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「ウィーアーリトルゾンビーズ」 ★★★★ 4.2

◆人生はカフカの城、不条理で終わりがない無理ゲーでラスボスは自分、ゾンビのような大人たち「生きてるくせに、死んでんじゃねえよ」

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死んだ両親の火葬場で出会った孤独な中学生4人たちが、クエストや音楽を通じて生を取り戻していく青春ブラックコメディ(いわゆるゾンビもの・ホラー映画ではない)。

現実世界をRPG形式ゲームと見立て、絶望しかない状況で「絶望ダサっ」と口にしながら、to be continuedな人生RPGを生き抜かなければならない・・家庭の抱える闇や大人の汚さと欺瞞を浮き出させながら、死とか愛とか青春とかをとにかくポップに爽快に描いていくバランスが見事。1シーンごとに凄い情報量で、90年代ゲーム感と8bitサウンド、暴力的な色彩、感情のないナレーション、棒読みの冷めた演技など独特の空気感を演出するアート的センスが素晴らしい。

 

長久允監督は現役の広告代理店のプランナーでありながら映画を撮り、サンダンス映画祭のショートフィルム部門で前作「そうして私たちはプールに金魚を、」が日本人初のグランプリを、今作も同映画祭で審査員特別賞を獲得している。

前作同様、思春期の独特の感性を捉える表現力は素晴らしく、既成観念の無い子どもの世界の見え方をこれだけ色鮮やかに映し出せるのは本当に凄い。ただ、作家性の強い独特な映像表現や攻めたカット演出は、クセがあり過ぎるのか、海外での受賞の話題性の割に客入りはあまり良くないようだ。まあシネコンやTOHOでやる映画ではないと最初から分かってるだけに、これは電通マーケティングミスだろう(この内容を電通が作ったのは自虐皮肉的で良いのだが)。

 

ストーリーとしては、主人公のヒカリが遊ぶゲームボーイのRPG形式で物語が進み、前半はヒカリ・イシ・タケムラ・イクコそれぞれ4人の両親を亡くした背景とクエストが描かれる。後半はふとしたことからリトルゾンビーズを結成し、両親を亡くした子供たちのバンドとして音楽的にも話題となり、大人の社会と向き合っていくことになるが・・と比較的シンプルな話ではある。

常に「ダサっ」とか「古っ」とか短い言葉を繰り返し、無感情で空虚で冷めた視線が現代的であり、若者には共感を得られるのかもしれない。何も期待せず、特に意欲も文句もなく、全てを否定するフリ、そうして自分の周りを固めてしまわないとすぐに崩れ落ちてしまうのが怖いからなのか・・

彼らにとって現実はゲーム以上に空虚であり、彼らは音楽を通して自ら消費される対象となっていくが、結局、音楽も彼ら自身も消費尽くされて捨てられる(所詮悲劇好みのTVショー)。それでも特に怒ることもなく変わらず彼らの感情は動かない、本気で向かい合う価値が人生に見いだせない、いまだ死んでいるか生きているか分からないリトルゾンビーズなのだから。

現実に搾取する大人たちの社会構造、電車のホームで全員下を向きながらスマホをする集団の「ゾンビ的気持ち悪さ」は、改めて客観的に見ると、彼らが空虚になるのも当然かと思われる。「生きてるくせに、死んでんじゃねえよ」、「生きてるのか、死んでるのか分からない」と言うのは、彼らよりはるかにゾンビである我々大人たちに向けられたメッセージなのかもしれない。。

 

長久監督はCM出身ということもあり、カット数が多くテンポよく繋がれていき、一つ一つのシーンのクオリティは凄く高い(本作は撮影前に2時間すべてのカット割りを絵コンテで決めてから撮ったらしい)。ただ、残念ながら2時間の長編として見ると長く感じて疲れる、内容と脚本が追いついていない、映像のセンスはすごく良いのに、もったいない・・ 前作「プールに金魚を」は25分の短編だったこともあり、この手法でちょうど良く完璧に合っていたのだが・・

今作はおそらくやりたいことを詰め込み過ぎて、映像表現を優先させてしまって、全体のバランスが崩れてしまっているのでは? もう少し引き算してメリハリをつけて最後のカタルシスまでの構成をしっかり組み立てた方が良いのではと思った。前半の4人の背景を描くパートが淡々として長いので、バンド結成前後の本人たち心の機微や変化、エモさをじっくりと描き、彼らの葛藤を感じられたらもっと良かったはず。

いずれにせよ、監督にとっては次作が本当の勝負作になるだろう、この2作の実験作と同じようなことをやっても価値はないし、どこまで構成を洗練させて人間を描くことが出来るか>映像センスや才能は間違いないので、楽しみに待っていたい。

 

【演出】

前作「プールに金魚を」と同じく長久監督らしさ全開で、毒々しく鮮やかな色彩でのメタ表現、語り口、カメラワーク、演出、編集すべてが新しくエモい。カメラの位置も凝っていて独特の不思議なアングルが多く(その意味は見いだせなかったが)、今回は特に画面スクロールっぽい空撮がまさにRPGゲーム感覚で面白かった。

全体的に同じCM出身の中島哲也監督に近いものが多く、最近だと「チワワちゃん」の二宮健監督も雰囲気としては近いものを感じる。後は、ダニーボイルやミシェル・ゴンドリー、ガイリッチー、ウェス・アンダーソンなどMV系の凝った映像・編集の監督たちも思い出される。他にもサブカル要素が満載で、エヴァンゲリオンなどいろいろなアニメや映画・小説のオマージュも感じられた。本人役の菊地成孔や電子いとうせいこうchaiまでが出てきた時は笑ってしまった。

 

また、いちいちCM的なキャッチフレーズで耳に残るセリフが多い。「ただいま し〜ん」「デフォルトで孤独」「キミシニタモウコトナカレー」「どうよ最近、与謝野ってる?」「クラシックは清楚に見えてビッチだから」「目が悪いのはパパとママからの愛の証」「生きたさ、すげ~」「自然、画素すげ~」「いま、いま、いま、いま、いま~」「生きてるくせに、死んでんじゃねえよ」(大好きな中村一義の「キャノンボール:♪僕は死ぬように生きていたくはない♪」が頭の中に流れてくる)など、つい思わず使いたくなるのはさすが。

 

何と言っても曲が素晴らしい!テーマ曲「We ARE LITTLE ZOMBIES」とエンディング「Zombies BUT ALIVE」が頭から離れない。。歌自体はすごい下手くそなのに、心に沁みて何回も聞いてしまう中毒性はYoutubeでヘビロテしてしまった(Voの二宮慶多は音楽やっていて実際はもっと上手いのにわざと下手に歌っているらしい)。何となく最初聞いた時は「神聖かまってちゃん」が浮かんできたが、とにかく劇中で撮られるワンカットのPVシーンが最高過ぎる!

あと、ゴダイゴの「It's good to be home again-憩いのひと時」は傑作「青春の殺人者」(親殺し)にも使われているが、意図的に選んでいるはず。

イクコが使い捨てカメラで撮りっぱなしなのは、現像して見たらそれは思い出になってしまう、それよりも「今」を感じたい・・というところは、椎名林檎の「ギプス:♪だって写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない♪」を思い出した。

前作同様、映画が終わりそうな前に「そろそろ終わるよ〜」と言ってくれる(今作は長く感じたのでやっとかと思ったが)ところや、エンドクレジットが小さ過ぎ早過ぎて読みにくいところなどの変なこだわりも嫌いじゃない(主張し過ぎない、リトルを狙っているのか?)。

 

【役者】

子供たちの演技は感情が無く表情もほぼ変わらず、基本的に棒読みなので、下手に見えてしまうが、演出でわざとなので逆に上手く演じているなあと感心した。あくまでもゲームのキャラクターとしてデフォルメを重ねた世界観としては4人ともそれぞれ見事。

主演の二宮慶多は、「そして父になる」の福山の息子役の子、是枝監督の自然体を引き出す演出から、今回はかっちり型にはめられた演出になったが器用に上手く演じていた。

紅一点の中島セナが一番の注目株、ひときわオーラを漂わせながら、死んでるようで全てを見透かされているような冷めた力強い目力が半端ない、これで中学生13歳とは、この先どうなっていくのか楽しみな逸材。レオンのナタリーポートマン、小松菜奈橋本愛や清原果耶などの最初の頃を思わせることもあり、独特な雰囲気を持つ女優になるのでは。

わき役の俳優が超豪華なわりにほぼチョイ役という贅沢さ・・佐々木蔵之介工藤夕貴佐野史郎池松壮亮村上淳西田尚美永瀬正敏菊地凛子・・いかにも広告代理店とか業界のコネを総動員で作って、わき役でも出演させられるという嫌味に捉えられなくもない。子どもたちと大人たちの架け橋となる役を演じた池松壮亮(彼ならではの上手さが出ていた)くらいで良かったのではと思う。

 

※ここからネタばれ注意 

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【(ネタばれ)・考察】

リトルゾンビーズは、ヒカリの両親が死んだバス事故の運転手が悪意のSNS拡散で自殺してしまい、解散を余儀なくされる。それでも最後にコンサートが予定されていたバス事故現場に向かうことを決める・・そのとき行く手段としてゴミ収集車(ゴミ同然の彼らが自分の人生をリサイクルする)を奪って、途中で事故を起こす(ゴミ収集車の人に危害を加える暴力シーンはこの映画では余計だったかも)。

事故で生死をさまよう中、脳や細胞DNAのようなブッ飛んだ世界に入り込み、生きるか死ぬか選ぶ場面で、イクコがくるくる踊る姿(母親と同化)を見て最終的に生きる(to be continued)を選ぶ。トンネル(産道)を抜けて母親のおなかにいる赤ちゃんのDNAレベルに戻って、生まれ変わったことを表しているのか? とりあえず脱出して、カメラが上空に上がっていき、大草原をちっぽけな4人が歩き続けていくラストカットで終わる。

今まではRPGゲーム画面のように4人がチームでぞろぞろと列をなして見える道を歩いていたが、ラストでは現実自然界の大草原の先に道も何も見えないところを、4人ヨコに離れてそれぞれ真っ直ぐにかきわけながら歩いていく・・たとえ涙が最後まで出なくても現実を受け入れて、自分の意思がある限り死ぬまで歩き続けていくのだ。だって「絶望ダサっ」にはなりたくないし、どうせゾンビで死ぬことも出来ないのだから・・

 

そして、エンドロールが流れていき本当のラストカットが(何となくこうなるかもの予感はあったが・・)、エンドロールの黒い画面が徐々に白黒の帯となり、これは最初のヒカリの両親の葬式での鯨幕となる、そして寝ていたヒカリがふと目を開けて終わる。そう、今までの話は全てヒカリが葬式のあいだ退屈しのぎでしていた空想だったのだ・・かもしれない・・(「告白」のラスト「なーんてね」が聞こえてきそう)。

泣か(け)ない代わりに想像で非現実として乗り越える、ゲーム世界のご都合主義展開の妄想あるある、また最初に戻ってやり直しになる、親戚に引き取られ人生のクソゲーは続くなど、どこまでを空想と捉えるか?、最終的には見た人それぞれの解釈に委ねられている。。 

 

貧困や虐待など現実世界は厳しい、無感情で空虚になって空想に逃げても、親の愛情を感じなくても悲しいと涙が出なくても全然構わない。人生は死ぬまで終わりはなく、最終的に「to be continued」を選び続けるのだ、自分の好きなように自分の人生を決めていけばいい。

上手く生きられず絶望に押しつぶされそうなゾンビのような日々を過ごしている人たち、思春期の中高生たちに一度見て欲しい。「絶望ダサっ」「今今今今今」、「人生という名の無理ゲー」、一回しかプレイできないなら、自由気ままにエモく楽しく攻略すればいいのだ!