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「わたしたちの家」 ★★★★☆ 4.5

自分も誰かにとっての幽霊なのか?、家という同じ空間・場所に染み付いた記憶や世界のつながり、感性のまま作られた未完成のまま観る人によって作り上げられる家

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父親を亡くし彼氏のいる母と二人暮らしの少女セリ、突然記憶を失い偶然出会った透子の家で同居する女性さな、それぞれ別の2つの物語が、同じ「家」の中で交錯する。つながっているようで、つながってるとはいい切れない2つの世界、完全なパラレルワールドなのか、いつ2つの世界が交わるのか・・

余白が多く観る人の想像力によっていくらでも解釈できるSFでもありホラーでもあり、アートのようで文芸的であり、気や霊など目に見えない何か・言葉で言い表わせない不思議な世界観が素晴らしい(完全にシネフィル好み)。

監督は新人・清原惟監督、東京藝大で黒沢清諏訪敦彦両監督に師事し、今作がその修了作品にしてこのクオリティには驚かされる。

PFFアワード2017グランプリ、ベルリン国際映画祭正式出品、上海国際映画祭アジア新人最優秀監督賞など評価も高いのも納得の出来で、卒業制作ながらこの世界観を構築する圧倒的なセンスは天才肌か、今後も大いに期待できる。商業映画で何を撮るのか楽しみ。

 

「複数の物語が一つの映画の中に同居している映画」というアイデアを、「非直線的な何か」「音楽のフーガ形式的な何か」を思い浮かべながら製作したということ、生きている実感と死んでるかもしれない非現実感、この得体の知れないものが重なっている一つの世界を見事に描いている(ストーリー全体がマクガフィン)。

ただ、2つの世界を同時進行で描くのに1時間20分は短くて、詳細の背景からラストの盛り上がりまで少し物足りなく感じる。様々な謎・伏線っぽいものを散りばめながらほとんど明確には回収されずに終わるが、あまりにも余白が多過ぎてもう少し想像を掻き立てるようなヒントは欲しかった。

 

【演出】

考え抜かれたショットと構図のセンスの良さ、物語の構造的強度の凄みは見事。二つの世界が一つの家で交錯する構造だが、カメラや構図はほとんど同じにして妙な同一感を演出し、セリと母親の方は衣装など赤ベースで、透子とさなの方は青ベースで意識されていて分かりやすい。それぞれの違う位相が微妙に重なっている構図や、それぞれの相手の関係性が徐々に反転していき、成長にもつなげているのに感心した(父性の不在と突然の男の闖入)。

ロケーションと家屋配置も完璧(築90年で炭屋やたばこ屋など変遷)、内外との交流を遮断するかのような玄関のシャッター、木造建築の障子や柱の平行に取られたフレームと四角から円の切り替え、空間の狭さを活かしたカメラワークと登場人物間の距離感、緻密な計算に唸らされる。。

そして、音響・サウンドデザインも素晴らしく、異様な環境音へのこだわりを感じる。

お互い”何かの存在”に違和感を抱きながら、音で小物で2つの世界が徐々につながっていく、カットとカットを絶妙につなぎ合わせ、まるで2つの世界が横に奥につながっているように空間を巧みに操っていく。


複数の鏡の前で化粧をするシーン(増殖・分裂する意識と空間、ファスビンダー的)、封筒を渡すシーンの螺旋階段の光と男の影が拡大していくシーン(ヒッチコック的)、母→娘のじゃんけんの切り返し、海辺でクリスマスツリーが点灯するシーン(周辺の菊の花、少女の死と再生)、火鉢で誕生会の残骸を燃やすシーンなど、ハッとする印象的なシーンも多いが、全体的に死の影を感じさせる。あと、花火が恐いところや水質汚染のくだりなどからは反戦、反原発のメッセージも感じらさせられた。

映画としては、小津や黒沢清、リンチやジャック・リヴェットの影響が大きいと思うが、家の装飾や料理、ちょっとした仕草はとても繊細で女性監督ならではのこだわりが見られた。作品的には「インターステラー」(5次元)、「ア・ゴースト・ストーリー」、「惑星ソラリス」(家=海)などを想い出した。。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)ラスト・考察】

ラスト、2つの世界がつながって花瓶やプレゼントがお互いの世界に送られたカットは鳥肌が立った、家の廊下をぐるりとカメラが回る動きだけで2つの世界が確かにシンクロしていくという映像体感の新鮮さ。今までも時空を超えるカットはあったが、今回はかなり意識させられた、パラレルワールドと言うより 「シュレーディンガーの猫」の世界に近いだろうか。

説明の無い様々な謎を残しながら、ラストに向けて2つの物語が時空を超えて共鳴していく展開は予想通りだが、さすがに全てを理解するのは不可能。花瓶やプレゼントの行き来で確実につながってはいるが、空間が歪んでるのか、時間軸がズレてるのか(最初はセリが過去でさなが未来かと思ったがそうでもなさそう)、つながっている背景や理由が何なのかは余白が多過ぎて想像するのは難し過ぎる。

せめてプレゼントの中身につながる要素は見つけたかったのだが、その中身を決めるのも決めないのも観客にゆだねられている・・未来の自分になるための玉手箱なのか。それでも、セリもさなもお互いが何かしらの影響を受けながら、少し成長したとは思える、少女・女性・大人への時空がそれぞれ同時に存在しているのだろう。

 

1階と2階、障子のこちら側とあちら側、あちらの世界とこちらの世界・・すべて平行世界であり、この家によって見守られ、命が息づいていて、物語の全ては家が知っている。家には確かに全ての記憶があって、歴史が存在している。

わたしたちの家は狭く閉鎖的でありながら、どこまでも奥深く可能性を秘めているのだ。この可能性を通して多種多様な世界に誘うこの映画は、観る人によって全く違う物語となり、各自がつながる「わたしたちの家」となるのだろう。