキャラだったのに、今作は自由奔放で男を振り回すキャラを演じている。ラストのナカハラの撮った写真を見て振り返るところは良かった。岸井ゆきのとは、朝ドラ「まんぷく」で姉妹役だった2人なので、最初は違和感あった人も多いはず。

江口のりこは、登場時のインパクト抜群で(成田凌が惚れるから相当の美人かと思いきや)、トンデモなさとリアルさを両立させた「彼女以外にはいないのでは?」と思うほどの好演。飄々とした演技や絶妙な台詞回しでの笑いの取り方も最高で、彼女が一番爆笑を持って行った。

あとは、今泉作品の常連、青柳文子も出ていたらしいが、全然気づかなかった(エンドロールで知った)。

 

※ここからネタばれ注意 

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【(ネタばれ)ラスト・考察】

結局、マモルとは本音を言い合い(今度はテルコが寝込みマモルがインスタントうどんを作りに来てくれた)、マモルは変わらずスミレを好きだと宣言、テルコはいつまでも好きだと勘違いしないでとあえて嘘をつき、別の男を紹介してと頼んで、合意のうえ別れることになった。

そしてラストカット、テルコは象の飼育員になって働いているところで終わる。この最後のオチは、人によりいろんな解釈が可能で、原作にはない監督オリジナルらしく秀逸。

かつてマモルと一緒に行った動物園の象の檻の前で、マモルが「33歳になったら、象の飼育員になるんだ」と漏らしたことがあった。いい加減なマモルは何の脈略も無い「33歳になったら」が口癖で、今までも宮大工→プロ野球選手→象の飼育員と将来像をこまめに変えている。だからマモルの未来に象はいない、象の飼育員になってないのは分かっている。それでもテルコが象の飼育員になったということは、少しでもマモルになるため同化するためなのだろう。かつて象を見ながらマモルの横で「33歳以降の未来には、私も含まれているのだ」と勝手に妄想して泣いてしまった時の想いを忘れないために、どんな形であれマモルとの関係の糸を切らしたくないという強い意志のままに。

冒頭の「わたしは田中マモルの恋人ではない」と、ラストの「わたしは田中マモルではない」というセリフの違いが重要で、当初は恋人になりたかったが、もう好きや執着を超えて、最終的な望みはマモル本人になりたいということ、本人になればもう離れることはないし永遠に一緒だから。

現実には田中マモルになることはできないが、ずっとマモルになろうとはするだろう、絶対になれないものを妄想するだけ、最後まで圧倒的にテルコで、でも彼女にしかできないやりかたでちゃんと前を向いているのだ(象=マモルとして飼育員になって世話をし続けることで死ぬまで一緒にいる、とも捉えることができる)。ただ、もし自分がマモルだったら無理かもしれない、本人の意志とは関係なしに永遠に愛され同化し続けられてしまうとは、恐怖でしかない。。

※ラストは今泉監督によると「群盲象を評す」というインドの寓話から発想を得たそうで、意味は「多くの盲人が象を触ってみるとそれぞれ思い描いたものが違った」すなわち「物事や人物の一部、または一面だけを理解して、全てを理解したと錯覚してしまう」ということ。テルコの変わらぬ視野の狭さと人それぞれの解釈の違いを表しているのか・・

 

対照的なのはナカハラで、全てを捧げることが愛の証明にはならず、時には相手のために去ることもやはり愛として、葉子から一切離れることを決意。そして彼を救ったのは写真だった、写真展をすることで彼なりに形としてケジメをつけたのかもしれない。

最後、葉子が個展に訪れて再会するが、これからどう進展するのかは分からない。葉子のほほ笑みの意味が謝りに来たのか、いなくなって初めて気づいたことがあるのか、再度同じ状況を繰り返してしまうのか・・いずれにせよ、ナカハラの「幸せになりたいっすね」のゴールが明確になった今、きっと葉子との関係性は以前とは違うものになるだろう。

 

最後までテルコに共感できない人はかなり多いと思うが、みんなテルコ・マモル・ナカハラ・葉子の一部の側面は持っていて、誰にだって「お前に何が分かるんだよ」って言いたくなることはあるはず。好きとか執着を超えたものが愛なのかは分からないが、全てを捧げてそこまで達することが幸せのゴールなら少し羨ましくもあり。

「好き」と「それ以外(=どうでもいい)」に分けれるもんなら分けてみたいし、「好かれなくたって愛は愛だ」という主張も間違ってはいない。

「愛とはなんだ」に正解がない以上、「愛がなんだ」と言われたら「うるせえ、ばーか」と返すしかないのかもしれない。