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「カランコエの花」 ★★★★☆ 4.7

カランコエの花ことば「おおらかな心」で「あなたを守る」ことで「たくさんの小さな思い出」を作り「幸福を告げる」、「守る」とはどういうことか?最高の教材映画

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とある高校2年生のクラスで、代理の保健教師が突然「LGBTについて」の授業を行ったことから、クラス内にLGBTがいるのか?と、生徒たちの日常に波紋が広がっていく・・LGBT本人が主人公ではなくその状況に置かれる周りの人たちを中心に描くのは新鮮だった。LGBTという言葉は社会に浸透してきた気はするけど、自分ごとではまだこれが現実なのかもしれない。月乃、桜、クラスメイト、教師・・それぞれの立場ならどうするだろう?と考えさせられた。

39分の短編で監督・脚本・編集は中川駿、LGBTではない、だからこそストレートの視点で素直に描いたとのこと。いろいろな小さめの映画祭ではグランプリを多く受賞している。短編ならではの伝えたいこと、描きたいこと、問題についてのクエスチョンが短い時間の中でしっかり映されていた、教訓や主張ではなく自然に登場人物をそのまま写すことで、観客に自分で考えさせるような余白と絶妙な行間での表現が見事。観た後の感想、感じ方は人により様々、それだけ考えるポイントが散りばめられていて色々な解釈が出来る。

 

LGBTを問題提起として考える上ですごくいい映画となっていて、時間的にも本当に学校での教材として最適かと思うが、ファシリテートする先生の能力・考え方により今作のようになる危険性もあり心配にもなる(むしろ先生は関わらないで生徒だけで見て議論した方が良いかも)。

同じ言葉でも話し方や声のトーンの違いで相手を傷つけたり優しく寄り添ったりすることも出来るし、「なんとかしてあげなければならない」対象として取り扱われることが、時に人を一番傷つけることもある。LGBTを公表して受け入れてほしい人と誰にも知られたくない人もいるから難しいところであり、どれも正解はない、一人ひとりに親身になって理解し納得した上で決めていくしかないのだろう。

大人になって世界が広がってくると分かる学生時代のクラスと友達と先生しかいない世界の狭さや脆さ、教室内の独特で排他的な空気、どうしようもなく傷つけてしまう若さ。大学生ぐらいだと大丈夫だろうが、現実的にまだ高校生でのカミングアウトは相当判断に迷うところだろうか。

 

【演出】

映画としての完成度も素晴らしく、39分という短い時間でセリフではなく映像でキャラクターの説明や関係性、伏線やすれ違いなどを描いている。思春期の繊細な心の機微を表情や仕草、微妙な声のトーンの変化で演出していて、自然体の演技でしっかりと応える役者たち、ラストに向けての無駄のない構成といい見事だった。役者陣の演技も素晴らしく、非常に自然でカメラの存在を完全に廃した演出は、まるで自分自身もこの物語の中の登場人物であるかのような臨場感があった。撮影は茨城県の高校の全面協力のもと、校舎、制服、通学用自転車、オーケストラ部の演奏も、その高校の生徒が実際にやっているという徹底ぶり。

カメラワークも先生のあの授業を境に画面がゆっくりとブレ始めるのも良いし、あのバス車内の長回しでの大きな揺れも桜の心情をじっくり炙り出し想像させるのに十分だった。高校生のクラスの雰囲気もとてもリアルで、どこの学校にでもあるクラスの嫌な空気感が自然に出ていて懐かしくも心痛くもなってしまった。

赤いシュシュ、クッキー、男性教師の癖、貧血の話、更衣室での仕草、男子生徒の恋心・・などその後に繋げるアイテムの使い方がうまく、一つ一つのシーンに意味があって物語を作っている。DVDで見る人は本編だけでなく特典のコメンタリーも一緒に観ると、細かいところが分かるのでオススメ。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)各キャラクター・考察】

 

※教師:

何よりそもそもの根本原因であること、頼まれた訳でもないのに自分だけの判断で突然LGBTの授業を始めた上に、その雑な内容の無さと意味の無さには嫌悪感しかない。比較的若く経験も浅く本人は良かれと思って無自覚にあまり深く考えていない、全てにおいて思慮が無さ過ぎる(保健教師としてメインに教壇には立てないので慣れてないのに張り切った自己満足感)。

高校生の多感な年代にあの内容だけでは誰だって戸惑うし犯人捜しみたいな嫌な雰囲気になるのは仕方ない。全てのクラスで同じ授業をすべきだし、うちのクラスだけ何故?と聞かれた時に嘘でも否定してこれから行うとはっきり言うべきだし、無責任すぎて、これが今の教師の現状だと思うと恐ろしくて学校を信じられなくなるレベル。

そもそも、生徒は女性の保健教師と言うことで、解決して欲しいわけでなく気軽にただ話を聞いて欲しかっただけなのに・・もともと問題として特別視されることが一番嫌なのに・・同じ女性なら普通に分かるだろうが!

その後フォローした男性教師も余計で何のフォローにもなっておらず、嘘をつくとき鼻を触る癖(見事な伏線)で完全に生徒たちにバレてしまうというダメ押しの失態を犯す。よって、生徒たちが「差別をした」というより、大人たちが「差別するようにさせた」ようにしか思えなかった。

あの授業は確かに良くなかったが、だからと言って生徒たちにLGBTについて考える機会がないのも良くないので、やはりこの映画を教材として生徒だけで話し合うのがいいのかな。改めて教師という仕事の難しさ・重要さを実感させられた。生徒の自然な演技に対して、あえてだろう先生役二人のちょっとわざとらしい不自然な演技が良かった。

 

※クラスメイト:

突然自分のクラスだけLGBTの授業が行われたら・・そしてクラスの中にいると判明したら・・生徒たちそれぞれの反応が自然でリアルだった。身近な人がLGBTだと分かった時にどう接していいのか分からないのは当たり前、今までも誰も教えてくれなかったこと。

普通は関わった経験がないので理解できなくて拒絶的に感じたり、誰がLGBTなのか気にするなと言われても気になるのが普通だし、あの年代の男なら怪しんでズケズケと聞いてくる奴はいるだろうし、止めようと嫌な空気を戻そうとしたり見て見ぬふりの傍観者でいたり、一人一人が葛藤している様子がありのままに描かれていた。

頭では理解しようとしても、更衣室での目線を気にして隠そうとしてしまう仕草も分かるし、誰か分からないからこそ心無い言葉を言ってしまう男子(笹松将(綾野剛に似てる))が誰か分かった(自分の好きな人だった)瞬間の後悔と怒りのやり切れなさもズドンと響いてくる。

 

※月乃:桜から好意を持たれる主人公

今作は今田美桜が大人気になる少し前に出演したものだが、可愛さと存在感は飛び抜けていて、ラストカットのロングショットでも自然と目に入るのは見事なキャスティング。主役で1番メインに描かれている立場であり、桜からカミングアウトされそうになる瞬間はとてもリアルで心が痛い・・気づいているのをはぐらかすように「どうしたのなんかあった?」と言ってしまう、気持ちに応えてあげられない、今まで友達として接してたのにこれからどういう目で見たらいいの?という眼差しと微妙な笑顔、それに気づいて言い出せなくなる桜。

そして、黒板に書かれた「桜はレズビアンです」という文字を消しながら叫ぶセリフ「桜はレズビアン【なんか】じゃない!」、無自覚で出てしまう【なんか】の偏見のところは本当に辛かった。あの空気に耐えられなくて思わず発してしまった気持ちは分かるが、言った側は善意でも言われた側はその言葉に傷つけられてる言葉選びの難しさ。結果的に彼女がした一連の行為は、桜が本当にして欲しかったものとは違い、桜の存在を曖昧なものにして見て見ぬふりをしたことになる。

 

※桜:LGBT本人

結末を知った後に見返すと、仲良し4人との何気ない会話や態度にもよく表れていた。「クッキー喜んでくれるといいなぁ」ただ好きな人への普通の想い、みんなが新しい先生が塩顔イケメンだと話している時の表情、そして月乃の自転車の二人乗りで後ろからギュッとするシーンは泣きそうになった。

月乃にカミングアウトしようとする時の「ほんとはこんな形で言いたくなかったんだけど・・」の切なさと、月乃に気付かないふりをされた残酷さ、その後に一人でバスに大きく揺られ続ける長回しの哀しさ・・そして翌朝自分自身で黒板に事実を書かざるを得なかった無念さ。クラスメイトの空気を悪くし疑いをかけて、桜にも告白できずどうしようもなく追い込まれた絶望と諦めと苦しさが痛いほど伝わってきた。

 

桜はただ月乃のことが好きで今までと変わらずに仲良くそばで笑っていたかっただけで、一方で月乃は桜を守ってあげたかっただけで・・1番分かって欲しかった相手だけに、このお互いの思いのすれ違いが何とも歯がゆくてやるせない。誰かを守ろうとして放った言葉や行為が逆にその人を傷つけてしまう、カランコエ花言葉「あなたを守る」が皮肉に響いてくる。

自分が高校生の時だったらどうするだろうか?、あの黒板を見たら「別にいいじゃん、人を好きになる気持ちはみんな一緒なんだから」と言って明るく彼女をギュッと抱きしめてあげたい。。あの空気の中それが出来るかどうか実際には分からないけど、そういう自分でいたいとは思う。彼女と向き合って話して真の想いや願いを汲み取り、彼女の気持ちになって考えてみることが何よりも大切なのでは。

 

【(ネタバレ)ラスト・考察】

主人公が赤いシュシュを付けてカランコエの花になる決意をした朝、教室で呼ばれる名前に桜の返事はない・・結局赤いシュシュを外すことになり、カランコエの花になれなかった(あなたを守れなかった)ことを悟った。桜の欠席による不在によって月乃を捉えることになるショットの画角、ロングショットの長回しで映し続ける教室の中で、堪え切れずそっと泣き出す月乃のシーンが素晴らしい。その涙の意味を痛いほど伝えてくれて、きっとその涙は希望にもつながるはずだと信じたくなる、彼女はまた赤いシュシュを付けてカランコエの花になれる日が来るはずだと(あの男子生徒もクラスメイトたちも必ず)。

 

そして暗転後のエンドロールは構成も含めてそうきましたかと鳥肌が立った、エンドロール越しに音声だけで聞こえてくる保健室での保健教師と桜の会話はあまりに辛く苦しく切ない。純粋にキラキラと恋をしている1人の少女の楽しそうな恋バナと静かに聞いて相槌を打ってくれる教師、ただそれだけで満たされていたのに・・ラストカットの「また話しに来てもいいですか」という今までで一番の最高の笑顔で終わるところが本当に堪らなくやるせない、どうしてそんなささやかな願いさえも叶わなかったのだろうか・・

 

桜がこのまま不登校になるのか、吹っ切って教室に戻れるのか、最悪は命を絶ってしまうのか、何も分からない。それに桜だけでなくこのクラスにはまだLGBTの子がいるかもしれない。ここから"本当の物語"は始まるのだろうし、始めていかなくてはならないのだろう。この映画はあくまでも一つのモデルケースであり、LGBTなり他にも現実にはもっと様々なパターンがあり、それぞれに対応の仕方も違ってどこにも正解などない。実際には、今作は田舎だからであり、都会の学校などは割と進んでいてこんな雰囲気ではない気もする。それに女子校だったら違ったのかもしれないし、たまたまこの田舎の環境、このクラスだったからかもしれないし、中学1年と高校3年の時やタイミングにより違うだろうし。。

みんな悪気はなく良かれと思って彼女を気遣った善意から出た言動だった、でも無意識の差別なのか「気を遣う」のはLGBTを「普通ではない」と考えているからだろう。LGBTがごく普通のことで当たり前でいられる未来が早く来て欲しいが、LGBTを認める、受け入れるって言葉自体もおかしいのかもしれない・・認めるって誰目線だし、受け入れるのが全てだとも限らない。そもそも理解するとか云々の前に恋する気持ちや性は当たり前の普通であり、人によって好みが違うもので、周りの人が言及したり騒ぐことでもないはず。そう考えると、実はラストで月乃が赤いシュシュを外したのは、桜は「守る」べき「守られる」べき特別な存在ではない!というメッセージだったのかもしれない。

 

月乃の母親のセリフにもあったように・・「お母さんは魚にお醤油をかけたみたいに、ひとりひとり好みの味は違う。それと同じで好きな人の好みや対象も違う。ただ性の話になるだけで、差別やマイノリティと言われる人たちを否定してしまうのは悲しいこと」 できるだけ多くの人にこの映画を観て欲しい、そしてカランコエの花の種を芽生えさせて、それぞれの希望の花を咲かせて欲しい、心から願って。。