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「ラストレター」 ★★★★ 4.4

岩井俊二ワールド全開「if♪」「ロマンティックが止まらない♪」「また君に恋してる♪」「女々しくて♪」広瀬すずの美しさと森七菜の透明感あふれる清き乙女と童貞臭あふれる変態ストーカーの青春寓話

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すれ違いや勘違い、現代と過去が入り乱れる2世代に渡るラブストーリーを手紙というモチーフを使って描き出す、代表作の一つである「Love Letter」と同じテーマのアンサー的な姉妹作品であり集大成的な作品。物語もキャラクターも演出も全てが映像作家「岩井俊二」の映画で、誰が見ても分かってしまうオリジナリティは健在、相変わらず「少女命」の変態性で今作では広瀬すずと森七菜の二人をため息がでるほど美しく撮っている。

いつものごとく設定や展開に無理があり過ぎるけど、岩井俊二のお洒落マジックによって気にならなくなるし、90年代からの岩井作品ファンや全ての厨二病者(30代、40代)たちには堪らないはず。個人的には今までの残酷さや毒気はかなり薄めなのが若干物足りなかったが、前作「リップヴァンウィンクルの花嫁」のやりたい放題から今作は豪華キャスト含め確実に当てに行ったベスト盤なので致し方なし(企画プロデュースがあのヒットメーカー川村元気だった不安が少し的中)。

 

話としては妹の裕里(松たか子)は姉の未咲(広瀬すず)が亡くなったことを伝えに姉の同窓会に向かうが、姉と勘違いされてそのまま言い出せず、初恋の相手の乙坂鏡史郎(福山雅治)と再会して姉のふりをしたまま手紙のやりとりをする、その中でそれぞれの娘(森七菜と広瀬すず一人二役)とリンクしながら3人の学生時代の想い出も浮かび上がっていく・・という初恋の淡く切ない物語となっている。

ただ客観的に見ると実はみんな微妙に気持ちが悪い、乙坂も裕里も福山と松たか子だから許されるところもあるが、基本的にやってることは相当怪しく危ないやつとも言える(おっさんの変態ストーカー)。ロマンチックながら変えられない辛い過去と初恋の人の面影をずっと引きずっている、初恋は尊いものだが結局人が人を愛することは盲目になり訳も分からず気持ち悪くなってしまうことでもあるのだろう。

誰かを好きになる気持ち、それに気づいてもらえない切なさ、もどかしさ、もう会えない初恋の人を今も想う気持ちを思い出させてくれる。もし、あの人と付き合っていたら・結婚していたら違った結果になっていたはず・・岩井作品の「if」の世界は実現はしないけど、それぞれの物語があって繋がっていくことに何とも言えない暖かさを感じる。忘れられない人から忘れたくない人へ、忘れられなかったそれぞれの淡い想いが、誰かの想いに触れることで少しずつ溶け出していく。

 

若者から老人まであらゆる世代が恋をして手紙によって結ばれているのが素晴らしい、手紙と恋心は同じで渡しても受け取ってくれるのか返事がくるかも分からないが、きっと通じているはずだと願わずにいられないもの。ラストレターは生命の再生と循環の物語でもあり、新しい世代の少女・娘たちに輝きを与えていく。人が死んでも想い続けたらその人は誰かの中で生き続ける、自分が誰かを想うように誰かが自分を想っている、今の自分を縛る過去の想いが実は誰かの支えや希望になって未来に繋がっているのかもしれない・・

個人的にはやはり「Love Letter」の印象がいまだ強すぎて比べるとやや凡庸さを感じるけれど、誰もがあの頃に戻れる、特に高校時代の想い出や初恋がしっかりある人には響くであろう繊細で素晴らしい青春映画であった(死と再生や震災を描いた物語でもあるが)。岩井俊二をあまり知らない現代の若者たちはどう観るのだろうか?気になった(若い観客は少なかった)。

 

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・コメント】

手紙は、誰がいつ書いたか、誰がいつ読んだかによって、その意味や価値を変化させながら書き手と読み手の心をつなげている、それぞれのタイミングで手紙から力をもらって、過去を受け入れ今を生きて行く一歩を踏み出す。少し複雑ながら混乱することなく、それぞれに起こっていることや心情がしっかりと分かる脚本は見事だった。

原作は岩井監督本人が執筆した小説だけに、全体的に小説のような想像力を掻き立てる余白を意図的に作った表現になっていて、古びた学校や田舎道に光や風が通り抜ける透明感、静かな川べりにそっと浮かぶ哀しみや煌めき、そんな思春期のひとかけらを映し出している。

岩井ワールドを作り上げた立役者である撮影監督の篠田昇さんの死で心配された撮影も一番弟子の神戸千木さんが見事に務めていた。裕里の視点では手持ちカメラが多用され裕里の揺れ動く不安な心情を漂わせている、一方で乙坂の視点ではカメラはフィックスで比較的長回しが多く、過去に囚われて止まっている心情を表している。また、裕里と乙坂がヨコに並ぶ構図ではバス停のポールや窓枠などで二人の間が仕切られていて、ラストでその仕切りをまたいで初めて握手をするところは見事だった。仏壇の上に置かれている未咲の遺影から見た世界を撮影しているかのようなカメラアングルも印象的。

新たな演出としてドローン撮影でのショットが多用されていて驚いたが、若干風景が浮き気味なのが気になった、ちょっと使い過ぎの感もあるが、オープニングの俯瞰図と同じながらエンディングでは未来を感じさせる印象的な風景になっていたのは良かった、未咲が空から見守っている視点なのだろう。

恋愛映画での光の取り入れ方やカメラワークなどの演出や描写において、ほとんどの恋愛映画が岩井俊二の影響を受けていると言ってもいいくらいだが、それをアップグレードした若手監督の新たな演出も増えてきている。そのため今作ではあまり新鮮味は感じられなかったし、むしろ旧いと思わせる演出シーンもあったのは時代の流れなのだろうか?、もちろん完成度は高いし女優を美しく撮らせたら随一なのは間違いないのだが。

 

雰囲気的に「花とアリス」に近い部分があり、手紙の仕掛けは花が宮本先輩に昔付き合ってたと嘘をついて始まっていく感じと似ている。また、新海誠監督(岩井作品に影響を受けたと公言している)の映画にも通ずる男性目線で見た美化された理想の女性像も感じられた。男は初恋を美しいものとして美化しがちで、いつまでも引きずるのはダサいし女々しくもあるが、過去を引きずりながらも前に進む展開は王道だけどみんな好きなのだろう。

冷静に考えたらなぜ乙坂と未咲は別れなきゃならなかったのか?あそこまでの想いを抱きながらなぜ別れたのか、重すぎたのか?、付き合った大学時代を描いていないので少し消化不良なところもあるが、余計に高校時代をクローズアップして想像するのも良かった。今作はあえて「現在の未咲」の姿を一切登場させないことで未咲が“不在”であることの喪失感がより際立つようになっているし、他者の視点から語られることでラストまでの展開を成り立たせる構造でもあるので。

また、この映画は東日本大震災のことも話しているのだろう、岩井監督の故郷でもある仙台の美しい風景をドローンを多用して余すところなく撮影している。濃い緑の杜の都、豊かな水の流れ、朽ちていく校舎の対比がとても印象的で、生と死、終わりと再生のイメージが遅々として進む復興の息吹にも感じられるようで。

未咲と乙坂の初めての共同作業である卒業式の答辞の言葉「私たちの未来には無限の可能性があり選択肢は広い」、「夢を叶える人もいるでしょう、叶えきれない人もいるでしょう」、「辛いことがあった時、生きているのが苦しくなった時、きっと私たちは幾度もこの場所を想い出すのでしょう」「お互いが等しく尊く輝いていたこの場所を」・・卒業生にあてた「ラストレター」として、岩井監督から我々や被災者にあてた「ラストレター」としてメッセージが込められているのだろう。

 

予告編にすべてが詰まってる感があり、正直、予告で想像がつくことが起こるしそれ以上でも以下でもなかった。あと音楽が少し鳴り響きすぎて、いかにも感動して下さいの時に押し付けがましいと感じた、もう少し静かなシーンでも良かった(この辺はプロデューサー川村元気の影響のような気がする)。

エンディングの主題歌は森七菜が歌う「カエルノウタ」、作詞:岩井俊二、作曲:小林武史という鉄壁だけに、少しか細い透明感あふれる歌声で歌われる完璧にマッチした歌詞(祈りや墓標)とメロディにギュッと胸が締め付けられた。美しさと残酷さの両面を描くという岩井俊二の作家性が表れていた。

 

【役者】

役者は違うけど同一人物は同じ人間性で、同じ役者だけど違う人物は違う人間性でそれぞれ演じ分けられて、混乱させずにスッと入ってくるのは見事だった。森七菜が松たか子に成長し神木隆之介福山雅治に成長するのに全く違和感を感じなかった。

福山雅治は売れない小説家として出来るだけかっこよくなりすぎないように意識したのだろうが(ヒゲがいまいち似合わない)、どうしてもにじみ出るカッコよさにやはり違和感があった、特にカメラを構えた時など福山そのものだった。

広瀬すずの安定のヒロイン感と美しさはさすが、高校生役の少女感もバッチリで演技の使い分けも見事、ほんのり醸し出される色気に目を奪われてしまった。学生時代の美咲と娘の鮎美はどちらも年齢の割には大人っぽいが、優等生の生徒会長と姉という立場と、虐待と母親の死で成長せざるを得なかった立場の違い、森七菜といる時だけ幼くなるなど絶妙なニュアンスの使い分けが素晴らしかった。

森七菜の透明感も半端なく宙に浮いた感じや圧倒的な妹感もすごい、すずちゃんと並んでも負けない存在感で、目の奥に秘めたものも感じさせタダ者ではない匂いがする、特に学生時代に裕里が乙坂にバレて手紙を渡す時のあの目が素晴らしかったし、最後には少しだけ成長した感じも良かった。

とにかく、この二人の純粋無垢で瑞々しい繊細な美しさにただ見とれるしかない、美しい風景と共にフィルター越しのフィルムに映った二人の画は一枚のアートとして成り立つ。1番好きなのは乙坂が校舎で犬を連れている二人と出会うシーン、美少女に降り注ぐ透き通った完璧な光が天使を祝福するかのようだった、別れ際に二人の少女をカメラにおさめ写真の世界の中で時を止めてみせるあたりがいかにも。あと、二人が布団でいちゃつくシーン(絶対に監督の趣味)や薄手ワンピースの2ショットの威力が尋常ではなかった。。古民家でひと夏を過ごす広瀬すずと森七菜の映像だけでも2時間延々と観てられるレベル。

 

最低DV野郎の阿藤に扮するトヨエツの存在もさすが、そのキャラクター造型の凄さもあるがセリフのひとつひとつに妙な納得感があり強烈な印象を残す。確かにあの女々しい福山では敵わないし、得体がしれなくても駆け落ちしてしまうし、囚われたまま自殺してしまうのも分からなくもない、人生を語れる言葉がとても刺さって現実ってそうだよなとも思ってしまう。

阿藤は何者にもなれなかった者の象徴であり、乙坂も同じ道をたどるかもしれない人物像だったのかもしれない、IFもし未咲と結婚していたとしても彼女を幸せにできたかどうか分からないのが現実。中山美穂(イタい感じが現実味あり)を含め「Love Letter」の二人にこんな役を演じさせるとは時代の流れとは言え恐るべし。ただこの二人から感じる焦燥感は、必死に生き延びてきた「被災者」としての現実を映すメタファとして描かれていると考えるとまた違って見えてくる。

あと、庵野秀明がまさかの松たか子の旦那役とは、岩井俊二庵野作品「式日」に出演したお返しの出演らしいが、今回はあの異物感(モラハラ過ぎるけど)が良かったのでは。あと裕里の息子役として降谷建志MEGUMIの息子の降谷凪くんが出ていたが、あまり印象に残らず。裕里の母親役の木内みどりさん、今作が遺作になってしまったけど素晴らしい女優でした。

 

【(ネタバレ)ラスト・コメント】

ラストシーンのラストレター、鮎美が遺書と自分の母である未咲について乙坂と語り合うシーンにはやはり泣けてくる(鮎美が未咲の遺影と被るように撮られた構図から未咲が娘の身体を通して語りかけているかのようにも感じられた)・・鮎美が乙坂に対し「もっと早く来てくれていたら…」それぞれの事情や気持ちが分かっているだけに人生の難しさ・厳しさを改めて感じる。

すれ違って届かない手紙も差出人が違う手紙も、時を超えて誰かの支えに救いになるかもしれない希望に満ちたラストだった。トヨエツが「お前は未咲の物語に何も関与していない」と言っていたが、乙坂は裕里にとってずっとヒーローだったし、たくさんのラブレターや売れなかった小説は間違いなく未咲を支えるものだった。裕里と乙坂が囚われていたIFの世界から抜け出し未来へ踏み出し、そして娘の鮎美にもこれからの支えになっていくように、手紙が誰かの人生に寄り添うことの素晴らしさに感動させられた。

 

未咲の掴めなかった本当の姿が最後に少しずつ周りの人を含めた言葉で浮かび上がってくる、遺書にも書かれた卒業式での「答辞」=ラストレターから伝わってくるもの、「夢を叶えた人も叶えられなかった人もいるでしょう、それでもこの高校時代の想い出にはいつでも戻ってこられる」、時を超え巡り巡って美咲が自分自身や娘や乙坂に言い聞かせたかったのかもしれない(だから乙坂が二人の娘と高校で会うのは必然)。そして二人で作った答辞や小説がある限り、その中で未咲はずっと生き続けることが出来るのだろう。

ただ、個人的にはどんな理由があれ子供を残して自殺する未咲はどうしても好きになれなかった、父親も居ない鮎美を残して自分だけ楽になろうとする身勝手さと最後の鮎美への遺書もあまり納得できず。

 

SNSはすごく便利だし伝えたいことがすぐに伝えられて相手と共有できるが、なかなか来ない返事を「待つことの楽しさ」や「募る思い」が失われて相手との「行間」を感じられなくなった。また、ネット上だと死んだらパスワードの保護や消去されて忘れられてしまうかもしれないので、ずっと残しておきたい大切な言葉は書き物にして伝えておきたいと改めて思わされた。

手紙は一方通行ですれ違いもあるけどちゃんと形として残るし、残された側は亡くなった人をその人の中で長く生きさせることができるはず、「誰かがその人を思い続けたら、死んだ人も生きていることになるんじゃないか」。

世の中にはどうしようもない悲しみが存在するが未来は開けている、恐れてはいけない、前に進まなければならないのだ。夢も叶えられず何者にもなれなかった僕でもきっと誰かを支えているし、君たちにも僕は支えられている、「みんなが等しく尊く輝いていて無限の可能性がある場所」を大切に思いながらこれからも生きていくのだろう。