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年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「ボーダー 二つの世界」 ★★★★☆ 4.6

◆「モザイクなしの裏ジョーカー・裏ジブリ映画」、五感に訴えかける北欧の醜くも美しい大人のおとぎ話、誰かが勝手に引いた境界線を嗅ぎ分け超えていく「君は完璧さ」

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ぼくのエリ 200歳の少女」の原作者ヨン・アイビデ・リンドクビストの短編小説をもとに、イラン系デンマーク人アリ・アッバシ監督が大幅なアレンジを加えて映画化。主人公ティーナは犯罪者を匂いで嗅ぎ分ける特殊な能力を買われて税関に勤めているが、ある日怪しい臭いの相手ヴォーレと出会ったことから運命の歯車が動き出す・・

「ぼくのエリ」は大好きな映画なので楽しみにしていた今作、ミステリー/サスペンスのプロットを辿りながら予想のはるか斜め上をいく展開で、多様な解釈を可能にする独自の世界観を作り上げているヌメっとした手触りの北欧らしいダークファンタジー

というかジャンル分けなど意味もなく、異空間に迷い込んだような不気味で奇妙で綺麗で、終始いったい自分は何を見せられているかと唖然となるであろう衝撃作。普通に人にススメるのは悩ましいが、とにかくぶっ飛んだ映画が見たい人には絶対おススメ(ネタバレ絶対厳禁)。

 

第71回カンヌ国際映画祭 「ある視点部門」グランプリ、ギレルモ・デル・トロ監督が絶賛するのも納得、「シェイプ・オブ・ウォーター」の異形ものにも近いが、より暗く生々しくグロテスクで、ずっと不協和音が流れてるような居心地の悪さが続く。陰的な部分と官能的な部分と野性的な部分どれもリアリティがあり過ぎて、現実と地続きの世界観で繰り広げられるおとぎ話となっている。

タイトル通りまさに様々なボーダー、種別の違い、国籍の違い、男女の違い、宗教の違い、能力の違い、美しさと醜さ、普通と異端、善と悪、あらゆる境界線が揺らいだ上に固定観念すら撃ち抜いてくる、模索し続けるアイデンティティ、自分の居場所はどこにあるのか・・観客の倫理観をゆさぶるストーリーテリングと醜くても愛のあるキャラクターと映像の美しさでファンタジックな触れたことのない世界に連れて行ってもらえる。美しさの判断が揺らぎ、普通とは何かと投げかけられて、今いる社会で孤独を抱えて生きているマイノリティとして主人公ティナに共感する人もいるはず。

 

世界の分断化が進行するこの時代に人々は様々な境界線を引く事で、理解できないもの・異質なものを排除しようとしている。国籍、性別、外見など人々は無意識に「自分」と「他者」の違いを見つけ出し区別する、そこに境界線を引いてしまうと排他的な思考に陥り場合によっては恐怖心まで感化され悲劇を生み出すことになる。

今作でも最初はティナの外見は醜いとしか思えなかったが、途中からはその醜さが美しさに変化していく自分に気が付き、その境界の曖昧さにハッとさせられた。この世界の自分たちが知らないところで誰かが勝手に決めた境界を基準にして生きているが、あくまでもその境界は自分たちを納得させる基準であり、複雑になるほど曖昧さも増してきて境界領域が広がってくる。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・考察】

原作は未読なので映画との違いが気になるが、作者は今作の脚本も手掛けてるので、変な改変は無いはず。不思議なシナリオ、カオスな世界観の中に人間や現代社会への風刺も加わっていて(児童虐待・幼児性愛やチェンジリングもあり)、見たことのないものを魅せてくる映画として評価は高い。北欧の文化や民間伝承について詳しくない日本人にはあまりピンと来ないかもしれないが。

とにかく、主人公ティナの顔の造形が素晴らしく、小さな眼にがっしりとした幅広の鼻、牙のような歯を隠し持った口、人間離れした容貌を持ちながら、どこかにいそうな雰囲気を漂わせるギリギリのバランスを保った特殊メイクが凄い(様々なメークアップ賞を受賞しているのも納得)。どうしても抱いてしまう居心地の悪さは、やはりその異形な風貌を醜いと思ってしまう不快感からなのか、聞き慣れないスウェーデン語も含め、関係ないと思いつつも一線を引いてしまうのも事実だろう。

マイナスイオンあふれる深い森の雰囲気も最高で、野生動物や木々や沼など北欧らしい大自然の景色が美しく、まさにトロル=ムーミン谷のごとく童話のような世界が広がっている。特にヌメリと湿った苔の感じやジャリジャリした土が爪の間に入り込んでくる感じ、モゾモゾした虫が這ってくる感じなどの気持ち悪さと美しさが表裏一体となって両立しているのが不思議でもある。そして、その虫をムシャムシャ食べる姿、異形な赤ちゃんの姿、何より衝撃のトロルとして二人がつながる生殖行為など、クローネンバーグを思い出させるグロさと笑いがこみ上げてくる。

グロテスクな描写は全くないのにR18となっていて、ヴォーレに女性器があったことやティーナの股間からアレがムクムクと生えてくるシーンからの野性味あふれるセックスは相当強烈だが(アレの造形も含め生物としての交尾と見ると普通で卑猥さは無いのだが)、生き物としての愛と性の原点を感じさせられ種の尊厳を表していた。今作の根源にも関わるシーンなので、製作者の意図を汲んでカットも修正もモザイクも無しで上映してくれた配給会社の英断に感謝(だからこそ「ぼくのエリ」の根幹部分のモザイクが本当に残念)。

 

自分が何者なのか誰なのか、アイデンティティが揺れる中で運命的にヴォーレと出会い、同じ種として本来のありのままの姿で初めて共有できた時の感情が爆発するシーンは、すごくエモーショナルで心を揺さぶられずにはいられなかった。ティーナが自分の存在と世界を対峙させて、心から解放され、雨の森の中をヴォーレと共に全裸で走り回り抱き合い、湖に入って喜びを分かち合ったシーンの美しさは言葉にならないほど。

ティーナは自分の染色体や容姿を「欠損」や「異常」と見ていたが、そもそも属しているコミュニティが違うと自覚すること、トロルの種として見ればヴォーレの言うように「君は完璧」ということであり、最初からボーダーなど何も無いのだ。自分の本質は何も変わっていないのに、この“外”との認識を変えるというパラダイムシフトだけで、大きく生き方が変わる。この価値観の転換は現代における様々なな生き方に悩む者たちへの普遍的な教示でもあるはず。

オープニングでさりげなく掴んで離した昆虫から、土を掴み仲間や愛を掴んで、ラストシーンで掴んだ昆虫を優しく抱いた赤ちゃんに喰べさせるようになるまでの流れも見事だった。

 

キャスティングもハマっているが、あの本物の皮膚にしか見えない特殊メイクをしながらの細かい表情の演技には目を見張った。特に息遣いが素晴らしく、ティーナが臭いを嗅いでいるヒクヒクとしたわずかな鼻の動かし方や激しく息をしている時の音は、シーンによって微妙に使い分けており、その意味を考えながら観ていた。ティーナを演じた“エヴァ・メランデル”も、ヴォーレを演じた“エーロ・ミロノフ”もそれぞれ体重も増量したらしいが、元の素顔を見ると本当にビックリするくらいの変身ぶりだった…

 

【(ネタバレ)ラスト・考察】

最後のシーンは希望なのか絶望なのか・・ヴォーレと共に人間社会を離れ新たな世界へ旅立つべきか、それとも全てを知りながら人間社会で暮らし続けるべきか? ヴォーレに一緒に旅立とうと誘われるが、人間に対する考え方の違いで仲たがいし、警察に捕まりそうになったヴォーレは船から身を投げ、ティーナは元の生活に戻る。ラスト、生きていたヴォーレがトロル世界から送ってきた箱の中の赤ちゃん(二人の子なのか)、これからも送り続けられるのだろうか?、今まで通り人間の子と交換していくミッションを果たしていくのか?(ヴォーレは人間の幼児虐待という犯罪を通じてトロルを迫害してきた人間たちに復讐してきた)。

結局ティーナが選んだのは境界線そのものを無くす道ということか、「トロル」でも「人間」でもないどちらも持ち合わせながら、ずっと境界領域に留まり続けるのだろう。境界線の向こうで人間を憎み生きて行くヴォーレに対し、ティーナは決して消えることのない人間の欲望や恐怖で溢れる醜い世界と、野生の厳しさや優しさ溢れる純粋な自然界をつないでいく・・税関(境界線)の番人として共存できるよう境界を無くしていくよう見守り続けていくのだろう。

我々は常に自分がどちらの世界に属しているのかを気にしながら、意識的/無意識に境界線を引いて安心し、自分の属している世界からはみ出ることを極端に恐れている。ティーナのように境界線を気にすることなく自由に行き来できるようになるために何をすれば良いのだろう?、ジェンダーフリーダイバーシティ・ボーダーレスなどの言葉がある時点で境界を意識しているのだが、ティーナの今後の生き方を含め我々が現実的にどう振舞っていくのかを考えていくことにヒントが隠されているのかもしれない。。