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年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「サンセット」 ★★★★ 4.2

◆観ている観客をサンセット・落日させる難解な作品、ハンガリーの歴史を把握しておかないと主人公のうなじを見つめながら黄昏るだけ、兄はいるのか視線は誰のものか?

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新しい視点での傑作「サウルの息子」のネメシュ・ラースロー監督の新作、ミステリー調のドラマだが大半が主人公・イリスの近影と彼女目線で語られていくのでイリス周辺の情報のみで物語を把握していくしかない。ハンガリー周辺の歴史も相まって見応えはあるが、台詞、映像、音、全てにおいて説明不足というより、逆に混乱させることを意図しているので、かなり難解で解は観客に委ねられている。

鑑賞後も混乱と謎に包まれ絶大なる疲労と余韻を残す、醒めない夢を見ているような不思議な感覚に襲われて、ある程度歴史を知っておかないと人によっては全くついていけず退屈で眠くなるかもしれない。

 

1918年ブダペストで暴動が発生し、350年以上ハンガリーを統治したハプスブルグ家は崩壊、ハンガリー民共和国が樹立された。今作はオーストリア=ハンガリー帝国の落日時代、この暴動の前をイリスの視点から描いていて、第一次世界大戦の開戦前夜的な今にも沸点を超えそうな・何かが起こりそうな空気感を醸し出している。

イリスは最初は両親が築いた高級帽子店レイターで働くことを夢見ていたが、兄カルマンの存在を知るや兄探しのドラマになっていく、その兄を知っている人々の発言にますます「謎」が深まっていく。兄探しの旅はハプスブルクの落日と混迷の時代へ推移する旅であり、支配階級と労働者階級間を巡る旅であり、説明のないセリフに混乱しながらも戦争の足音は確かに聞こえてくる(あえて当時の雰囲気を体感させる狙いだろうが)。

兄の行方を追いかけるうちに彼女自身が兄の存在に近づいて同化していくようだが、周りからの忠告をガン無視していく行動にはイライラが止まらなかった(「ここにはいない方がいい!」「早くここから立ち去れ!」と何度言われたことか・・)。

 

前作で驚かされたカメラが主人公の背中のすぐ後ろから主人公の視線の先をずっと追っていく、顔を突き合わせるような至近距離で主人公の顔を前から捉え表情を見逃さない撮り方。観る者は自ずと主人公と一体化し、主人公が分かる範囲の中で手がかりを見つけ物語の成り行きを見守ることになるが、何が起こってるのか、何が映ってるのかハッキリしないことの恐ろしさが際立つ。意図的にぼかした映像とヒソヒソ聞こえてくる他人の囁き、見たい聞きたい知りたいという好奇心が刺激され幾重にも重なる謎が、解けない知恵の輪のように絡まっていく・・

舞台は前作の第2次大戦末期から第1次大戦前夜に変わり、主人公は男から女に代わったが、カメラワークとテーマは同じ、運命に翻弄されながらもその運命に抗い、必死に乗り越えようとする一人の人間の姿を描くのがこの監督のテーマなのだろう。

サウルの息子」では、ホロコーストと言うテーマの衝撃とともに主人公の目的が分かり共有することが出来たが、今作はテーマ的にも弱く主人公の背景も目的も何につながっていくのか終始明確には示されない。観客に映画の意味を考えさせることを狙っているのだろうが、あまりにも端折り過ぎて難解さのイメージしか残らないのが残念、もう少し作家性が面白さに繋がるといいのだが。。

 

【演出】

前作「サウルの息子」は終始緊張感あふれるゾンダーコマンドの視線での演出スタイルがすごくハマッていたけど、今作は必ずしもマッチしてはいなかったかな。極限状態に陥った人物の心情を表現したり、独特の臨場感を体感させるには見事な演出だが、今作の展開では2時間継続すると観るものには耐えきれないだろう。

イリスは微妙に常識的には意味のとれない行動を繰り返し、画面には無い音や見えない人の声を意図的に入れている。カメラワークを含め全てにおいて視点がぼんやり焦点が定まらないので、迷路を彷徨っているかのよう。

それでも繊細かつ大胆、美しい女性用帽子や衣装(白い襟の後ろ姿の美しさ)、美術などの細かい1つ1つのディテールの的確さ、洗練具合は見どころ満載で、さすがネメシュ・ラースロー監督。当時の時代を完全再現した華麗な衣装やセットをうっとり観賞するのは楽しみの一つとなるはず。

イリス役のユリ・ヤカブがエマ・ワトソンに似ていて、少し上目遣いにキッと相手を見据える目力の強さが印象的。

タイトル「サンセット」の意味は、ハプスブルク家の栄華からオーストリア=ハンガリー帝国の落日、ブダペストの混沌を表していて、巨匠ムルナウの「サンライズ」に対するオマージュでもあるのだろう。また、主人公の名前「イリス」の意味は、ギリシャ神話において、ゼウスとヘラの意志を地上の人間に伝える女神の名前であり、この時代の "封建的な社会" や "横暴な貴族や伯爵の存在"、そして "男尊女卑という考え" 帝国の崩壊(日没)をイメージさせ、新しい時代の象徴となっているのだろう。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)ラスト・考察】

クライマックスのレイター帽子屋襲撃のシーン、イリスは黒い闇の秘密を知った上で流血の事態を避けようとはしたが、理想が狂気と変わった集団に経営者のブリルは射殺され女たちも犠牲になってしまった。ここから皇太子のサラエボでの暗殺が決起となって大戦へと突き進んでいくのだ。

そして暗転し時が流れて第一次世界大戦であろうか、灰色の雨が降りしきる中、疲弊した兵士たちと塹壕をすり抜けて進んでいく視線・・これはイリスの視線だと思っていたが、行きつく先には軍服を着て立ちすくみこちらを凝視するイリスの姿があった。

となると、この視線は誰なのか?、兄のカルマンなのか、第3者として観てきた観客なのか、神なのか・・ラストカットのイリスの突き刺さるような視線は何を訴えようとしているのか。彼女の存在は新しい世界へと導くジャンヌ・ダルクなのか・・それとも関わる者たちの運命を変えながら時代を落日・サンセットさせて戦いを生み出す魔女なのか・・いずれにせよその役割を果たすまで絶対に死なない存在であり、世界大戦への連鎖をつないだのは間違いない。

サウルの息子」において子供の遺体が最後まで息子かどうか怪しいのと同じで、兄の存在は最後まで明確には示されない。兄はいたのか殺されていたのか、虚構だったのか、個人的には兄は既に死んでいてラストで男装したイリスが兄と完全に同一化したと感じたが・・結果として兄であろうがイリスであろうが実は誰かはどうでもよく、時代の中での役割だけが必要だったのだろう。ラストの視線はイリスと同様に傍観者としてその役割を見守る我々であり、イリスのこちらを凝視した視線は現代に向けられたメッセージでもあるのだろう(新しい時代に向けた戦いの始まりの合図なのか?)。

誰が何を企み、今何が起こっているのか分からない中を生きていく、その時代の不安や戸惑いをそのまま体感させるラースロー監督の手法は見事だったが、次作ではどう展開していくのか?、個人的には違った手法で「サウルの息子」を超える作品を期待したい。。