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「アイリッシュマン」 ★★★★☆ 4.6

◆仕事人間・三角関係の行き着く所は諸行無常か?人生の最期に人生を問う事は恐ろしい「幕引き」の美学、スコセッシ・マフィア映画の集大成と3人の大御所演技は必見!

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1950年〜1970年に実在した殺し屋フランク・アイリッシュマン・シーランの告白本を元に、3時間半に渡ってアメリカ史最大の謎 ジミー・ホッファ失踪の真相についてアメリカの裏社会史を描いた大作でNetflix作品。何と言ってもマーティン・スコセッシ監督にロバート・デニーロアル・パチーノジョー・ペシという組み合わせだけで期待と興奮が高まるはず。

主人公のフランク(デニーロ)が年老いてから過去を語るという作りで、トラック運転手組合のドンであるジミー・ホッファ(パチーノ)とマフィアのボスであるラッセル(ペシ)との対立の間で揺れ動く苦悩を丁寧に描き出していく。

いろんな時間軸からの回想が交差して、序盤は似たようなおじさんラッシュで名前と顔の一致に混乱するけど、徐々に理解してきてラストの切なさに胸が苦しくなる。派手な殺しのシーンは無く淡々と地味な会話劇が中心となって進んでいき、成り上がりというより人生の終わり方を描いていく・・昔からのマフィア映画好きとしてもスコセッシ監督としても集大成と言っていいほど完成された作品だった。

当時のアメリカの歴史的背景をもう少し勉強しておいた方が絶対により面白いのは間違いないが、知らなくてもマフィアとトラック組合、ケネディとの関係など近代アメリカ史を振り返りながら十分に楽しめるはず。

 

前作「沈黙 サイレンス」も自分の長年やりたかったテーマを自由に撮っていたが、話題にもならずほぼスルーされてしまった、今作は批評家からも絶大な支持を受け、2019年の賞レースでも筆頭候補とされている。最初は保守的で昔気質のスコセッシが急進的なNetflixで撮るのに驚いたが、完全なクリエーターズ・ファーストで自由が保障された環境で本当にやりたい放題できたのが(時間も金も破格)、結果として77歳の年齢にして最高傑作となったのかもしれない。

ただあまりにも自由に製作できたおかげか、既存映画業界やMCUへの批判発言が出てしまったのは残念・・言いたいことも分かるけど、どちらも映画を楽しむ気持ちには変わりなく観る方に様々な選択肢はあってもいいと思う。今作のジミーも自らの労働組合を愛しすぎるがゆえに、旧態依然のやり方にこだわり続けて周囲から厄介者扱いされてしまうが、同じように古き良きハリウッドにこだわり過ぎて、新しい時代の変化に対応できない老害のような存在にはなって欲しくはない。

 

3時間半は思ったほど長さは感じなかったけど、やはり前半が少しまったりしていて、後半にグンとテンポが良くなったので、もう少し短く出来たような気もするが・・時間をかけたからこそ、フランクがズブズブにハマっていく様子とラストまでの葛藤が腹落ちできたような気もする。特にラスト20分、組織の歯車としてただ命令に従って報われると信じてきた、そして何もかも手に入れたと思った男に最終的に残ったものとは・・スコセッシらしい切れ味も見事だった。

3人の演技は言うことなしで、事実上引退していたジョー・ペシの素晴らしいこと、こんなの作られたら、他の監督は今後マフィア映画を作りづらくなるのではと心配してしまうくらい。Netflixで長尺なので、マフィア映画に付き物の食事シーンに合わせて?つまみとワインを飲みながらゆったり観るのもありだけど、できれば最初は映画館の大画面で観たいところ。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・考察】

グッドフェローズ」などと同じく、スコセッシらしい細かいブツ撮り、軽快なリズムを生み出すカッティングと長回しの使い分けによる緩急、引いた淡々とした画での殺人、気軽な会話の中での表情のアップと長さの雄弁さ、時系列どおりではなく適度に入り組ませた編集具合も見事。

フランクの老人ホームでの告白、ジミー殺人当日の直前、フランクの過去の回想と3つの時系列を並行して進めていくので複雑で混乱しそうだが、違和感なく見られるのはベテラン監督ならではの技術と円熟味。

フランクからジミーへの最後の説得、ジミーへの残酷な指令のシーンなど、シンプルなバストショットの切り返しが淡々と続くが、どこも緊張感が保たれているのも凄い(役者への信頼感か)。カメラワークや照明もその時々の心象に合わせて動きや色合いを変えていたのも見事。

一番こだわった(金もかかった)であろうCGと特殊メイクの技術が凄まじい、若いデニーロ、実年齢のデニーロ、老齢のデニーロと3パターンあって全部本物のように見える・・リアルに歳を取ることを表現していて、深いシワが刻まれたツヤのない顔、しわくちゃで弱々しい腕、崩れた体型まで生々しく。若い時の顔面も昔を思い出し懐かしさすら感じるが、立ち姿や体型のゆがみ、動作に機敏さがないため、若々しさが弱く、肝心の見せ場である殺しのシーンなどは緊張感が薄く感じられた・・のはある程度仕方ないのかな。全部CGで違和感がなくなってくると特殊メイクの仕事が失われていくのだろうか?

 

マフィア関連の登場人物は大半がどこかで殺されており、登場と共にテロップでいつどこでどんな殺され方をしたのか表示されるが、どんなに虚勢や見栄を張っても結局行きつくところは死でしかなく、権力闘争の虚しさがこれでもかと伝わってくる演出だった。

マフィア映画には必須の食事のシーンはさすがにじっくりと描いていて、特にフランクがパンをワインに浸して食べるシーン(最後の晩餐)での感情の染み込みは見事。

本編を観た後に、監督と出演者たちのインタビュー映像を見たのだが、おじいちゃんたちの情熱やパワフルさに元気をもらい、監督と役者の信頼関係などにグッときてもう一度観たくなった。

レイジング・ブル」「グッドフェローズ」「カジノ」などのスコセッシ作品はもちろん、「ゴッドファーザー」などの過去の名作を思い出さずにいられなくなるのも今作の魅力であろう。暴力シーンの迫力や軽快なテンポは無いが、じっくりと炙り出す人間関係からのラストは、今のスコセッシや役者でしか出せない演出・演技で、老いや孤独、後悔や虚無感などがリンクして感じられる・・今まで生きてきた集大成であり、マフィア映画の行く着くところなのかもしれない。。キャリア晩年の監督や役者としての人生、またマフィア映画の幕引きとして一時代の終わりも感じられて切なくなった。

 

【役者】

「ヒート」以来の共演であるデニーロとアル・パチーノ、大御所二人の演技は圧巻なのは言うまでもないが、二人でパジャマを着て部屋で談笑したり、一緒にお茶しながら相談し合うところなど微笑ましくニンマリさせられる。パチーノは今作がスコセッシ作品初参加だったのが信じられないくらい馴染んでいた。

そして、ジョー・ペシ、スコセッシとデニーロがタッグを組んだ映画には無くてはならない人なので、映画界を引退していたのをスコセッシとデニーロが数年かけて説得したとのこと。これまでの作品ではデニーロより下の立場を演じることが多かったが、今作ではデニーロを操るマフィアのボスに大出世して復活して雰囲気も全然別人になっていて、久々とは思えないハマりぶりが見事だった。

その他、ハーヴェイ・カイテルの出番が少なかったが、印象に残る演技はさすが。

とにかく、これだけの名演なので、アカデミー賞を含め今年の各映画男優賞には、ワンハリコンビとアイリッシュマントリオが多数ノミネートされるのは間違いないだろう。

 

【(ネタバレ)ラスト・考察】

度重なるフランクの説得にも関わらずジミーは折れることなく、葛藤の末にフランクが直接殺すことに決める・・ジミーの最期のシーンは、今作の中でも一番地味かもしれないほど呆気ない殺害となっている、部屋の中に招き入れた瞬間振り返り話す暇もなく一発で撃ち抜く潔さ。ジミーには思っても見なかった一番信頼していた男から殺されるのに、想いや言葉はお互いのためにも不要でしかなかった。

その後、ジミーの遺体がすぐに燃やされたのを知らないフランクが、火葬は本当に終わってしまう気がするからと土葬用の棺を選ぶのがまた切ない。今まで常に無言で父を見つめるだけだった娘ペギーの発した「why?」が突き刺さる、葬式の場ではフランクかペギーを見つめるが、ついにペギーは父を見向きもしなくなる。子供時代からずっと見てきたペギーには全て分かっていたのだろうが、一人想いを抱えたままどんなに辛くて苦しいことだったろうか・・

 

結局、フランクはFBIにも神父にも真相を語らなかったのは、自己保身なのか、マフィアとしての血の掟を守ったのかは分からないが(芋づる式に仲間が逮捕されるし、やはり家族のためが一番だろうか)、他の罪でラッセルと共に投獄され刑務所で何年か過ごすことになり年老いていく。

最初は精肉店で働く普通の優しい男から、組織の歯車として上からの命令にただ従いプロとしての仕事を全うしてきた男の一生。名誉も家族も金も友人も手に入れたように見えたが、最終的にたどり着いた場所には何も残っていなかった栄枯盛衰・・多くの人を殺してきた報いでもあるのか、あまりにも寂しい哀しい老後であり自分の死をどう受け入れていくのか? フランクはすべて家族を守るためだったと言うが、そのせいで結果的に家族は離れていってしまった。周りの仲間たちも殺したり殺されたりラッセルも含め刑務所で死んだりして、そして誰もいなくなった、結局そこまでして守りたかったものとは何だったのか?

最後にはもう守るものが何も無くなって昔の写真しか残っていなかった、死なせてももらえず、もう殺されることもないのか、最後の最後には祈ることしかできない彼の姿に我々は何を見るのか・・熱心な信者であるスコセッシ監督らしく(前作の「沈黙」でも描いたように)最後に行き着くのは信仰であり、悔いて赦しへの告白を願うことなのだろうか?(その告白が原作小説)。

今作で語られる人生の中に答えや救いは無いのだろう、ラッセルが言ったように起こることは決まって起こるし、何をどうしようが人は必ず死ぬのだ。

 

フランクが神父にドアを少し開けたままにしておくよう頼む最後のシーンで、部屋の外からドアの隙間から小さな存在となった彼の姿を見つめるラストショットは、彼がジミーと初めて同じ部屋で眠った日にジミーがドアを半開きにしておいたことを思い出させる。

もし願いが叶うなら娘たち(仲間たち)にそのドアから入ってきて欲しい、もう二度と叶わないだろうと分かっていながら、孤独な男の唯一の希望の光を射し込ませるすき間だったのだろうか・・心の中に閉じ込めた真実を外に漏らしたいという願いだったのだろうか・・

死ぬまで引退せずに自分の組織を守り続けると自分の意思を通したまま死んでいったジミーの方が幸せだったのだろうか?、ジミーはそのドアのすき間に何を見て望んでいたのだろうか?

 

ラストを見て、会社の歯車として上司の命令に何も考えずにただ従って目の前の仕事をこなしていくだけ、本当の友人や趣味などよりも仕事を生きがいとしている人たちの姿が浮かんできた・・現役を退いた時、定年退職した時に、自分の人生を自分で決めてこなかった、自分のこれからを考えてこなかった後悔や虚しさを味わわないように、愛に溢れた人生となるように今から「アイリッチマン」を目指していこう。

「人は歳をとって初めて時の流れの速さに気がつく、人生はアッという間だ」、76歳を迎えた今のデ・ニーロにしか言えない言葉だからこそ、胸に刻み込んでいくのだ!