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年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「家族を想うとき」 ★★★★☆ 4.6

◆「ララララララ、言葉にできない♩」働き方改革なんて幻想、働けど働けど我が暮らし楽にならざりけり じっと手を見る・・ズブズブの蟻地獄から蜘蛛の糸を掴めるのか?

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麦の穂をゆらす風」「わたしは、ダニエル・ブレイク」と2度にわたり、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した、イギリスの巨匠ケン・ローチ監督の最新作。デビューから83歳!の今まで、一貫してイギリス社会の歪みでもがく等身大の労働者階級の人々の声を映画を通して描き続けてきた監督・・前作で引退すると言っていたが、前言撤回してまで描きたかった物語は、これまた心に刺さる最高に辛くてリアリティのある傑作だった。

イギリス、ニューカッスルフランチャイズの宅配便サービスを開業したリッキーは、訪問介護士の仕事をする妻アビーとマイホームの夢を叶えるために懸命に働く。しかし、仕事に縛られた二人は、高校生の息子セブや小学生の娘ライザとの充実した家族の時間が持てなくなる・・

ただマイホームが持ちたいというくらいの夢なのに一度陥った貧困、真面目に生きよう・家族のためにと、あがくほどに負のスパイラルに落ちてゆく。借金、巻き込まれる事件、理不尽な職場、家族との軋轢と愛情。新自由主義の行き着いた先は、労働者に人権はないというもの、全てのことが自己責任で語られ、貧困を生む構造は批判されないという雇用者側に都合の良い論理。その仕組みの中に飲み込まれた家族はそれぞれが思いやり何とかしたいと足搔くほど、ズレた歯車が回るように全てが狂っていく。

予想通り前作同様に最初から最後まで救いがなく、絶対悪が居ないだけに矛先の定まらない怒りがどうしようもなくて辛すぎるが、現実にはもっと長時間労働と貧困で苦しんでいる人がいるという事実が更に追い打ちをかける。

 

話の構成はもちろん登場人物の感情の起伏を見事に捉えていて、そんなにキャリアの無い俳優を使っているのに的確な演出でその世界観を描く円熟味。いつまでも映画によって問題を提示するケン・ローチの精力的な仕事ぶり、目を背けないで真正面から向き合って、物語の中で安易に解決しない作りに誠実さを感じる。今作はフィクションがノンフィクションに近づける限界まで来ていて、ほぼドキュメンタリーと言ってもいいくらい(EU離脱へ進むイギリスを予見するもの)。 

AmazonUber Eatsなど過剰な便利さや安さには必ず裏側があるはず、ネットショッピングによる宅配事情の苛烈さ、法や契約ではなく個人の情で縛る就労時間などの労働環境。今作では特に配達ドライバーと介護福祉士という現代の日本でも話題の職種だが、激務で家族と顔を合わせる時間も限られる。休みは少なく薄給、責任は全て現場で負い、上司は利益のみを求め融通が効かない、まさに「人のことをなんだと思ってるんだ」と言わざるを得ない。

コンピューターの普及、情報化の加速、レスポンスの即時化により、人々は時間に追われ、余裕を失い、置き去りにされないよう必死で食らいつく。低価格競争、24時間サービス提供、背景には企業側だけでなくわれわれ消費者個人の限りない欲望もあるはず。雇用主マロニーが言うセリフ「ドライバーの寝不足なんて誰も気にしちゃいない、興味があるのは、いかに安く速くという事だけだ」・・利便性と効率化を突き詰めた先に何があるのか、監督が容赦ない視線で投げつけてくる。

小さな機械端末に全てを握られた人間、置き去りにされた老人、利益を生まなければ簡単に切り捨てられる社会・・何かが少しずつ歪み噛み合わなくなっていく、蟻地獄に一度ハマるとズブズブと沈んでいくだけ。

 

絆なんて美しいものでつなぎ止められるほど甘くない、もはや愛情や思いやりでは太刀打ちできないレベルで理不尽だと嘆く暇もない。家族のためを想っての行動がすれ違い、悪循環から抜け出せない、誰もが幸せな社会なんてないのは分かっているが、誰かが誰かの犠牲になることで成り立つ社会なんてやはりおかしい。

今作を観るべきワーキングプア層やギグワーカーたちには、今作を観る余裕もないのかもしれない。日本も働き方改革など絵に描いた餅であり、便利な暮らしの陰で犠牲になり搾取されて働く人たちがいる現実をどう受け止めていくのか?、学校では教えてくれない今の現状。たとえ正社員でも一歩間違えれば同じ状況に陥る可能性のある社会になっている今、私には関係ないと思わず誰にも起こりうることとして考えていくべきだろう。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・考察】

ケン・ローチの監督の言葉「映画で世界を変えられるなんて幻想は抱いてない、映画はひとつの声に過ぎないと思うから、それでも声を上げ続けることが大切なんだ」。前作と同様に人間の尊厳が失われる瞬間(前作の缶詰シーンは衝撃だった)を映画を通して見事に訴えかける。公園のブランコに一人腰掛ける場面があまりにも美しい。。

両親があんなにも辛い想いをしながら働いているが分かっていながら、中二病の反抗期なのかセブの問題ばかりの行動の連続に誰もがイラつき怒りを感じるだろう。が、あまりの現実をクールに見るフリをして、ただ単純に寂しかっただけでもあり、迷惑をかけることで自分を気にかけて欲しかった、本音はもっと親と接して話したかった、それだけだったのだろう(セブの声があまりに低くくて最初はビックリ)。一方で家族を元に戻したい一心で娘ライザのとった行動には切なくて涙が出た・・

雇用主のマロニーも悪役とは言えず、経営者側として自身も生きていくためには仕方がない、優しさだけではやっていけないし、彼なりの苦労も計り知れないはず。そもそも安価で請け負うのが悪いのだが資本主義のシステムを体現しているだけでもあるし。

母親アビーが、自分のポリシーである「自分の母のように接しなさい」という介護の精神を貫き仕事に誇りを持っているからこそ、その搾取されている様子が一番キツかった。子供へ注ぐ愛情と介護の仕事時間以外にも頼られると夜間でも対応する奉仕が何も報われないなんて。髪をとかされながら涙を流したり、病院でキレて夫の上司を罵る電を切った後に「私は人をケアする介護士の立場なのに汚い言葉を使ってしまってごめんなさい」と心から泣くシーンが本当にやりきれなかった。なぜ彼女がここまで追い詰められなくてはいけないのかと。。

iPhoneの無情なまでに鳴りまくる着信音が彼らの生活を中断し狂わせ、掻き立て、不幸を呼び寄せる存在として使われているが、その恩恵に浸った世界に生きている現実を思うとやるせない。

もう少しみんなで話し合ったり、対応最善策は他にもあるだろうと突っ込みたくなるが、そういう短路的にならざるを得ない人たちがいるのも事実。

他の人の長時間労働の影響や息子セブの心理的な変化など、もう少しじっくり描いて時間をかけても良かったかなと思いつつ、2時間超えは監督らしくないので仕方なし。

 

監督ならではの笑いどころもあり、序盤のサッカーでのマンU(昔の試合の点差など細かいところまで覚えていて)とライバルチームファンとの言い争いや、アビーの病院での罵倒のセリフのギャップ度は、泣きながら笑ってしまった。

束の間の家族でインド料理を食べる団欒シーン、4人で狭いトラックに乗り込み歌いながら介護宅へ向かうシーン、娘と一緒に配達しているシーン(天使のよう)など少ないながら楽しいシーンが際立ち、そんな一瞬の幸せが毎日のように続けばいいのにと願っていた。

タイトルの「家族を想うとき」も間違ってはいないが、原題の「Sorry We Missed You」=残念ながらご不在につとき」やポスターの画やコピー「美しく力強いき(宅配の不在票に書かれるメッセージ)の方が見事に内容を表していて深くて素晴らしいタイトルだと思う。「歯車の向こう側に存在するたちの姿を私たちは見失っている」、「君(子供)たちをちゃんと見ていなくてすまなかった」「やる気があればミスをしないはず」などの意味も含んでいるかもしれない。タイトルやポスターの画やキャッチコピー「美しく力強い家族の絆」だけ見ると、感動家族モノとしてミスリードされる人もいるのでは。

万引き家族」ともテーマ・メッセージは近いが、是枝監督とは仲良しであり、二人の対談番組は素晴らしかった。

  

【(ネタバレ)ラスト・考察】

ここで終わらせるのか・・ここしかない、監督らしい切れ味鋭いラストカット、まあ引きずられる(観た人それぞれで考えろ、考え続けろという)。これからもっと悲惨な方向に進んでいくのを示唆するような唐突な終わり方で、バッドエンドより救いがないかも、もう少し救いがあればいいのにとも思うけど、それほど社会は病んでいるということ。

個人的には誰かが死ぬのも考えて見ていた(前作の例があるので)、居眠り運転で事故死か動けなく働けなくなるか、娘ライザが飛び出て轢かれないかヒヤヒヤしていたが、最後の最後、もっと悲惨にできたけどその一歩手前で止まった感じ。

ラストの愛情だけでは乗り越えられない現実の重さが際立つ、最後の「仕事だから行かなきゃ」ってセリフが全てを代弁していた。半年でなんとかするって、半年後もきっと状況は変わってないのも分かっているが、自分に言い聞かせて言わざるを得ないのだろう。

家族は父が苦しむのを見たくないから父を止め、父も家族が苦しむのを見たくないから家族の制止を振り切り仕事に向かう。バンで出掛けようとするリッキーの前に立ち塞がる家族のその想いに、せめてもの希望があると信じたい。何年後かに、そんなきつい時期もあったねと笑い合っていてほしい。

 

根は優しくても世渡り下手で運すら持ち合わせない家族への不幸の乱れ打ち、自己責任と言われて他に手段のない人たちに救いはないのか、家族がいるということは救いでもあるが負担でもあるのか?。貧富の差が生まれてしまうのは制度上仕方ないとして、貧側の人間がまともな生活すら送れないほどに搾取されている現状はやはり間違っているし変えなければならない。

変えるためには何が必要なのかは分からない、これを観て何が変わるのか、何かするかというと、何もしない自分 社会に対して怒りが生まれるだけ。映画を通すと客観視してしまうが、知ること・想像することも大事。

見終わって感じる居心地の悪さと怒りは、自分はあの家族を利用している側ではないのか?という後ろめたさと、さっさと早くあの仕事を辞めればいいのにという憤り。それはともすれば結局他人事と思っていることの証拠ではないか・・見終わった後の自分のこの気持ちがケン・ローチ監督が映画を撮り続ける理由であり、彼がいつも世界に伝えたいことなのだろう。怒りを一番に伝えたいわけではなくシンプルに人同士が寄り添う気持ちや、人間的な繋がりが大切なのだという思い。

監督にはもう引退なんて言わず、、、まだ素晴らしい作品を作り続けてほしい。が、安心して引退できる世の中になって欲しいとも願う。

 

バス停に居合わせた乗客は「大丈夫?」と声を掛け、息子は傷付き反発しながらも歩み寄ろうとしている。携帯画面から顔を上げ、目の前や隣にいる人の顔を見て「こんにちは、お元気ですか?」と問い掛ける。見渡せば、優しい人たちもたくさんいるのだ、大丈夫まだまだ間に合うはず。

これから佐川やクロネコヤマトの方々には優しい気持ちで接しよう、配達は時間帯指定にして必ず受け取れるようにしよう。セブンイレブンなどフランチャイズの方々にも・・単純だけど先ずはここから始めていこうかな・・