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「洗骨」 ★★★★ 4.2

◆骨を洗うことは自分自身を洗い出して向き合うこと、笑って泣けるゴリゴリのヒューマンドラマ、命のおわりとはじまり自分のルーツ「祖先とは今を生きる私たちなのだ」

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照屋年之監督=ガレッジセールのゴリ監督ならではの、沖縄愛にあふれる笑って泣ける見事なヒューマンドラマ、吉本芸人と侮るなかれ元々は日本大学藝術学部映画学科中退だけに映画としてのクオリティは高く、自分にしか撮れない個性も十分に感じさせられた。

「洗骨」とは沖縄県粟国島の風習で死者を風葬し4年経ってから掘り起こしその骨を洗う儀式でなかなか衝撃的、妻の死を受け入れられず酒浸りの父、エリートで妻子と上手くいっていない息子、未婚で出産間近の娘の3人が”洗骨”を通して家族の絆やそれぞれの問題を乗り越えていく物語。

重いテーマで暗い話になりがちだけど、クスッと笑える間の取り方や泣けるところのバランスが見事であり、雄大で美しい島の景色や役者たちの自然さも重なって、観終わった後には温かい気持ちで生きる勇気が湧いてくる。

 

現実と向き合うことは本当に難しくて辛いことだけど、受け入れない限り時間が止まったまま前には進めない・・この家族だけでなくみんながそういう葛藤を抱えながら生きている中、母親の”洗骨”という儀式に集まってお互いに本音をぶつけ合って受け入れ合い、わだかまりが少しずつ洗われていく様が本当に素敵だった。

特に娘の恋人役のQ太郎がいい味を出していて、この家族の潤滑油になっていた、何も知らない外部者として観客が持つ疑問をストレートに言葉にしてテンポよく進めたり、緊張感の増してきた絶妙なところで笑いを入れたり、見事なコメディリリーフとなっていた。このキャスティングを含め他の芸人たちが監督した作品と比べても抜き出ていて、ゴリ監督のこれからの作品も大いに期待が出来そう(ゴリエで「MICKEY」でチアダンスを踊っていたとは思えない)。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・コメント】

”洗骨”シーンを中心に上空からの俯瞰したショットが多く、粟国島の沖縄らしい風景も楽しめたけど、説明的なセリフが多かったので、もう少し映像や役者に頼っても良かったかな。

島の東側に集落"この世"があり、西側には"あの世"がある、この一線を越えるのが曖昧でユルーい感じが微笑ましくて、笑いどころとしては「馬鹿野郎!」からの「セーックスゥ!」の子どもの流れは最高だった。

テーマは全然違うけど、何となく家族のあり方や少し狂気を感じさせるところが「湯を沸かすほどの熱い愛」を思い浮かんできた。

 

役者は筒井道隆のお得意な朴訥とした感じ、水崎綾女の美しさと強さ、奥田瑛二のダメダメの弱い親父っぷりの存在感はさすがだし、鈴木Q太郎の悪い人じゃないのに無神経で天然で空気が読めない感じが本人そのまま投影されたようなキャラクターが最高だった。

そして、大島蓉子さん演じるおばあも最高で、テキパキしながらズバズバ言って家族の仲を取り持ったり、出産では的確な指示までも出す、誰もがこんなスーパーおばあちゃん欲しくなることだろう。繰り出される名言も良かった「人間無理すると何かが壊れる」、「テキトーな悪口にはテキトーに傷つけ」・・

 

【(ネタバレ)ラスト・コメント】

洗骨のシーンも出産のシーンも少し冗長と思わせるくらいじっくりと丁寧に伝えようとしていた、洗骨のシーンはホラー的な怖さもありながら美しいという不思議な感覚に襲われた。風化した頭蓋骨がまんま出てきた時は少し気持ち悪いと思ったが、大事に抱く様子を見ると故人の姿が浮かんできた、まあ普通の火葬場でお骨を拾い上げるのも大して変わらないのだし。

洗骨という風習は島独特で排他的なものだけど、死者を弔うことの本当の意味を教えてくれた気がする・・葬式はあくまで儀式的なものでドタバタと時間に追われてしまうが、洗骨は家族みんな一人ひとりが故人としっかりと向き合うことが出来る。死んだ時と4年後の洗骨の時、死者は二度も丁寧にお別れをしてもらえる、本当の死は忘れられた時にやってくるのであれば、死と命を大切に想う文化は素晴らしい。

出産シーンは思わずこっちが力んでしまうほどかなり長くリアルで迫真の演技だった、命が生まれるまでの困難さが十分に伝わってきた(出産時にアソコをジョッキンするのは(それも自分の父親に)衝撃だったけど)。洗骨の後すぐの出産、死と生の対比はいかにもだけど、最初に臨月のお腹で帰省した時点で最後にこうなるのは誰もが予想できたこと・・

命のおわりとはじまり、ラストカットの赤ちゃんと頭蓋骨を並べて顔を合わせるシーン、見ようによっては確かにグロいかもしれないけど感動的でもあった。エンド曲の古謝美佐子の「童神」のハマリ具合もより深く響いてきた。

 

洗骨とは自分をも洗うこと、それは人と真正面から向き合うことであり、そのためにはまず自分自身を洗い出し向き合うということでもあろう。この家族は各々の苦しみから逃げることで「死んでるように生きていた」とも言える中、この儀式で母を通して繋がっていた家族と自分を再び向き合わせることが出来た。

死を受け入れて故人を慈しむだけでなく、自分は親、祖父母、祖先から受け継がれてきた命であり、そして自分から子供にまた引き継いでいくもの、当たり前の自分のルーツを実感し感謝し「生」を感じることの素晴らしさを教えられた。「命は女が繋ぐもの」「骨を洗うと同時に私たちも洗われる、祖先とは今を生きる私達なのだ」