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年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「そうして私たちはプールに金魚を、」 ★★★★☆ 4.5

◆「翔んで埼玉:退屈な女子高生~ボーン トゥー ビー ゾンビ短編」、結局続きの結局だらけな人生に金魚を、「私はいま生きている♩」

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「ウィーアーリトルゾンビーズ」の長久允監督を一躍有名にした2017年の25分間の短編映画、第33サンダンス映画祭ショートフィルム部門、グランプリ受賞。今ならネット(公式HP経由、YouTubeなど)で無料で見られるので短編だし気軽に一度見てみるのもあり。

2012年に埼玉県の学校のプールに400匹の金魚が放流された実際の事件を基に作られていて、女子高校生4人がその行為に至るまでの閉塞感を他にない映像センスと切れ味鋭い台詞の数々でスタイリッシュに描いている。

ゾンビ、4人組、金魚、夕日、チャプター分け、映像・カメラワークなど共通するモチーフも多く、「リトルゾンビーズ」の原型とも言える全てが激エモな作品(エモいは古っ!ダサっ!だけど)。

 

「平和is退屈」、自分もド田舎の学生時代は、平凡な毎日が退屈で何か特別な事が起きればいいのに・・と思ってたので多少なり共感は出来た(毎日部活漬けでここまで閉塞・虚無感は無かったが)。「私たちは生まれながらにゾンビっすよ」「ボーン トゥー ビー ゾンビっすよ」・・何の娯楽もないド田舎に生まれた境遇を受け入れ、くだらない社会や大人を見下し、自分たちを自虐的に言いながらも、何だかんだ楽しくキラキラさせることが出来るのは、今となっては羨ましくもあり。

ドラマチックでオシャレでインスタ映えしそうな生活に憧れ、何もない退屈な日常から抜け出したい、その狭い範囲内で住むことや考えることしか出来ずモヤモヤしていた感情がまさに青春だったのかなあ。良くも悪くも後先深く考えず、思いついたまま行動に移せるのは若さゆえの特権、大人になると住むところもやることも自由にはなるが実行力は弱くなる。

彼女たちはその価値に気づいていない(ことにまた価値がある)、社会に出たらそんな日々がいつか貴重に思えるよ、と伝えてあげたいが、結局は退屈な大人の言葉なんてモスキート音にしか聞こえないのかもしれない。。

狭い田舎の更に狭いカラオケ部屋の閉塞空間で、友達と歌う17歳「私は今、生きている」のが彼女たちの全てなのだから。

 

【演出】

「リトルゾンビーズ」と同じく、CM出身らしい言葉やセリフの使い方、色彩感覚、独特の色彩感覚・画の切り取り方やカメラーワーク、テンポの良いカット割り・編集の仕方など見せ方が本当に上手く、すでに出来上がってる感がある。チャプターを細かく区切って、タイトルと合わせて撮影手法や場面の演出を変えて飽きさせない工夫も見事(でもやはり30分の尺がベストで2時間もたすにはもっとメリハリ・間が必要だと思う)。

とにかく自分の好きなものを好きな形で好きなように撮って成果を出しているのは凄いし、表現の引き出しの多さ・センスの良さは世界で評価されるのも納得できる。

調べたら、今作は会社を休職して一念発起して作って勝手に投稿したらしく、リトルゾンビーズは育休中にコンビニのイートインで1ヶ月で脚本を書いたらしい。もともとCM業界でもカンヌで賞を獲っており、才能に加え行動力が凄いし、実際にあった小さなニュースに疑問を持って作品にする着想力や企画力も素晴らしい。

 

全体的に、学生の閉塞感からの蒼い衝動として真っ先に浮かんだのが、相米慎二の大傑作「台風クラブ」(屋上プール、歌と踊り、テーマなど)だが、通じるところはあると思う(さすがに短編だし並べるのは恐れ多いが)。最近だと「ここは退屈迎えに来て」の田舎の閉塞感や、「翔んで埼玉」のより埼玉絶望感が近いものを感じる、洋画だと田舎の何者にもなれない若者たちの犯罪映画「アメリカン・アニマルズ」かな。

 

ゴミ箱からとか水槽の底からとか、逆さにしたりボーリングの球目線にしたりするカメラワークは、初期のダニー・ボイルっぽい。ポスターやタイトルのタイポグラフィも好きな感じで、要所要所に出てくるサブカル臭も好み、クリトリック・リス(テキ屋のおっちゃん)が出てきた時はどんなセンスだと笑ってしまった・・「17才」は森高千里よりも銀杏BOYZの青春っぽさを感じた。あと、犯行シーンで流れる曲は、いかにもナンバーガール(祝!復活)っぽくて、宮崎あおい少女傑作「害虫」を意識しているはず。

今作もさすがのワードセンスで記憶に残るものも多い、「抱かれろ、未来に抱かれろ」「モスキート音みたいに大人になったらこの気持ちが分からなくなるんだって」「家とイオンと笑笑の往復で人生終わる。全然笑笑じゃねーよ」「1415の間に新しい数字を見つける」「朝日を見てC7を弾く」

 

※ここからネタばれ注意 

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【(ネタばれ)・考察】

題名からも当然ラストは、映像的にも1番の見せ場である「ゆらめくプールで泳ぐ金魚400匹の美しい青と赤のコントラスト」が見られると思っていた・・が、それを見越したかのように彼女からは「暗くて見えねえ」と言うリアルなセリフで結局何も見えない・・(プールで泳ぐ金魚の美しさではなく、金魚をプールに放った瞬間の「エモーション」の美しさが重要であり、金魚が見えると「退屈」ではなくなってしまう)。そして、すぐに事件として取り上げられ停学処分となり、またいつもの日常に戻る。

 

「縁日の金魚を持ち出し(自転車で運ぶ疾走感と煌めき)、プールに放てば退屈な日常から抜け出せるかも」の期待も虚しく、結局何も変わらず、またいつもと同じ日常が続いていく。そんなこと最初から分かっているつもりだったけど、何も変わらなかった現実、全て誰のせいでもなく受け入れて生きていくしかない絶望と希望に彼女は泣いたのか。

屋台の狭い水槽から逃げ出して、広くて自由なプールへと解放されてみたけど、結局、プールも暗くて何も見えない・・そう、高校生という今はまだ先や将来は見えない、一人で大海原に放り出されても何も照らしたり導いてくれるものはない。

それでも、いずれ朝が来て光が射してくる、ラストカットは金魚を放した夜明けの朝帰り、4人で並んで歩いていくシーンで終わる(ここは庵野秀明の「ラブ&ポップ」のラストを思い出した)。。

彼女も言ったように、濡れたシャツ越しに透けたブラのサービスショット、新しい世界に飛び込まなければ(この映画を見なければ)見えることのない景色。何も変わらないかもしれないが、結局、実行するのとしないのとでは大きく違ってくる。「結局、結局、結局、でも結局・・」と諦めて何もしなければ、更に鈍感で退屈な大人になってしまう。

タイトル「金魚を、」と句読点が付くように、これから長く続いていく世界は言うほど平和でも退屈でもない、「私は今、生きている」その瞬間瞬間を大切に、思いのまま解き放っていくしかないのだ!