映画レビューでやす

年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「パラサイト 半地下の家族」 ★★★★★ 5.0

◆「人は人の上に下に人を造らず、水は上から下へ流れる」大貧民が革命・浮遊できるか?自分の匂いと立ち位置を再確認しつつこの映画にパラサイトされる、今年もポン!

 f:id:yasutai2:20200117101645j:plain

カンヌ・パルムドール受賞に続きアカデミー賞・作品賞にまでノミネートされた今作、傑作揃いのポン・ジュノ監督ということで今年一番楽しみにしていたが・・参りました、評判通りその期待値と想像をはるかに超えてくる文句なしの傑作だった。昨年も新年早々に韓国映画「バーニング」がありベスト候補となったが、今作も早くもベスト候補になるのは間違いない。

今や賞レースで最も熱い題材である「貧富の格差」を扱う社会派映画として奥深いのはもちろん、脚本、映像、演出、役者すべてが超一級品で、誰が見ても圧倒的に面白いエンターテインメント作品としても完璧。コメディ、サスペンス、スリラーの要素もしっかり混ぜ込みつつ、物理的な上下構造を絡めた韓国の格差社会を強烈に皮肉っていて、2時間16分まったく飽きることなく息もつかせぬ展開で引き込まれ、見終えた後には深く考えさせられる本当に良く出来た大傑作だった。

 

ストーリーは半地下に住む定職の無い底辺キム一家4人(夫ギテク、妻チュンスク、息子ギウ、娘ギジョン)、ギウが友人からセレブの家庭教師の代役を頼まれたところから始まり、家族全員が次々と身分を偽って富豪パク一家(夫ドンイク、妻ヨンギョ、娘ダヘ、息子ダソン)に入り込んで浸食・寄生(パラサイト)していく・・前半はユーモアたっぷりにいかに家庭に取り入れられるかを描き、後半から一気に雰囲気がガラッと変わり(この変わる瞬間の戦慄は鳥肌もの)底なし沼に引きずり込まれていく。

シリアスな社会問題がテーマだが、次から次へと想像しないことが起きて滑稽で皮肉な描写に笑えるようで笑えない、いろんな考察の余地を残してるのも憎く、二回目を観てもより一層楽しめそう。ただ、後半のバイオレンスが苦手な人は注意が必要で、できれば韓国の現在の社会構造状況は知っておいた方がより深く楽しめるはず、とにかくネタバレ厳禁なので予告編も何も情報を入れないで観るべし(どんでん返しを楽しむ作品ではないが)。

 

ポン・ジュノ監督のテーマは過去から一貫していて、階級社会の貧富の差、持つものと持たざるものを描いている・・「殺人の追憶」「母なる証明」は障害者の苦しみ、「グエムル」は怪物を通した搾取、「スノーピアサー」は列車ヨコ移動の格差、「オクジャ」は怪獣マイノリティの生き方などだが、貧富のどちらかが善悪であるという二項対立がない点が素晴らしい。今作でも投げかけられる疑問「富裕層だから優しくなれるのか?貧しいから醜く争い続けるのか?」・・

今作も絶対的な悪者は登場しない、スペックは高いのに職に就けず生きるのに必死なだけの家族、優雅な自分の暮らし以外には全く無関心なだけの家族、どちらの世界もそれぞれの価値観や生き方があり家族を大事にしているところは変わらないだけにあの結末をどう表現したらいのか難しい。「水は上から下へ流れる」そんな当たり前のことすら恐ろしくなる、現在の自分の立ち位置を改めて明確にして”自分はどう生きるのか”、"他人とどう接していくのか”、無意識の怖さなどを考えさせられる・・この映画の力にパラサイトされてしまったのかもしれない。

 

※ここからネタバレ注意 

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

 

【(ネタバレ)演出・コメント】

言葉やセリフではなく全てのカットに意味があり、映像だけで魅せる演出・技術は細かいところまで完璧で唸らせられる。高台に住む富裕層と半地下に住む貧民層と視覚的に分かりやすく上と下で表現されていて、階段や坂道は下層から上層へ上がる時、または上層から下層へ戻る時の象徴となっている。上から下へ落ちる大雨の中、濁流と共に高台からひたすら階段を降リながら半地下へ戻るシーンは特に象徴的。

また、両者の間には視覚的な境界線があり、光の当て方や明暗での差、窓枠や壁の線などが引かれているのも上手い。建築的空間性の使い方やシンメトリーの構図・描写も絵になる。カメラワークも貧民側は上から下へ、富裕側は下から上への動きが徹底されていて、見下ろす側と見下される側に分けている。貧民側は上ばかり求めて富裕側は下を全く見ないし気にもかけない(地下など思いもしないしテーブルの下も見ない)。あれだけ必死のSOSとしてモールス信号で照明を点灯し続けているのに、ダソンが途中で気付いても流してしまう、所詮は解読の遊びなのか。

 

構図、カメラワーク、セリフに散りばめられた数々の伏線やメタファーが、緊迫感を与える一方で笑いを挟んで弛緩させながら分かりやすく提示されていき、さりげなく細かい所まで全部回収していくのが見事すぎる。観るたびに新たな発見が生まれるので何度も観たくなる上手い演出。

豪邸、半地下がすべてセット(映画の90%がセットだそう)というのは驚きで、綿密に計算されている間取りや動線、細かい備品までの美術も素晴らしい。豪邸の解放感あふれるリビングで洗練された臭いのない無機質な空気感と、半地下の狭く荒れまくった独特の臭いが漂ってくるかのような映像も見事。実際に現場に生ゴミを撒き散らしたり、ハエを飛ばしたりしているらしく、この映画における臭いへの重要性が感じられる。どんなに上手く立ち回っても誤魔化せなかった匂い、長年染み付いた地下のカビ臭い、自分たちには気付いていない格差の匂いの違いをここまで決定的に浮き出させたのは見事だった。

 

半地下の窓から外を傍観しながら缶ビールを飲んでいた家族が、パク家が外泊とみるや豪邸の大窓から外を眺めて高い酒を飲み交わす比較は最高。だが、狭く固まって汚く飲んでしまうのが部屋の中で完全に浮いている。そこへ突然、元家政婦ムングァンが尋ねてきて地下へ降りると、そこにはパク家も知らない地下シェルターがあり、ムングァンの亭主が4年間も隠れ住んでたことが判明したシーンは衝撃だった。「あの家政婦は人の倍も食べる」が伏線だったとは。窓もない地下生活という自分よりも最下層民がいると気づくことで「キム家は中流家庭」に昇格したようになり差別意識(する・される)が強くなってくるのが上手い。

 

大雨のシーンが残酷なまでの格差を象徴している、半地下の下層地域では濁流(不況の波)が流れ込み汚水が溢れてみんなで避難所で雑魚寝し、翌朝は支援された古着を選び慌ただしく呼び出される。一方豪邸では下界の被害など露知らず、ゆっくりとHまでしてソファで眠り(息子ダソンは敢えて外に出て簡易テントで寝泊まりするのも皮肉的)、翌朝は豪勢な誕生日パーティーの準備をするべくクローゼットで高い服を選びキム一家を急きょ呼びつける。同じ雨でも「雨のせいで(家が水没した)」と「雨のおかげで(PM2.5もなく空気がキレイになった)」と全く捉え方が変わる。

ふと昨年の台風19号で低地だけでなく、某地域のタワマンでも汚水が逆流し電気が止まった被害を思い出した。高い所の富裕層でも何が起きるかは分からないが、何よりもSNS含め多くの心ない言葉が溢れたことが印象的で、少なからず富裕層に対するやっかみや心の貧しさが溢れ出たのだろうか?

 

ギテクが避難所で寝転んで天井を見ながら「計画なんてしたって叶わないから無計画が一番いい」とギウに言うシーンがやりきれない。苦境の中でも諦めることに慣れて思考停止してしまえばそれが一番楽なのだ(地下のムングァンの亭主も同じだろう)。

韓国では若者の貧困が深刻で、結婚・出産や家を持つこと、正規雇用などを諦めた「三放世代」「五放世代」という言葉があるらしい・・多少スペックが高くても財閥大企業に入れないと雲泥の差がついてしまう。思考停止が一番危険なのだが、かといって生まれた環境である程度決まってしまい、努力して報われるような単純な社会構造でないのが現実(日本も同じ)。

 

ギウが最後まで水石にこだわっていたのは(洪水の時も離さなかった)、家庭教師を紹介してくれた友人ミニョクにもらったモノであり、その分身として見ていたのだろう・・ミニョクの方はギウならダヘと恋愛関係になるはずがないと見下していたが。正直後半に何か絡んでくると思いきや出てこなかった。エリートとして憧れの存在であり(意識して言動をマネしていた)、夢や希望の象徴であり、全ての始まりの元だったが、ラストでは終わりの元となり最終的には不相応と見て自然の川に戻す。他人頼みではなく自分の力で這い上がるしかないと悟ったのか。

 

地下に閉じ込もっていたムングァンの亭主はそれでも満足して愛情を持って(Hもしていてコンドームもあった、性欲は貧富の差なし)暮らしていた。どんなにみすぼらしくても生きることだけは恥ではない、どう生きるかは貧富の差ではなく、心の在り様で決まるもの。洪水でギテクが真っ先に家から持ち出そうとしたのはハンマー投げ選手だった妻の銀メダルだったように、3家族に唯一共通しているものはどの家族にも家族への愛情と絆だけはあること・・だが、それだけでは生きられない現実がまた辛い。

 

息子ダソンの誕生日トラウマは絶対に克服出来そうにない、真夜中に地下からムングァンの亭主(眼光含め怖すぎ)が出てくるシーンは誰でもおかしくなるわ。ダソンが夢中になるインディアンごっこは、「元々そこに居た人々が後からやって来た者たちに追いやられる」という侵略・寄生の伏線・メタファーなのだろう。

またダソンの書いた絵をよく見ると、芝生とテントと上への矢印と目のギョロっとした人物(幽霊=ムングァン亭主)が描かれていて誕生日パーティーを予言していたのだろうか? その絵が家族写真の横に1段下に飾ってあるのも鳥肌もの。ダソンは匂いを嗅ぎ分けモールス信号にも気付いたので、正直途中までは重要なカギを握ってくるのかと思っていた。

 

個人的に好きなシーンは、ギジョンが浸水してきた家の中で逆流して噴き出す汚水を防ぐように便器の上に座ってタバコを吹かすシーン、冒頭の便器の上でWi-Fiをかざす希望から半分絶望を受け入れて生きていく諦めと哀愁が感じられカッコ良くすら見えた(水圧が低いので家で一番高い位置にあるトイレも強烈)。

後は、ソファの上で金持ち夫婦がおっぱいを「時計回し」に指定してコネコネするシーンは爆笑してしまった(「恋人たち」の同様のシーンを思い出した)。北朝鮮ギャグも露骨で面白かった・・動画送付ボタン(ミサイル)を押すぞ押すぞ、北朝鮮アナウンサーのマネ(そっくり)、地下でパク社長をリスペクト(忠誠を尽くす)するところなど。

 

印象に残るセリフも多く、「金持ち[なのに]純粋なのか?、金持ち[だから]純粋なのか?」、「金は心のシワを伸ばすアイロン」、「階層が違うと違う層の人が何をしているかはお互いに分からない」など世界中に通じるもの。

少し残念だったのは、運転手や家政婦への解雇通告のシーンが曖昧だったところ、理不尽で勝手な都合で排除された弱者の立場での人間的痛みをリアルに見せて欲しかった。

エンディングで流れる「soju of grass(焼酎一杯)」、ポン・ジュノ作詞、ギウ歌、やけに明るい曲調なのに歌詞は現実感ありすぎのギャップが耳に残る、最後まで歌詞と共に堪能すべき。

見終わった後にポスターを改めて見るとしっかりと伏線が張られていた、考えれば考えるほど良くできた映画。

 

格差社会を描いた映画は多くあり、同じアジアで昨年のパルムドールと言うことで比較されやすい日本の「万引き家族」はエンタメ度合いは低く格差社会というより血縁家族の方を重視していた感が強い、イギリスの「家族を想うとき」はリアルなドキュメンタリー感が強い、アメリカの「フロリダ・プロジェクト」もほぼリアルで「アス」は乗っ取られる側の恐怖を描いたホラー感が強い、「ジョーカー」は明らかな怒りの扇動感が強い(階段の使い方は同じ)、いずれにせよ共通して「今の社会構造・システム、時代の流れでは富はどんどん集中していくばかり」なのは間違いなく危機感が募る。

  

【(ネタバレ)ラスト・コメント】

地下から這い上がったムングァンの亭主は妻を殺された怒りもあり完全に暴走し(いわゆる”無敵の人”状態、「シャイニング」っぽさもあった)、ギウに反撃し石で殴ってパーティー会場へ乱入し、娘ギジョンを刺し殺すが、母チョンソクともみ合って刺されて絶命する。結局、ギウは一命をとりとめて一番賢くて必要なギジョンだけが死んで(逆だと思った)、皮肉にも殺人を犯した(犯そうとした)3人は生き残ることになる・・罪と罰として生き残った方が辛いという現世で業を背負いながら生き地獄が待っているのか・・

そして、クライマックスで引き金になるドンスクが鼻をしかめるシーン、助けようともせず逃げることに必死でカギをよこせの一点張りはまだ許せたが、ふと見せた鼻をつまむ仕草はギテクにとっては自分を含む下流貧困層すべてに対する屈辱として怒りの頂点(ドンスクが気にしていた度を超すライン)を超えた瞬間だったのだろう。特別憎悪していた訳ではないのに、衝動的に殺してしまい、そのまま行方不明となってしまう。結局、悪気のない無意識の差別が一番こたえるのか・・殺すまでの一連の流れに感情移入させてしまう描写は本当にスゴイ(インディアンの格好に変身させられたのは侵略される側になったということか)。

 

「金を稼いであの家を買う」と手紙に書いて、金持ちになったギウとチョンソクがあの家を買い、ムングァン亭主と同じく地下に潜んで暮らしていたギテクが出てきて抱き合うも、それは妄想で終わるラストシーン。結末としては虚しいながら全体の締めとして、今作の異様な悲喜劇を落ち着かせるにはこれしかないラストだった。

結局、元の半地下と地下に戻り、貧富の差という垂直な物理的距離は越えられない現実、ただ地下の絶望に比べれば、半地下ならば半分は光が入り開かれているので(半地上でもある)、まだそこから脱け出る未来を描くことは出来るのだろう。何気に大黒柱を失ったパク一家の方も心配になる、騙されやすい奥様と多感な娘と更なるトラウマの息子と生きていけるのだろうか?基本的には良い人たちだったので可哀想だが、運が悪かったと諦めるしかない、富裕層でなくても誰でも巻き込まれる可能性はあるということか。

 

最後にギウが目指すのは、社会への抵抗でも無く、黙って格差社会を受け入れ、自身が富を持ち家を買い戻して父を救うこと。格差は社会が生み出したはずなのに、貧困から抜け出すには個人で這い上がるしか無くて、最終的な解決方法は結局金なのか・・やはり希望ではなく父ギテクと同じ無計画の計画に過ぎないのだろう。資本主義は甘くない、この社会構造・システムである限り変えることの出来ない問題を改めて突き付けられる。

そして寄生していたのはキム家のようで、実はパク家も家事や勉強や運転などをパク家に完全に依存していてお互いに共生しているとも言える。富裕層含め社会は下層の人たちの仕事があって成り立っているのも現実。

金銭的な貧富の差はすぐには埋まらなくても、心の貧富の差はお互いに人間として尊重すれば埋めることは出来るはず。この家族は最初の半地下のままいた方が幸せだったのだろうか?みんなでピザを楽しく食べていたシーンが思い返される、幸せってなんだろう?、それでも人生は続いていく・・