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「蜜蜂と遠雷」 ★★★★☆ 4.6

◆「世界は音楽に溢れている、世界が鳴っている、音を外に連れ出す」演奏シーンと音だけで物語を魅せる新しい音楽映画の傑作、天才たちの共鳴・バタフライエフェクト

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直木賞本屋大賞をダブル受賞し映像化困難と言われていた恩田陸のベストセラー小説を「愚行録」の石川慶監督が映画化、舞台となるピアノコンクールの予選から決勝本番までを通して伝わってくる、4人それぞれの苦悩と葛藤と人生を描いた圧巻の音楽青春映画。ストーリーは巧妙で非の打ちどころのない出来で、音楽を通じた天才たちの対話や演奏技術や表現を丁寧に分かりやすく、ちょうど良い距離感で全てを言葉で説明しない正に”目に見える音楽”で伝わってくる体感型の作品。

原作は未読、かなりの大作なのでストーリーとか人物に対する思い入れとか原作ファンには物足りない部分も多いのだろうが、人物関係の描写を絞って音楽・演奏シーンに重点を置いたのは英断だったと思う。原作の500ページもある大長編の群像劇を主に栄伝亜夜の母の喪失からの成長物語に収束し、ストイックな作りで2時間にまとめ上げ、原作の本質を映画にしか出来ない表現で魅せてくれた・・原作が「言葉で音楽を聴かせる」なら、今作は「音楽で物語を魅せる」のは、さすが石川慶監督。

ピアノコンクールやらクラシック音楽には詳しくない人でも十分に楽しめて音楽の素晴らしさを実感できるし、本当にコンクール会場で生で聴いているような迫力あるピアノの音色は、絶対に音響の良い映画館で体感すべき。

 

4人を演じる役者もみんな素晴らしく、それぞれの才能や感性に影響され高め合いながら自分の演奏を完成させていく、天才なりの苦悩やピアノを弾く喜びが丁寧に正確に表現されていて、一緒になって自分もコンテストに参加しているような高揚感を味わえた。人物像の説明は流れの中のインタビューや再会の挨拶の中の回想ほんの数シーンに留めてあるが、それぞれの演奏に臨む過程や奏でる音楽から各人の背景や心情が伝わってくるのが素晴らしい。余計な説明を入れずひたすら演奏シーンと音だけで表現するまさに映画の力で魅せてくれる。

この手の物語につきものである血のにじむような練習シーンも無く、ライバルを蹴落とすために足を引っ張ったり意地悪をするなんて微塵も考えないほど、全員が純粋にピアノ・音・音楽というものに真正面から向き合ってもがきながら頑張っている。天才と元天才、完璧型と努力型、それぞれに悩みがあり、天才と呼ばれる人たちなりの苦悩やそれを乗り越えた先の世界を感じることができ、4人のうち誰が欠けてもこの物語は生まれなかったと思える見事な絡み合いで音楽の世界に入り込めた。

クラシックへの造詣も深くなく些細な音の違和感も分からないが、超高次元レベルで一切妥協しない姿には活力をもらえて、各人が弾く曲にセリフを超えた感情がダイレクトに伝わってきて、最後には4人の個性が生んだ演奏がまとまって自分なりの一つの作品として昇華された。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)各キャラクター / 役者:考察】

※栄伝亜夜 / 松岡茉優

相変わらず情緒不安定な感情の微妙なニュアンスを演じるのが上手すぎる、セリフや表情、仕草だけでなくメイクや衣装、佇まいや姿勢全てで演技する。揺れ動く亜夜の心情を揺れる髪の毛一本一本で、死んだ目と笑ってない笑顔、決壊する感情とクルクル変わる表情で複雑で繊細な天才ぶりをうまく表現していた。

やはりラストのプロコフィエフピアノ協奏曲第3番の演奏が白眉(原作では第2番であえて本選での演奏を描かなかっただけに)。帰ろうとしたのを引き返してステージに出ていく際に、過去の自分がステージに向かう瞬間とクロスオーバーするところは涙が溢れてきた。乗り越えられなかったあの譜面の先に突き抜け、何かが憑依したかのような圧巻のパフォーマンス。

食い入るように、まるで時が止まったかのように夢中で聴いてしまった、「踊りだしたくなる」軽やかさと、それこそピアノから音楽が溢れるような音、ずっと身を任せたくなる優雅で大胆で自由な旋律が感動的。最後の演奏が終わった後、明るい光に照らされた心からの笑顔の表情が最高だった。あとピアノの板に反射するシーン、今までお母さんも一緒に2人で映っていたのが決勝本番だけは亜夜1人だけになっていた演出も見事。何気に離さず持っていた水筒とか手袋の小物にもグッときた。

※高島明石 / 松坂桃李

周りがピアノだけで生きてきた中で唯一庶民的で生活の音を大事にしている、天才3人との対比を浮き彫りにされながら、みんな1番感情移入できたはず。ピアノが好きな気持ちは人一倍で、亜夜にとっても最初の救いとなる存在、彼自身も家族から影響を受け、音楽を完成させているのが良い。

明石の「春と修羅」は個人的には一番グッときた、キャラクター全てが詰まっているようで、雪のように澄んでいて聴いて口遊む奥さんや子供が浮かんできて「生活者の音楽」が見事に表現されたいた。ただ、住んでる家が田舎過ぎボロ過ぎ、共働きなのに庭で鶏飼ってるし、宮沢賢治に近づけたかったのは分かるが強調しすぎたかな。

マサル / 森崎ウィン

レディプレイヤー1で見せた国際的感覚と品の良さ人の良さが自然と滲み出る演技は見事。実力者、優勝大本命がゆえの完璧が求められるプレッシャーに苦しんでいる姿が印象的だった。亜夜を支え、時には支えられて努力を続けていて。コンポーザーになりたいと夢を語った時の表情が忘れられない。古典だけがクラシックではなくて、未来に残す新しいクラシックも大事だというのは個人的にも同じことを思っていたのですごく共感してしまった。

※風間塵 / 鈴鹿央士:

よく発掘できたなと感心するほどのすごい新人(広瀬すずがエキストラから見い出して推薦したらしい)、童顔の美しい瞳に溢れ出る透明感、ピアノが大好きで純粋な姿が清くて本当に音楽の神様から生まれてきたと思ったくらい。彼の存在を「ギフトとするか災厄とするか」は受け取る側に委ねられている、世界をどう捉えるか、遠雷に世界の鳴らす音楽を聴き取れるかどうか・・神の使者、天使にも悪魔にも見える。

彼の存在が波紋を起こし、他者に影響を与えて行く、3人の才能を開花させただけではなくて、彼自身も心震える存在に出会えて、全部分かった上でのホルマン先生恐るべし。ただ、その圧倒的な自然体での天才ぶり、凄さ、恐ろしさが映画ではあまり伝わってこなかったのは尺的に仕方ないか。

※緊張が続く中でのクロークの片桐はいりの顔も含めた見事なシンメトリー(キネカ大森のもぎりと同じだが笑)、平田満の安定・安心感は良いバランスだった。唯一残念だったのはブルゾンちえみがやはり喋りも含めて浮いていたかな(ネタっぽいし、はいり一人で十分)。

  

【(ネタバレ)演出:考察】

映像化困難と言われていた「愚行録」でも魅せた石川慶監督らしく、こだわりの構図の美しさ、画面の色使いと光の具合は見事。カメラもも引きで撮ったり、天井から撮ったり、ピアノの隙間から撮ったり多彩なアングルで、カメラの手ブレや所々の長めのカットで緊張感を持続させても、それがストレスにならない絶妙な塩梅。

演奏シーンは、繊細なのにダイナミックで、まるでアクション映画のような手先の動きから画面の動きまで見応えがあり、本当に会場で生でコンクールを鑑賞しに行ったかのような感覚で、特にオーケストラとのシーンの迫力は見応え抜群。

小説は未読なのでこの音世界をどう文字だけで表現しているのかが気になる一方で、音世界の映像表現としての挑戦と熱量が素晴らしく、雨のシーン、雨音のサラウンド、雨音と拍手の重なり、月明かりの中のピアノ、海で見た雷、要所で挿入される黒い馬、最後の主人公の着ていた黒いドレスなどの表現は見事。馬は亜夜の原体験の一つで、トタン屋根の上に落ちる雨音が馬が走っているリズムに聴こえたものなのか・・昔を思い出し乗り越えるイメージを挟んでいるのか・・

 

春と修羅」は映画オリジナルの楽曲とのことで、そのクオリティの高さにビックリ(「リズと青い鳥」での楽曲も良かった)。特に「カデンツァ」と呼ばれる即興パートの4人各々の表現、解釈の仕方の多様さも面白く、演奏からパーソナリティが垣間見れるのが良い・・感性のまま即興で演奏する者、事前に譜面に起こし完璧に演奏する者、自分だから届けられるその音を探し鳴らす者など。役者たちも実際に頑張って弾いていて相当練習してきた意気込みが伝わってくる、本格的な部分は有名な4人のピアニストたちがそれぞれのキャラクターのイメージに合わせて弾いているが、本当にピッタリで人物像が自然と浮かんできた。。

 

「音を外に連れ出す」「元ある場所に帰す」「だって音楽は外の世界にも溢れている」・・塵が共鳴させる「蜜蜂と遠雷」の本質を感じさせるシーンも素晴らしい。塵の演奏を聞いた天才たちが共鳴し、お互いの演奏を最大限に引き出せるようになること。

蜜蜂がいなくなると世界は滅ぶと言われているように、蜜蜂は様々な植物の花粉を媒介することで受粉と果実を生み出している。また羽の動きのわずかな変化で遠くの気象が変化する、遠雷を引き起こす・・ほんの些細な事が様々な要因を引き起こし後に非常に大きな事象の引き金に繋がるというバタフライエフェクト・カオス理論ともなる。

これらは、塵を含め天才たちが蜜蜂となって音楽を媒介し、大きな影響を与え合う存在という意味であろうか・・蜜蜂という生物界の小さな羽音と遠雷という自然界の見えない大きな音、音楽はどんな世界にも溢れていて共鳴し合っているのだ。

 

特に塵と亜夜の連弾シーンは圧巻、夜空を見上げ月がキレイだねーと並んで鍵盤に向かう、射し込む月の光と響き渡るドビュッシーの月光の音が美しく折り重なって、まるで愛を告白してるような二人、何かエロスすら感じさせる・・お互いが指使いを駆使して気持ちよく感じ合いながら高め合って共鳴していく、ずっとこの世界に浸っていたいと思えるような優しくて暖かくて神秘的で官能的なシーンだった。

あと、4人の海辺のシーンも素晴らしく、音楽を分かる者だけが共有している永遠の時間(ケンケンパの音符で盛り上がれる世界)といった印象で、とても美しく尊いシーンとなっていた。「あっち側の天才の世界」と「こっち側の凡才の世界」とはお互い永遠に理解し合えることはないのかもしれない。日々の生活の中で努力し音楽を楽しんできた明石が、子どもの頃からやり続けてピアノしかない天才たちの永遠に辿り着けない領域・負けを認めた時の表情のアップには泣きそうになった。努力だけではどうしようもないあっち側の世界には永遠に行くことは出来ないけど、それを見て聴いて感じる心があればつながることは出来るはず、蜜蜂の羽音も遠雷の唸りも自然が奏でるメロディで世界は鳴り出すのだ。

人はそれぞれ自分の音を奏でられるし輝ける場所がある、ラストのタイトル結果一覧で明石が奨励賞・菱沼賞を受賞したように凡才なりに鳴らせる世界の音にも音楽の神様はちゃんと救いや希望を与えてくれるのだ。。原作では最終結果は想像するだけだったらしいが映画では最後に順位が出てビックリ、そしてなるほどの順位にも納得。

 

音楽をやっていない人間が音楽をやっている人間の影響を与え、その音楽が更に高みに居る天才たちに届く。天才たちの音楽によって音楽を愛する人々が救われる。音楽は循環する、純粋に音楽の歓びを映す映画だった。音楽は楽器から出るものだけではなく、身の周りに溢れている、音楽は演奏者だけのものではなく、全ての人のためのものである。自分は天才ではないから天才に憧れ続け芸術に憧れ続ける。芸術は特別な才能の持ち主のためだけのものじゃない、この世界に溢れているものだと信じ続けていきたい。。