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「火口のふたり」 ★★★★ 4.2

◆食べて寝てセックスするだけの人間三大欲求解放映画、明日終わるかもしれないふたりだけの世界で、自分の心と身体は誰とどこで何をして生・性したいのか問いかけてみる

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登場人物は男女二人(柄本祐と瀧内公美)のみで、ひたすら食べて話してセックスするの繰り返し、人間の本能のまま欲望のまま身体の言い分に任せて生きる二人の物語。東日本大震災で特別大きな被害は無かった秋田県、元恋人の結婚式のために東京から戻ってきた男がのめり込む愛と性の5日間を、シンプルな会話劇で淡々と描きながら唐突とも言えるラストへなだれ込む。

カラダの精神性を、311以降の日本社会の混沌に鮮やかに重ねて描いてみせたのは大御所の名脚本家・荒井晴彦(「幼子われらに生まれ」は絶品)、自らメガホンを撮っただけにらしさ全開で、エロさだけに終わらない深みとリアリティーある絶妙な脚本は流石としか言えない。

本編の7割は二人のセックスシーンなのにそこまでイヤらしく感じないのが不思議、普通の生活の延長として主演二人の醸し出す自然な空気感と体を張った熱演のおかげだろうか、とにかく見事なキャスティング。残りの3割の会話劇は荒井監督らしく独特のセリフ回しとかセリフで全部説明する感じはあるけど、絶妙な間合いとさりげない仕草や行動や、親密な関係でないと出来ない挙動や遠慮のない立ち振る舞いから二人の過去の関係性が炙り出されていく。共感とは違うけど何となく分かる感じが心地良く、羨ましくも絶妙なクズさ加減がいかにも「人間」らしく自然災害と対比して人間が生きる現実の様を改めて見せられた。

 

今作は、批評家からの評価は高く、なんとキネマ旬報1位と主演女優賞のW受賞、映画芸術日本映画1位(荒井晴彦自身が編集長なので当然)、ヨコハマ映画祭作品賞と2019年ベストに挙げる人も多い。確かに批評家受けの要素はたくさんあるし、ましてや大御所・荒井晴彦のネームバリューも大きいので分からなくはないが、個人的には良質な作品だが1位の映画ではないかな。

R18で当然一般受けはしないし荒井晴彦らしい主張も激しく賛否両論の観る人を選ぶ作品ではある、完全に往年のロマンポルノを思わせながら、意外とあっさり感が今風でもあり、純文学を読んでいる様な世界観(「海を感じる時」や「この国の空」にも近い)。理屈ではなく体も心も全てありのままでいられるか、実際にそんな相手と一緒にいれる人、巡り合う人、どれだけいるだろうかと思い描きながら観るのもいいかもしれない。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・コメント】

無駄を全て削ぎ落とし登場人物を二人に集約して性描写に意味を持たせ、奥深い物語をセックスだけで描ききった、荒井晴彦監督の潔いまでに洗練された演出力は見事。カメラはフィックスでの長回しが多用され、アートっぽい映像の質感はドキュメンタリーのようで、文字通り丸裸のありのままの「生」「性」が記録されている。

冒頭のハメ撮り写真もモノクロで美しく、この写真なら残しておきたくもなるくらいで、秋田の空気感と海岸に建つ家のロケーションも素晴らしく、日本海の冷たい感じやベッドに座って夕陽を眺めるショット、海辺の壮大な風車群をバック前に話す二人なども良かった(秋田の亡者踊りも)。あと大事な食事シーンも多くて、どれも美味しそうに意がっつくわけでなく意外とキレイに食べていたのが印象的だった。

原作のまま文学的で堅苦しくぎこちない言葉回しと説明的なセリフ、そこにまさかの近親相姦、東日本大震災福島原発、戦争と自衛隊集団的自衛権など荒井監督らしい思想信条や反骨精神が露骨にねじ込まれている。正直、二人が60~70代なら分かるが、さすがに30代前後の二人が語ると違和感があったのは歪めない。

 

改めて今作は原作者の白石一文や荒井監督が創り出した妄想であり、あくまでも男(特におっさん)目線で作り上げられた理想の元カノ像なのだろう、結婚前に一瞬ヨリを戻してくれる男に都合のいい女。このステレオタイプには一般の世の女性は怒る人も多いのではと思うが、実際の感想はどうなんだろう?、子どもを産みたいから結婚したいという気持ちやセックスの主導権、誰の子どもを産むかは女の方で決めるなどの強さには少し共感はあるのかもしれないが。。

ただ、現実ではこの選択をしない人が大半なのでは、いくら心と体が良くても経済力のない男は子どもにとっても厳しく結婚まではいかないはず、だからこそ今作の限られた5日間が夢のような願望に思うのかもしれない。実際には本能だけで生きてはいけないから悩むのだし、人はもっと複雑だからこそ美しいのだから(いとこ同士というモラルの後ろめたさもあり別れたのだろうし)。

それでも、女性にとっても抗えないくらいの心と体の繋がりは憧れるだろうし、最高のセックスはこれ以上ない信頼関係も大きいのだろうし、「今夜だけ、あの頃に戻ってみない?」と素直に言葉に出すのは、一瞬の快楽のためではなく心から愛した人との失った時間を必死に取り戻したかったのではとも思った。

かなり久しぶりのセックスを何回かした後、しみじみと「セックスって気持ちいいな」とつぶやくシーンや、やりすぎて腫れた性器をお互いにケアし合うシーンが何気に好き。路地ウラはギリギリOK?だけど、あのバスの中はさすがに露骨すぎて引いてしまうしアウトだろう・・しかし、ほぼ体の一部を隠してしまう大きなボカシは酷すぎ、何やってるか分からないくらいで美しいのに笑ってしまって入り込めなかった。

 

秋田県が同じ東北として震災での被害が少なかった故に「なんか負い目」と感じるところは、おそらく同じような地方の人も感じていただろうし、「だって他人事だろ」「被災者のフリはできても被災者にはなれない」とある意味正直なセリフも偽善よりも心に響いた。一見冷たく感じるが、逆に言うと物凄く本質を捉えていて、他人や天災をコントロールすることは出来ないのも事実だし、誰もがいつ死ぬか分からない未来を悲観したり悩んだりするのは意味がないのだ。

今作からは死の香りが漂い、終末的な空気感の中、自然の中の一つの生き物としての営みとして描かれており、一個人ではどうすることもできない大きな問題に対して、パーソナルな「生」「性」で立ち向かっている。そして世界の問題が二人の関係性に直結する物語だと「セカイ系」とも言えるが、今作は二人だけの世界に没頭していくほど社会から離れ世界は破滅に近づいていくので新海誠で言えば「天気の子」となるのかな。

また、「パラサイト」で父親が避難所で言ったセリフ「計画なんて立てない方がいい」と被るところもあり、明日何が起こるか分からない今、思うまま1番大切な人とどう過ごすか見極めた方がいいのかもしれない。

 

役者は全編二人芝居ということで大変だったのは想像に難くないが、とにかく瀧内公美の体当たり演技にはお恐れ入りました。実は前作の「彼女の人生は間違いじゃない」でも、震災にあったデリヘル嬢として見事な脱ぎっぷりと繊細な演技だったので、同じような役と言えばそうだし出来るレベルではあった。ナチュラルな雰囲気と演技とスタイル抜群の裸で、たまに甘えた感じや拗ねた感じで言うセリフが本当に可愛く、言葉とは裏腹の本音の心の内を見事に表現していた。

柄本佑も決してイケメンではないのに独特の色気もあり何気にスタイルも良い、今作や「きみの鳥はうたえる」の様な役柄を演じさせたら間違いない。余計なしがらみや世間体なんて気にしないで飄々としたぐうたら感が憎めない感じ、話すテンポ感やマイナスイオンのような空気感も魅力的。ただ電話のシーンで父親役の声が本当に柄本明だったのは狙い過ぎだったかな。

 

【(ネタバレ)ラスト・コメント】

ラストはさすがに唐突な印象で驚きはしたが、実際に富士山の火口が噴火することになっても、今までの流れからメタファー的に描かれてきたことでそれまでの怠惰な日常描写そのものが尊く思えてもくる。そして最後のセリフ「中に出していいか?」「いいよ」、お互い二人の子どもを作ることに合意したということ(拒否した前フリあり)。

ただのその場の快楽ではなく今までのあの頃を振り返るだけでもない、死を目の前にして生・これからの未来へ希望を見据えたのか・・火口に落ちて一度は死んだ二人が再びマグマとなって生まれ変わるのか。賢治が冒頭と終盤に来ていたシャツを直子に着せて言わせるところや、最後の噴火の画と喘ぎ声を重ねる演出は正直微妙ではあったが。

終わりが見えているからこそ今を生きられるのか・・その熱に浮かされた高揚感も幸福感も永遠には続かないのは分かっている、実際には終わりなんて来ないのも分かっている、だからこそ今を生きるしかないのか・・火口の写真のように永遠にあの頃を焼き付けて残していけるのか。

 

先の見えない世の中、先の見えない人生、個人では抗えない大きな流れの中で生きていくしかない中では夢や理想も自分の存在意義も変わっていかざるを得ない。富士山の噴火でなくとも世界の終わりはいつどこで来てもおかしくない今、自分の人生を自分らしく生きて素直になろう、何が起きても腹は減るし眠くなるしセックスもしたくなるし、子どもも生まれるのだ。

世界の終わり、誰と一緒にいたいのか、二人で火口に立って、深く堕ちて飲み込まれるのか?、熱く噴火して燃やし尽くすのか?、新たな火口を作り出せるのか?、最後までどうありたいか考えさせられる映画でもあった。