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「i新聞記者ドキュメント」 ★★★★☆ 4.6

◆必殺仕事人!フィクションを超えたリアルの方がエンタメになる怖さ、異常が日常にならぬよう集団の前に個として一人称で意見を自由に言える社会へ、ⅰアイしてる?

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ドキュメンタリー映画の傑作であるオウム真理教の「A」やゴーストライター佐村河内守の「FAKE」などの森達也監督が、東京新聞社会部記者・望月衣塑子(「新聞記者」の作者)の姿を通して日本の報道の問題点、ジャーナリズムの地盤沈下、日本社会が抱える同調圧力や忖度の正体に迫る社会派ドキュメンタリー(「新聞記者」のレビューで、エンドロールで名前を見つけた森監督にドキュメンタリーで撮って欲しいと書いていたので楽しみにしていた)。

映画「新聞記者」ではボカシていたものを全てストレートに描いていて、フィクションを超えたリアルがよりドラマチックでエンタメ性があるという、現実でも「日本の民主主義は形だけで充分」ということが証明されている。最初は「新聞記者」も森監督が務める予定で2つを同時公開するつもりだったらしいので、セットで見るべき作品と言っていいはず。

今作を面白いと思ってしまうことが異常なのだが、空気を読まない森監督が、同じく空気を読まない望月記者を撮っているのだから面白くないわけがない。。何にも臆せず深く真っ直ぐ突き進んでいく望月記者を通して浮かび上がる、この国が抱える黒い闇と空気感、今の日本の政治や社会のヒエラルキーと忖度、無関心で人任せな個の私たち・・社会派として凄まじいリアリティだが、単なる怒りの政権批判ではなくジャーナリストとして当たり前に行動している人を追っただけの映画とも言える。

 

権力側を描いてないので(描かせてもらえないので)、正直ドキュメンタリーとしての評価は難しい、あくまで望月記者の視点であり、政治家や官僚の人たち別のサイドから見たら別の事実があるのかもしれない・・が、今作では一つの事実を映し出しており、結論は出るわけではないが、記者としてのジャーナリズム精神はビシビシ伝わってくる・・圧倒的な信頼感をもっての被写体との距離感はさすが森監督。

望月記者の戦い方とそれを森監督がどう切り取って何を浮かび上がらせたのか?、今までは必ず被写体を突き放す要素を入れてきたが、今作はその意地悪さは薄めに感じた(彼女が正し過ぎたのか?少し情が移り過ぎたのか?)。それでも、人によっては2時間ずっとしんどくて、恐怖や怒り・悔しさ・悲しさ・無力さに涙し、絶望してしまうかもしれない(一種のホラー映画)が、強烈なキャラクターが多いため予想外の言動に笑ってしまうことも多々あり。

スクリーン上で客観的に見ると改めて異常なことばかりなのだが、「結局情報が出てこず報道が少なくなって次の興味に移っていくことの繰り返し」と少し諦めと飽きらめも感じてしまう自分もいて、異常が日常になってしまっている恐ろしさ。そして今も次から次へと新たに出てくる事実、過去から続いてきた「桜を見る会」で今更ながらバレていくことは、今まで私たち国民が政治に無関心だったり諦めていたツケが回ってきただけ。その一端を担っている本来の役割を見失って権力になびいているマスメディアも含め、忖度は損択になること、今作から問いかけられることは多い。

 

ドキュメンタリー映画というのもあるが、「新聞記者」に比べると公開館も少なめ、全国展開はイオンシネマのみ、あとはミニシアターや独立系が少し(東宝は「新聞記者」と同様に忖度か?)。自分はアップリンクで鑑賞、「桜を見る会」の件もあり時期的に劇場は満席だったが、案の定やたら年配の方が多く独特の空気感に溢れていた。

内容的に右寄りの人には厳しくなるのは仕方ないが、リベラルも保守も中道も関係なく観るべきだと思うし、特に「新聞記者」と同様に出来るだけ若い人に観て欲しい(先ずテレビ放送は無理なので・笑)。メディアの役割や新聞のあり方、社会を見る視点を潜在的に学べるし、右や左に関係なく個として考えることの大切さを感じ取って欲しいと願う。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)内容・考察】

政治部記者クラブの牙城と言われる内閣府記者会見での社会部の望月記者の奮闘・・取材、インタビュー、首相官邸官房長官会見などの全ての裏側、普段見ることのないジャーナリストの世界を垣間見せてくれて、エネルギッシュに取材に駆け回る姿に引き込まれる。

「さまざまな現場で取材し、その成果を記者会見で政府に当てて検証する」プロセスこそジャーナリズムのあり方だが、今の日本で実践するのがいかに困難なことなのか?・・その中で孤軍奮闘し、外にも内にも徹底的に戦う望月記者には、仕事人として人としてプロフェッショナルのあるべき姿を見せつけられる。取材対象からの信頼の高さと、空振りでも圧力を受けても決して諦めない姿には惚れ惚れしてしまう。また日々闘って取材する記者がいるからこそニュース記事が出来上がっていることを再認識させられた。

 

望月記者はただ事実を知ること・伝えることに全てをかけている、この当たり前の姿勢・使命が映画化されて面白く感じるほど日本のマスコミは腐っているということ。今作で取り上げる案件は辺野古新基地建設問題、伊藤詩織さん準強姦事件、森友学園問題、加計学園とほぼ「新聞記者」と同じで、厄介な問題ばかりに切り込んでいく。「疑問に思ったことをきちんと聞く、答えに納得できなかったら繰り返し聞く」これこそが正しい姿なのに、いつから空気を読むことが正しくなったのか?、彼女だけが意見をぶつけて目立ってしまう不思議さ・おかしさが際立ってしまう。

そして、新聞記者が自分の使命どおりの仕事をすれば圧力が簡単にかかってしまう異常さ。官邸の記者会見の菅官房長官のあの態度、明らかに「またお前か、いつも厄介な質問ばかりしやがって、いい加減にしろ!」というのがまんま顔に出ていて隠そうともしないのが凄い(麻生大臣なんて露骨に言ってるし)。薄ら笑いさえ浮かべて毎回のごとく一言回答を言い切っての塩対応、質疑応答になっておらず逃げの一手のみ(前後を省いて編集しているが誰が見ても誠実に回答していないのは確か)。「令和おじさん」と若者にもてはやされている?が、「冷話・戻話・0話おじさん」の方がいいのでは・・

それだけでなく質問の最中に、司会の上村室長から何度も「早く質問しろ」と遮られる妨害を受ける、更には「事実に基づかない質問はするな(自らの眼で現場で確認した情報でも)」という書面、望月記者のみ質問は2回までという理不尽な制限までされる(そんな決まりもないのにあまりの権力の横暴さ)。

外国人記者たちは官邸の会見に参加できない、質問もできないし、事前に質問を書面で提出する様に求められて、政府に都合の良い質問しかさせない日本の記者会見は世界の中で異常としか言えない(トランプですらその場で答えている)。そして報道機関はこれらの問題点を全く追及しない、菅官房長官との有効な関係を壊したくないから、ひたすら政府の意向に従うのみ。報道の自由度ランキング67位という民主主義の言論の自由やジャーナリズムが奪われた独裁国家レベルと世界中から言われても仕方がない。

 

政府も官僚もマスコミも、国民は「すごく怒っていても時間が経てば忘れる」「他の派手な話題やテーマを与えれば気がそれる」「嘘でも断定口調で叫び続ければ信じてしまう」、つまり「国民は馬鹿である」としか思っていないのが現実。そして残念ながらモリ・カケ問題をはじめ、これだけ好き勝手やりたい放題にされてもバカにされても、支持率は極端には下がらないし、最終的には与党が勝つ、ことになってしまうのも現実。

「仕方ないなあ」不正に慣れてはダメ、「でもこの野党だしなあ」野党のせいにしてはダメ、「選挙行っても変わらないしなあ」唯一の手段から逃げてはダメ、「長いものには巻かれろ」巻かれてきた結果が今なのだ。いま一度、誰のために記者会見はあるのか、何のために政治家になったのか、を思い返して欲しい、政治家が一番偉いわけでも力を持っているわけでもない、国民主権である国民が何よりも一番なのだが。。

 

今の政治家や官僚の平気でウソをつき公文書を改ざんし、証拠を捨て法を犯して関係者を優遇する姿を、自分の子供には見せたくないし一切説明が出来ない。偉くなればお金も人も自由にやりたい放題が認められるなら、なりたい職業NO.1は「上級国民」になってしまう。望月記者のお子さんはまだ小さいかもしれないが、将来この映画を観たら母親を誇らしく思うだろう、政治家や官僚のみなさん、少なくとも自分の子供に対して恥ずかしくない行動を取っているでしょうか?・・質問で詰め寄られる官僚や国会前の警備員などは職務上・人事上の辛さや葛藤はあるのだろうが・・みんな組織のことを優先するしか生きていけないのか、i個人として動けないのか・・

 

【(ネタバレ)演出・考察】

キャラやネタが強烈なのもあるが、2時間あっという間で終わらないで欲しい・ずっと観ていたいと思わせられた、2時間に絞るためカットされた映像にもどれだけの真実が隠されているのか、撮った映像フィルムを全部見せて欲しいくらい。回答・演説中の菅官房長官と質問・下で聞いてる望月記者との視線バトルの面白さをはじめ、あまりにも編集が巧みなのでこれも真実ではないと客観的に見られる安心感を与えるのも上手い。

デモや選挙演説の合間に挿し込まれる同じ方向に一糸乱れずに泳ぐ大量の魚の群れの映像は、メタファーとしては分かりやす過ぎるが、印象には残ったので成功していたのかな。

望月記者の仕事ぶりが強調され過ぎていたが、集団行動が苦手で方向音痴(確かに酷かった)な弱いところ、合間にいろんなものを食べるシーン(ケーキ、フランクフルト、ソーキそば、サンドイッチなど)のパワーの源であるところ・気取らないところなどは、多少だが人となりが分かって良かった。出来ればもう少し家庭での妻や母親としての一面も覗いてみたかったが・・まあしかし体力的にも精神的にもタフ過ぎる、このままいくと健康面が心配になるほど、元気なシーンが多いので、落ち込んだり戸惑ったりするシーンも見たかった。

 

今作での森監督は今までと違ってかなり気を遣ってバランスを意識している感もあり(リベラルと宣言はしているが)、分かりやすく見やすい作品になっていたと思う。

森監督が最後までこだわっていた官房長官の記者会見にカメラを持ち込むこと(個で立ち向かい個と戦う姿を撮りたい)、結局はどんな手を考えても大きな厚い壁にぶち当たって門前払いされてしまう。記者クラブ制度の閉鎖性、普通のジャーナリストですら入れるようになるまで20年近くかかること、様々なルールがあることが分かった上で、あえて試して入れてくるのが森監督らしい。でも、最終的には映画として今作を世に出し上映させたこと、様々な問題点を浮き彫りにして分かりやすく観客に意識づけたことは何よりもジャーナリズムになったのかもしれない。

首相官邸前で撮影したり、横断歩道を渡るだけでも警察官に完全静止させられる(一般人は普通に渡っているのに)のは、あえてそうなるように仕向けているのだろうが、その理不尽さ・権力の横暴さを際立たせるのには最適な画だったのでは(怪しいユーチューバーでも止められるだろうし)。

 

まあ、出てくるキャラが強烈なこと。

※籠池夫妻は今作での笑い担当、意図的ではなく天然で普段から面白いのだろう、こちらの感情を揺さぶって取り込むのが上手い。改めて奥さんのキャラクターはズルい、旦那に俳句を二句も詠ませる無茶ぶりからどら焼きを勧める下りはもう笑うしかない、あの事件後は新聞を産経から朝日へ変えたとか。良くも悪くも純粋な小悪人としての籠池夫妻を次の映画の主役に据えて一本撮って欲しい・・結果コメディ映画になってしまうだろうけど。ただ印象的だったのは超愛国派で保守本流と断言しつつ「憲法改正には反対」「原発は廃止すべき」など意外にも一般的リベラルと同じところもあること、この人でさえ単純に二分化できないのだ。

前川喜平さんは面の皮厚くてさすが、AB首相へのコメントもなかなか。

※伊藤詩織さんは案件も含めて一番の被害者と言うか共感してしまう、実際の素顔を見ると普通の女子な面を感じられて改めて相手の卑劣さに嫌悪感しかなく、池袋の院長と言い上級国民や権力に近い者であれば優遇される法治国家の崩壊ぶり。ただ福島みずほ党首の「彼女は私たちです!」と近寄ってくるのにはドン引き・・まさに今作のテーマ「i」を外れた悪い例か。

※一方で共産党の志位委員長と記者たちの公開質問の場の方が、あまりにも民主主義になっていたのは皮肉的と言うか笑ってしまった。

 

本当は他社の政治部記者の意見、望月記者のことや現在の記者会見のあり方についてどう考えているのか知りたかったが、OBなどに短時間話させただけだったのは残念、大手マスコミはやはり忖度により取材拒否されたのかな。

「ジャーナリズムは常に権力へのウォッチドッグ(番犬)であれ」、筑紫哲也が生きていたら、今の現状をどう思っただろうか?、望月記者と対談させてみたかった。

今作のプロデューサーでもある川村光庸が手掛けた傑作「宮本から君へ」が、文化庁から助成金が突然取り消されたのも、映画好きというか芸術・文化としては大問題で許せない(あいちトリエンナーレや映画「主戦場」の上映中止忖度なども)。出演したピエール瀧の麻薬事件が理由だが、前例がなく突然あわてて交付要綱を改正する後出しなど明らかに「新聞記者」をヒットさせたのに対する”狙い撃ち”での嫌がらせとしか思えない。権力側が定義が明らかでない「公益性」という基準で恣意的に一方的に判断できることになる(検閲)のは本当にとんでもないこと、表現の自由は死んだ!ということ。

  

【(ネタバレ)ラスト・考察】

選挙での応援演説(丸山珠代というのがいかにも)に駆けつけた菅官房長官と、それを下にいる観衆の中から見つめる望月記者・・そして菅さんが下りてきて横断歩道を渡るときのニアミス、この一連の動きとお互いの視線が交錯するカッティングのスリル感が堪らなく嫌らしい。ここで突然出てくるアニメーションは賛否あるだろうが、映画だから出来ることだろう・・お互いにデビルマンに変身して戦うのは笑った、自分こそが悪と戦うヒーローだと言ってるわけではなく、単純に正と悪に分かれて見えてしまうのを皮肉っているのだろうか。

そして国会前のデモの中、「安倍辞めろ」と「安倍晋三コール」の両陣営の映像が流れる、それをどこか冷めたようにも見える望月記者やつまらなそうな森監督、それぞれの表情から何を読み取るのか? 人が集団になることで正義が暴走する怖さがあり、個の重要性を見ているのか。大半の人々はどちらの陣営もカッコ悪いし関わりたくないと冷めた目で見てしまうのでは?、右か左かの両極端ではないにしろ無視と沈黙自体も今の体制に流されていて都合の良いことになっているのに気付かない。。

 

ラスト、中立をモットーとする森監督作品で珍しく個人主観でのナレーションが入ってくる、「自分はリベラル寄りだ」と直接的に立ち位置を明確化することで、今作を権力側からの視点で描けないことに対するスタンスが伝わってくる。

画面にはナチスドイツから解放されたバリで、ドイツ人の恋人だった女性たちが丸刈りにされ行進させられている写真(ロバート・キャパ)が映し出される・・観る人によって何を思うかは委ねられているが、独裁者に勝った「勝者VS敗者」の単純な対立構造ではないのだと思う。

ラストカット、タイトルの「i」の文字が映し出される、集団である前に個として、一人称で語ろう、一人称で相手を判断しよう、その判断材料としてメディアがあるのではないだろうか・・「i」衣塑子のi、アイテム、アイデンティティから一人称へ。

国民性もあるが長いものに巻かれて知らないふり、自分で考えずみんなと同じように生きる方がラクではあるが、もういい加減まともな意見すら言えない同調圧力の怖さを実感してきているはず・・今の政権はそれを利用し多くの人が同じ考えに染まるような仕組みを作り上げてきた。それに流されないで先ずは自分で考えて物事を一人称で語れる自分でありたい、1人じゃ巨大な権力には勝てないかもしれないが、いずれiがIになって相まって合いまって愛となり多くのEYEでウォッチしていけるはず。

 

ジャーナリストとして権力に対峙する者を「反日」と言ってしまうある種の人たちに対して、ある記者が「たとえ左翼が政権を取ったとしても権力を監視していくだけだ」と力強く宣言していたのが印象的。おかしいことにはおかしいと言い続けて明確な回答をもらう努力をするだけ、望月記者にはフリージャーナリストではなく、新聞社に属する事で出来ることを活かして、今の姿勢のまま権力に屈することなくとことん真実を追求していって欲しい。私たちも「マスゴミ」「ジャーナリズムは死んだ」と諦めないで、傲慢なメディアへの戒めは必要だが、私たちの目としてジャーナリズムを育て応援する気持ちを持っていくことが大切なのだろう。