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年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「海獣の子供」 ★★★★☆ 4.6

◆「2020年宇宙の旅」考えるな感じろ! 生(性)と死と人間と母なる海(生み)と宇宙をつなぐ壮大で深い映像と内容に溺れる、一番大切なことは言葉(レビュー)にはなら(でき)ない 

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五十嵐大介原作の傑作マンガを「鉄コン筋クリート」や「マインドゲーム」などのスタジオ4°Cの渡辺歩監督がアニメーション映画化、声優に芦田愛菜稲垣吾郎蒼井優、音楽は米津玄師、久石譲と豪華なラインアップ。

自分の気持ちを言葉にするのが苦手な中学生の琉花は夏休み初日から部活でモメて居場所を無くしてしまう中、ジュゴンに育てられた少年"空"と"海"と出会うが、海のすべての生き物たちが日本へ移動を始めるなど「祭りの<本番>が近い」ことを伝えられ、果てには生命の謎にも迫っていくことになる・・壮大で神秘的で恐ろしくて美しい作品。

原作での難解さそのまま、生命の誕生と祝福、生命そのものが世界そのものを孕んでいる観念的で哲学的な五十嵐ワールドを見事に映像で表現している。人間の言葉では語りきれない圧倒的スケールの抽象的な物語は、理解するというより感じる映画となっている(分かりそうで分からない感じを楽しむ映画なのだが万人受けはしない、好き嫌いはハッキリ分かれるだろう)。

 

とにかく映像革命と呼べるアニメーションでしかできない表現が凄すぎて鳥肌が立つ、天地創造、生命と輪廻の神秘、大量の海の生き物、終盤の”誕生祭”のアートまで、あまりの美しさと迫力に終始息を飲むしかない・・リアルな描写では絶対に見られない濃密な映像美と空間の広がり、線の一本一本に生命力があり、世界との一体感を感じられ生きる活力を与えられたような気になる。

吸い込まれそうな空と光っている海、潮や魚の流れのスピード感に海の中にどっぷり浸っている感覚と、細かいところまで凝りに凝った立体音響との没入感で、映画館が海というか宇宙空間になって最高に心地よい浮遊感を味わうことが出来た。大画面・大音量の映画館で観るべき・映画館以外では観れない「体験する」映画、映像だけでも見て感じる価値は本当に十分にあるので見て欲しい。

 

原作マンガは6年かかった大作で5巻あり、脚本・構成の複雑さにキャラや世界観の深堀り、画の密度も話の情報量もハンパなく詰まっている・・この途方もない壮大なストーリーを2時間足らずにまとめて、躍動感あふれるカラーの世界に解釈しなおすのは尋常ではない。今作は琉花の視点を中心に絞ったので原作ファンからは賛否両論あるのは当たり前だが、映画完成まで6年かけたスタッフの情熱とパワーには頭が下がる。

マンガなら自分のペースで読んで理解していけるが、映画はどんどん先に進んでいくので特に初見で観る人には説明不足すぎて厳しいだろう、どう考えても抽象的で難解な作品なので、中盤から理解するのを諦めてしまう人も多いと思う(自分も2回連続で見て1回目は映像を楽しみ概要を把握し2回目で考察ネタをつかんだ程度)。もともと完全に理解できる作品でもないのだが、原作を読んでおくとより深く楽しめるのは間違いない。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)内容・演出・考察】

命はどこからきてどこへ向かうのか?海と宇宙を組み合わせながら、その中で出会いと別れと少女の成長や家族の再生、生命の仕組みまでを一つの出来事で結びつけている脚本・構成力は見事としか言えない。以下、順を追ってポイントになりそうなシーンを考察してみる。

 

・冒頭のシーン、幼いころ水族館で見た大きなジンベエザメの「幽霊」は琉花の幻想であり、終盤の誕生祭で「見たい!」という好奇心が勝って目を開けるシーンと対応しているので、未来を見ていたということか。そしてニューヨークの沖合で舞う巨大クジラ(お腹に多くの目や乳房の模様?を持つ母なる集合体か女神の化身か)が後の誕生祭の始まりを告げていた。

・いきなり出てくる字幕「星の海、星の子供、星の誕生の物語」「星の、星々の、海は産み親」が実は今作の全てを説明していて、海獣の子供(空と海)は星の子供であり、海から生まれた、という「星の誕生の物語」であるということを明示している。

・学校から続く坂道を駆け下りていき途中で転んで膝を擦りむく琉花、この疾走感あふれるカメラワークも見事、ラストでは傷も治った琉花はこの坂を転ばずに駆け上がって行く対比となっている(逃げることから這いあがる成長)。琉花役の芦田愛菜はさすがの器用さと実年齢の中学生と同じでハマっていて上手かった。

 ・「人魂」は巨大な流れ星で2つ続けて落ちてくる(空と海のイメージ)が、新聞では隕石落下として書かれていた(ちょっと「君の名は」)。終盤の誕生祭のために星から隕石が「精子」として海「子宮」に落ちてきた(ビューッと飛んでくる精液)ということ。また、どこかの死者の体から脱け出た魂が命の輝きとなったものとも言える。

・クジラの歌(ソング)は情報の波であり、人は言葉が伝わらなければ伝えたい事の半分も伝わらないことを、遠く離れた場所でも感じたままを歌で伝えあっている(人類誕生のはるか前から)。また、波打ち際は雄弁で、正しく聞くことができれば海で起きる大抵のことは分かる、砂や岩が鳴る音であり海の情報を含んでいる。どちらも人間の言語化できる世界の範囲はすごく狭く生物界の頂点と言うのは愚かであるということ。

・水族館で働く琉花の横で、じゃれあっている空と海が重なっているのはどこかエロチックな様子にも見える(本当に人間なのか?男と断定できるのか?)。水族館スタッフの二人の声があまりにも棒すぎて浮きまくっていたが「尼神インター」の二人だった、何の力か分からないがここは残念、本当に止めて欲しかった。

 

・海と空の一体感の画が本当に美しい、特に夕焼け空とその反射と赤潮で真っ赤に染まった海、夜は波打ち際から夜光虫が光っていてその上の星空が一面に広がる画は映画館の大画面で見ると一層引き込まれるようで、海から空へ宇宙へ全てがつながっていることを感じさせてくれる。

・「宇宙は人間に似ている」宇宙の9割は暗黒物質、海の9割は未解明、脳は3%しか使用していないなど解明されていないことばかり、バラバラになったたくさん小さな断片(記憶)が結びついて出来上がる。誕生祭では琉花や海の中にある断片(記憶)が放出されて互いに結びつくことで星・宇宙になっていくことになる。

・空の消滅のシーンも印象的、時間切れ・思ったより早かったと空は琉花とキス?をして体内の隕石をあんたに預けると言って琉花に飲ませる、そして海中を光となって最後は巨大クジラに飲み込まれていく・・これは、星の子供としての役割(受精させること)のタイミングが早過ぎた(本命は海だった)ということか、水族館で光となって消えた魚たちと同じように分解して光になってしまった=「海の幽霊」になったということだろう。海の幽霊は「死んでいる」とも言えるし、むしろ(次の転生に向けて)「生まれている瞬間だ」とも言える。

・水族館で働く父が久しぶりに家に来て母と話すシーン、結局別居した理由は分からないが、琉花も母も生き方が不器用で周りとうまくやれない(コミュ障)のもあり逃げ出したのか?、これからはちゃんと受け止めると言って和解できたようだが、ここで母が出した「桃」を食べたことは(桃は性的なイメージ)性交したというメタファーとなり、ラストの母の出産につながったのかもしれない。

・母は水族館では伝説のトレーダーだったということで、家系的に海とつながりの深いのかもしれない、その先祖代々から受け継がれる記憶の断片も含めて琉花が誕生祭に導かれたのでは?

久石譲の音楽も非常に良かった、ジブリ音楽も大好きだけど、今作のミニマルミュージックの要素が強く主張しすぎない感じもさすがの職人技。

 

【誕生祭】

・水族館にあの巨大クジラが現れて、魚たちが一斉に同じ方向を見ている、誕生祭(受精の本番)のゲスト(琉花は水族館で「GUEST」の入館証を付けていた)である海と琉花を迎えに来たのだろう、そしてそれを予想していたであろうデデ(強烈なビジュアルの謎のババア、富司純子の声は違和感あり)の船に乗って現場に向かう。風の歌に合わせてデデが奏でるビヨンビヨンいう楽器?の音が始まりの合図のように集まってきた魚たちに誘わて飛び込む海と琉花、たくさんの大きな泡が輪になって二人を取り囲み巨大クジラが飲み込んでしまう。

・クジラの体内で目覚めた琉花は、体内で直接クジラのソングを聴くことになり誕生祭が始まる・・琉花は砂浜の波打ち際を歩いていて(夢・幻想の中だろう)、海に魚を逃がし陸には多くの死骸を見る(生と死の境界線が波打ち際)、そこに倒れている海を助けようとして「どっちなんだっけ?」。これは彼岸でもあり、どちらの世界にも属さない海、学校や家庭など迷っている琉花、二つの世界をつなげる役割を表しているのか?

・そこから琉花は体内のどこかの器官のトンネル(産道)から吐き出され、琉花の体は隕石から出た水に包まれる、そこへ空のような黒い人影が来て「君の役割はここで終わりだ」と告げる。いったん目を閉じるが「見たい!」と目を開けると、琉花は黒い人型シルエットになっていく、体内にある隕石(精子)が受精し彼女自身が星を生み出す母体(受精卵)になる・・おそらく男女関係なく海でも良かったはず。琉花の身体がビッグバンで宇宙となり、無数の星たちやDNAや細胞たちが放出され生命が誕生していく・・

・海がやってきて琉花の胸から隕石を掴み取り飲み込もうとするが琉花が止める、隕石が単体で宙に舞い上がると二人はたくさんの目が見つめる異空間に取り囲まれる。海は赤ちゃんに退化?してしまい(琉花は一度母体になっているので無事なのか?)、琉花が隕石を飲ませると黒い人型になって二人は海に落下していく(空らしき人影が守った)、そして海が琉花に「さよなら」を告げると海の体はバラバラに分解していく。

同時に無数の星が海にばらまかれ、多くの生き物たちがそれを食べまくる、命が食べられて引き継がれるということか、また一方では無数の星たちが宇宙に散らばっていき新たな銀河を作り出す・・それを見る琉花も星の一部を食べることで海の命・記憶を引き継いでいく。。こうして誕生祭は終わる。

 

【(ネタバレ)ラスト・考察】

・父と母に助けられ日常に戻った琉花、玄関には缶ビールだらけのゴミが無くなり、父の靴が増えている、学校へ向かう途中(冒頭では解けていた靴ひもも緩んでいない)でデデと出会う。空と海を失って落ち込む琉花に、手のひらの中にある星のかけらを「信じておやり、あんたを選んだ海と空を、そして自分自身を」と言い、「海と空の記憶を引き継ぐ」ことを肯定する。

・そして夏休みの始まりの日に駆け下りた坂道を駆け上がっていくと、ハンドボールが転がってきて、坂の上にはケンカしたチームメイトがいて笑顔で投げ返してエンディング。その背景には一続きになった一面の空と海が広がっていて、一生忘れることのないひと夏の成長が確かにそこにはあった。。映像といい空気感といい夏に観る映画としてもおススメ。

 

・エンドロール、米津玄師の「海の幽霊」に合わせて画面の左端にずっと映し出される砂浜に置かれた「椅子」・・幽霊は椅子に座りたがる、先祖たちは帰ってきた証拠にその椅子に何かを置いていく、との言い伝えがあるとのこと。最後の最後に椅子の上にはハイビスカスの花が置かれている、琉花が空や海を迎えるために椅子を置いていて、空や海が訪れたということかもしれない。原作の大ファンだった米津玄師の書き下ろしの、楽曲はもちろん今作の主題歌としてあまりに素晴らしい歌詞に泣けてくる。。

「開け放たれたこの部屋には誰もいない、潮風の匂い染みついた椅子がひとつ、あなたが迷わないようにあけておくよ、軋む戸を叩いて何から話せばいいのかわからなくなるかな♪」

「星が降る夜にあなたに会えた、あの夜を忘れはしない、大切なことは言葉にならない、夏の日に起きたすべて、思いがけず光るのは海の幽霊♪」

「風薫る砂浜でまた会いましょう♪」

・エンドロール後には母の出産シーン、琉花はへその緒を切り「命を断つ感触がした」と言って終わる。あの夏の経験から、命は引き継がれることを悟った琉花、新しい命はどこかで死んだ魂の復活・彼岸の向こう側にある命を断つということなのだろう。そして、母の胎内は羊水の海の中であり生命の源でもある海の生き物としての命を断ち、こちらの岸に上がってくるということなのだろう(陸に上がるのは死への始まりとも言えるが)・・果たしてこの子は空と海の魂を持っているのだろうか?

 

「海の幽霊」の歌詞にもある「いちばん大切なことは、言葉にはならない」が今作のメッセージ、生命や宇宙はどこからきてどこへ向かうのか?、決して人間が触れられない・理解できない領域がある・・言葉に出来ないもの・こぼれ落ちたもの中にも豊かさがある、言葉にしてしまえば必ず伝えられない部分が出て来るということ。

全ては輪廻の渦の中にあり、全てが宇宙の1つ1つの構成要素であり、自分という存在は宇宙そのものでもあるということ。個々に小さな差異はあれど、結局生き物は全て宇宙から生まれる・同じ原料で出来ているのだ。全てつながっているのなら“自分と違う”ことで傷つけ合ってきた人間同士も必ず分かり合えるはずだし、宇宙や世界から見れば人間なんて一つの細胞レベルに過ぎないのだ。(環境問題で怒りのグレタさんにも今作を見せたい)。

 

宇宙や生命誕生の描写のシーンは、最近見た映画だと「ハイ・ライフ」を(エログロでこちらも難解)、またスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」、テレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」(ミクロからマクロコスモス)を思い出した。また、クジラのお腹の中で命をつなぎ生まれ変わるシーンは、「マインドゲーム」(今作は湯浅監督が撮っても面白かったかも)だし、精神世界観は「新世紀エヴァンゲリオン」をも思い出した。

しかし今年もアニメが凄かった、「スパイダーバース」「天気の子」「HELLO WORLD」「プロメア」に今作と、実写とは違った新しい映像表現が更に画期的になり、魅力的な作品が多くて最高だった。今作は特に内容が難解で公開のタイミングも悪かったかもしれないが、ネットやSNS言語化世界の今こそ、「言葉にならない」「分からない」豊かな世界に触れることの大切さ、一人でも多くの人に観て感じて欲しい。

観ている自分も海や琉花であり、この世界を宇宙を作った本人であり、そこからみんなと同じように生まれてきた一部なのだ、自分の誕生祭にハッピーバースデー!、空や海のうたを聴いて自分の物語を生きていこう!