映画レビューでやす

年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「レ・ミゼラブル」 ★★★★☆ 4.7

◆「あぁ、無情」「世の中には悪い草も悪い人間もない、ただ育てる者が悪いだけだ」衝撃ラストの投げかけと怒りと憎しみのスパイラル、アレ・ミセラレル、コレ・ミゼラブル

f:id:yasutai2:20200318191641j:plain

ドキュメンタリー畑で鍛え上げたラ・ジリ監督の長編デビュー作品、自身の出身地である「レ・ミゼラブル」の舞台パリ郊外モンフェルメイユで起こる移民・貧困層と警察との対立を描いた物語。地方出身のステファンが地元警察の犯罪防止班に加入して、気性の荒いクリスと黒人系のグワダと共にパトロールする中、少年イッサが引き起こした些細な出来事から、事態は取り返しのつかない大きな騒動へと発展し悲劇の連鎖を生んでいく・・移民、格差、腐った権力といった現代のフランスが抱える社会問題の闇を描いた作品。

本作では一本のパンではなくライオンの子どもが盗まれたことにより物語が走り出す、そこから浮かび上がる街の勢力図と抑止力として搾取や暴力によって保たれているバランス、いつ崩れて爆発してもおかしくない状況で歪みが重なって行き着くラストシーンまで目が離せなくなる。

ユゴーの「レ・ミゼラブル」の貧困に、民族・宗教に起因する差別・分断が新たな要素として加わり、より複雑で混沌とした深まりを見せる。そうした世界共通の社会の病巣を鋭く鮮やかに描きながら人々の抱える憎しみや暴力といった普遍性にどうしようもなく感情を揺さぶられた。

 

爆発寸前の怒りにまみれた人々のリアルな会話をはじめ終始ずっとドキュメンタリー映画を観ているようなヒリヒリとした緊張感が伝わってくる、社会的なテーマを掲げながら、サスペンス映画としても秀逸で見やすく衝撃のラストまで一級のエンターテインメントとしても良く出来ていた。

カンヌであの「パラサイト」とパルムドールを争ったのも納得だし(パラサイトが無ければ今作だったはず)、アカデミー賞外国語映画賞ノミネートにセザール賞受賞も当然、新世代の社会派映画としてスパイク・リーが絶賛し期待を寄せるのもよく分かる。デビュー作品でこの完成度、ラ・ジリ監督恐るべし!

 

※ここからネタバレ注意 

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

     ↓

 

【(ネタバレ)演出・コメント】

今作は地元出身として監督の実体験をベースにしていることもあり、ドキュメンタリータッチにすることで場の”空気感”を生々しく切り取っていて、セリフではなく映像で観客に察させる技術はとにかくドライだけど丁寧な演出となっている。追跡シーンで観客が距離感を失わないように計算され尽くしたショットや、クライマックスの閉鎖空間でも混乱しないでアクションを分かりやすく魅せるなど長編初監督とは思えない熟練のレベルだった。

作品冒頭は2018年サッカーW杯でフランスが優勝した時の熱狂シーンだが、ラストを観た後では違った見え方になってくる。当時のフランスチームは3分の2が他国にルーツを持つ選手だったが(エムバペとかポグバ凄かったなあ)、勝利に沸き高揚していた群衆の一体感が悲しく分断されていく・・人々のエネルギーが向かう先が簡単に変わってしまう怖さ、ナショナリズムの希望からナショナリズムの空虚さを感じてしまう。

 

多人種・多文化の国フランス、人種や宗教も違って貧富の差が改善されることもない世界の縮図のようでもある、郊外のモンフェルメイユはパリへのアクセスの悪さから陸の孤島となり貧しい人々が暮らしていて、警察も人権や法律を無視して威張り散らしやりたい放題、そんな大人たちに囲まれた子どもたち。予告編からは警察官の横暴に対して冒頭の熱狂と対比して市民が大暴動を起こす話かと思っていたが、終盤では子供の目線となり子供たちが大人に怒りを爆発させる話だった。

市長も警察も出てくる大人たちが全員揃って自己中で保身ばかり、声高に自分の主張だけして暴力で威圧する、そんな余裕の無い親たちに放置されて悪い事は悪いと教われない子供たちの行き場のないエネルギーと無垢で際限の無い悪事。子供の取締りや令状のない家宅捜索など一触即発となりかねない部分が何度も挿入されていて、きっかけはいくらでもあって導火線に火がついたら一瞬で爆発してしまう。

誰もが抑圧された結果こうなったのかと思うと、どこで間違えてどうしたら戻せるのか誰にも分からない。法の番人として暴力で押さえ込むしかなかったのか?優しく説得すれば素直に応じてくれたのか?、自業自得と言えばその通りなのだがどちらの側についても正義とは言えないジレンマが見ていて辛かった。

 

全編を通してドローンでの空撮が印象的、まるで神の如く俯瞰しながらクライマックスに向けて少年の目線に引きずり込まれる。この悲劇の連鎖を他人事と知らんぷりしないで自分の目で直視しろと言わんばかりに。大人たちはそれぞれの立場があり大人なりに問題を丸く収めようと必死なのだが、当然そんなことは子供には理解できないし、暴力で押さえつけられたり見捨てられたりすることへの怒りだけが溜まっていったのだろう。

警察も実際の現場では机上の正論だけではとても太刀打ちできないことも多く、白人であるクリスもこの厄介で危険な世界では強い態度で臨まないと威厳を保てないのかもしれない(クリスが悪役としてとことんクズに徹することでこの緊張感がキープされていた)。そんな彼らにも家庭があり家に帰れば子供の父親としての日常があり、生き抜いていくのに必死なのだ。

それでも全ての大人たちが自分の都合だけで行動していくので、イッサは成るべくして暴動も起こるべくして起こった、多様なコミュニティ同士はどこか怒りが根底にあり恐怖と暴力の不思議な均衡で保たれていた秩序は、少しの歪みが積もりに積もって脆くも崩壊する。そして正義である警察が暴力を振るうなど彼らの言動を見て育ってきた子供たちもまた、将来は子供に乱暴な大人や警官やギャングになってしまうのだろう。

一方でパリなどに住む白人エリートたちはこんな世界とは無縁で気にも留めないのだろう、「誰も悪くないけどみんな悪い」というのが何とも言えない。。生まれ落ちた環境、大人たちが子供たちの未来を決めてしまうものなのか。。

 

全体的に良くできていて素晴らしい映画だけど、強いて言えばそれぞれのバックグラウンドがいまいち弱くて、ドローンを操縦する少年やイッサの家庭環境などをもう少し描いても良かった気がした。

今作を観て思い浮かべるのは、同じく郊外の移民二世たちの暴力と怒りに満ちた生活がリアルに描写され1995年カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したマチュー・カソヴィッツ監督の作品「憎しみ」、2005年に起きたパリ暴動を予見した作品でもあった。「憎しみ」はフレンチ・ノワールらしいスタイリッシュな映像美だったけど、今作は手持ちのDVカメラやドローン撮影によりジャーナリスティックな映像となっている。

また、よりエンタメで衝撃的なブラジルの「シティ・オブ・ゴット」やスパイク・リーの「Do the right thing」、郊外団地の移民争いでは「ディーパンの闘い」、新人教育の悪の手本では「トレーニングデイ」も思い出される。カンヌを争った「パラサイト 半地下の家族」も貧富に因る格差社会がテーマだが、今作では貧困層のみで構成されているのが印象的だった。

 

【(ネタバレ)ラスト・コメント】

終盤ずっと大人の目線で進んできたこの話が子供の目線になっていく、特に緊張感のあるラストまでの30分の怒涛の展開は息を飲む暇がないくらい、その直前に警察3人それぞれの家族シーンを幸せに描いていたのも上手かった。

大人たちの間では何とか問題は納まったように見えたが、イッサの中でのくすぶり(屋上から見つめた顔が何とも言えない)は治まらず、子供たちの溜まっていた怒りととも爆発して暴動となり、警察3人は団地の階段下に追い詰められて、イッサが火炎瓶を投げるか投げないか?、対峙したステファンが銃を構えて撃つか撃たないか?寸前のお互いの見つめ合いで終わる(団地内の狭さを利用した激しいアクションも見事だった、「パラサイト」と同様に階段の使い方(子供が上で大人が下)も上手かった)。

ラストカットのストップモーションも「安易に結末は見せません、これは今まさに現実に起こっている問題であり、少年に火炎瓶を投げさせるか止めさせるかは我々大人にかかってるのだ」・・・と監督から観るものに最も重いものを最後に投げかけられた感じ、賛否あるだろうが映画として一番面白いところで終わらせたのも個人的にはありだった。・・どちらが動いたとしても良い結果にはならないが、お互い対話で拳を下ろすことはできるはず。

 

果たしてイッサはどうしたのだろうか?、ライオンの餌にされそうになった冗談ではないトラウマもありそれぞれの大人の都合で振り回された怒りの頂点だったが、ラストで対峙したのが唯一ケガを一番に心配し病院に連れて行ってくれたステファンだったのが救いなのでは。おそらくクリスやグワダだったら躊躇なく火炎瓶を投げただろう、最後イッサの迷いが生じた表情に希望を持ちたい、先ずはちゃんと話をして聞くこと、ステファンのような大人もいるしそんな大人にならなければならないのだ。

ステファンはケバブ屋の更生した元ボスとの話し合いで、赦しを乞いながらも互いの尊厳やリスペクトをもって諭し均衡を保とうとした、「あの年の暴動を思い出せ、あんなことはもう起こしたくない」と、元ボスは「怒りは止められない」と答えながら「あんたを信じたい」と応える。

お互いを想い話し合い認め合うこと、悪いことをしたら謝るという基本的な道徳心を持つこと、みんながライオンの子ども(作中唯一の癒しの可愛さ)のように人間の子供たちを大事に可愛がること、これぞ今まさに再認識すべきではないだろうか(個人としては分かり合えても集団になった時に相容れなくなるジレンマはあるが)。

 

まさに対極的なオープニングとラスト、開かれた広場でみんなで喜びを分かち合うのと狭い団地の階段で怒りをぶつけ合う、誰が悪いのかどうすればこの負の連鎖を断ち切れるのか分からない。ユゴーレミゼラブルから時代が変わっても事態は何も変わっていない、むしろ酷くなっているのかもしれない。

最後にユゴーレ・ミゼラブルの言葉が観る者の心に刻まれる「友よ、良く覚えておけ、世の中には悪い草も悪い人間もない、ただ育てる者が悪いだけだ」・・悪い草だらけの中に入り込んだらみんな悪い草になって枯れてしまうしかないのか? 全世界や現代にも共通なのは、民族対立、権力闘争、格差社会の中での弱者は常に子供であり、いったん崩れたら簡単には修復できないことであろう、今作を観終わった今でも心に重くのしかかっている。

ラ・ジリ監督の次作も楽しみだが、どうも3部作になるとのこと、その間に世界はどうなってしまうのかと心配にもなるが、この行く末をきちんと見届けるのが我々の責務として待っていきたい。