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年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「僕たちは希望という名の列車に乗った」 ★★★★☆ 4.7

君たちはどう生きるか・・東ドイツ版「今を生きる」、人生は自分で考え選択していくことの連続、それぞれの守りたい信念とは・・

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ベルリンの壁建設前夜の東ドイツで、2分間の黙祷を行った高校生たちが国家への反逆者と見なされて追い込まれていく、実話を基に映画化したサスペンス青春ドラマ。純粋な哀悼の意とほんの少しの悪戯心で気軽に行ったほんの2分間の出来事が、国家反逆罪となって人生を大きく変えるとは、この時代の恐ろしさを改めて感じる(当時の東ドイツ情勢を理解しておいた方がよりグッとくる)。

陰鬱で緊張感あふれる展開の中で、感情と理性、家族と社会、友情と恋愛の狭間で揺れる心理が丁寧に描かれ、青春映画としての躍動と煌めきも清々しく、多重構造な脚本、確かな演出と音楽、ほぼ無名の役者たちの演技どれもが上質で素晴らしい。

 

人民教育相から1週間以内に首謀者を明らかにするよう宣告された生徒たちは、仲間を密告してエリートとしての道を歩むのか、信念を貫いて大学進学を諦めるのか、人生を左右する重大な選択を迫られる。

とにかく、生徒たちの結束を分断して真相を吐かせようとする大人たちの巧妙で卑怯な手口が余りにもえげつなくて辛過ぎる。国家の体制維持を最優先にわずかな言動でも徹底的に縛り上げる、誰もが持つ弱いところ(個人や家族の尊厳)を執拗につつき精神的に追い詰める尋問(自分だったら絶対に耐え切れない)、散々ナチスに苦しめられてきたのに結局は自分たちも同じことをしているのに気付かない大人たち。

 

そんな状況の中で生徒たちは自分の守りたい大切なものは何なのか?すぐに決断しなければいけない、友人を売るのか、自分や家族の秘密、今の生活を守るのか、未来にかけるのか・・18歳で家族や国を捨てる判断をさせるとか酷すぎる。我々は東ドイツが今後辿る過酷な道を知っているが、1956年の今を生きてる彼らには自分の判断が正しいかどうか全く分からないのだ。それでも、「多数決」で決めていた彼らが、最後は「自分で決めるんだ」と、それぞれが本当に後悔しない道を選択するところは感動的。

 

もし今この時代同じ事が起きたら、自分はどうするだろうかと誰もが考えずにはいられない。自分としては親の立場なので、自分の子供が同じ状況になったらどうするか?、子供の成長を見守ることが親の役目だと思うが、この想像を絶する状況では何よりも子供の安全を優先してしまうかもしれない。なので、それぞれ違う家族のあり方には納得、二度と会えないかもしれない覚悟で力強く握った手やかける言葉、子供を見つめる表情や信じる気持ち、それぞれの親たちの深い愛に泣いてしまった(沈黙を強いられる親世代から自由と将来を夢見る子世代への継承)。

 

世界大戦後かつベルリンの壁建設前という時期を描いた作品というのは珍しい、正しいかどうか分からない社会主義に順従であり続けることを求められた時代に、隣国の革命に胸を痛め危険を冒してまで真実を求め、変わろうと行動した学生たち。大人の醜さや権力の卑劣さを目の当たりにしてきた彼ら若者の意志の連鎖が、ベルリンの壁崩壊や東西ドイツ統一といった歴史を動かしていったのかもしれない。

今の学生たち、自分を含め多くの大人たちに欠けてしまっていること、こういう時代があり、立ち向かった人たちがいるから「今」の自分があるのを忘れてはいけないだろう。

是非いろんな人たちに観てもらいたい作品、特に高校生、大学生のような彼らと近い世代の人々に感じて考えてもらいたい。

 

【演出】

監督・脚本は「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」のラース・クラウメ。今作もこういう系統の作品で、人物の隠された設定・心情が絡み合う脚本は良く出来ている(題名に向けラストの展開はほぼ想像できてしまうが)。

全編を通して、ドイツらしい薄暗く寒そうな空模様だが、ラストは分かりやすくスクリーンに光が満ちるので希望があると信じたくなる(当時のファッションや街並みの映像もこだわりが感じられ美しかった)。

ほぼ無名のキャストも全員素晴らしく、それぞれの環境における心情変化を自然にリアルに演じていて感情移入しやすかった。エリック役のヨナス・ダラーの繊細さとクルト役のトム・グラメンツのカッコよさ(服も可愛い)は今後も注目。

テオとクルトの友情、クラスメイトたちの友情、レナを挟んだ恋愛模様など青春映画として見ても素晴らしい、結局レナはどっちが好きだったのかは分からなかったが(好きなのはテオだが、どうしても許せない面で分かり合えるクルトに一時委ねる気持ちも分かる、最後のテオの決断で果たして元に戻るかどうか・・)。

 

多数決と同調圧力がクラスを混乱させる展開(ナチスを反映?)は、いろいろと考えさせられる。最終的にクラスとして連帯責任を負わされたので、最初に反対した人たちにとっては巻き込まれた感・理不尽さが強い、民主的に見える多数決でも、必ず「少数派」が存在するし(エリックは少数派だった)、最終責任もはっきりしないことになる。

ラスト、立ち上がった生徒たちと、震えながら最後まで立ち上がらない少女(これがあったからリアルに感じられた、全員立ち上がったらいかにもの青春ドラマになってた)、どちらが正しくて未来があるのかは分からない。

そもそも、こんなことになると分かっていたら多数決はしなかっただろうが・・

 

この邦題はネタバレまんま伝えすぎていて残念、終盤の展開にドキドキハラハラするはずが「タイトル的に列車に乗って逃げる展開になる」のが分かっているので安心してしまう(希望があるかどうかも分からないし)。原題の「DAS SCHWEIGENDE KLASSENZIMMER(沈黙する教室)」や、英題「THE SILENT REVOLUTION」の方が重苦しさ(沈黙こそ抵抗の意思)ではふさわしいと思うが・・でも興行的には邦題の方が日本人的には客が入るのも間違いない。。

少し前に公開されたドイツ映画「希望の灯 」をこの次に見ると歴史経緯がつながってくるのでちょうど良いかも。

 

※ここからネタばれ注意 

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【(ネタばれ)ラスト・考察】

後半ラスト、陰の主役であるエリックの展開は意外性もあり非常にドラマチックだった。父親の死が彼の行動基準であり彼の強さの源であったのに、尋問によりその基準が崩れ去り、自尊心・アイデンティティがズタズタになっていく、最終的には銃をぶっ放し逮捕されてしまうのは本当にい痛々しくて見ていられなかった(演技も素晴らしく、発砲の後みんなで彼を追いかける一連のシーンは見事)。これはフィクションだと望みたい。

クルトはエリックの密告により首謀者とバレるが、父親が市議会議長という地位が考慮されて、錯乱したエリックに全てを擦り付けるように圧力が加えられる。その夜、父親に従ってきた母親から「逃げて、戻ってこないで」と言われ西への逃亡を決意、列車の中で怪しまれ拘束されるも父親がやってきて「夕飯までには帰れ」と最終的に自分の地位を捨てて逃がすことに。

そして、最終回答日の教室、クルトが首謀者だと告白を要求されるが、テオは「皆で決めた」と譲らず、他の生徒たちも次々に立ち上がり同じ告白、結局全員(立たなかった子も恐らく)退学という代償と引き換えに彼らは友情と絆を守った。この次々と立ち上がるシーンは、まさに東ドイツ版「今を生きる」が思い出されて胸が熱くなった。。

 

ラスト、テオは悩んだ挙句、西へ行って卒業することを決意。テオの父親は労働者階級として「俺みたいになるな」「英雄になるな、お前が誇りだ」と将来を約束された息子をずっと望んでいたが、最後は息子の決意を悟り「自由を掴め」と固い握手で見送る、まだ意味が分からない弟たちも含め「また後で、今晩待っている」の言葉、もう永遠に会えないかもしれない悲しくてやり切れない別れのシーンは泣きそうになった。。

そして、それぞれが家庭の事情等を踏まえ自分で決断し、テオとレナと仲間たちが西へ行く列車に乗車するところで映画は終わる。

 

「人は信じるものが必要だ」、彼らにとっては社会主義でも資本主義でもなく、クラスの仲間たちと自分で切り開く未来だったわけで、列車の中でさりげなくお互い視線を交わしあっている時の内に秘めた想いと、テオの顔に日が差すラストショット。その瞬間の尊しさと高揚感は確実に明るい未来を想像させてくれた。

信念を貫いて反抗するか、身近な人を守るために信念を捨て従うのか、どちらが正しいか正解はない。答えはどこにもなくて、その時その時ただ自分で考えて決断するだけ、それが大人になるということ(もし後に壁が建設されることを知っていたらどうしたか?)。

原作(クルトが原作者)、では彼らのその後も描いているらしく気になるところ(クルトの父親やエドガー伯父さんも)、ベルリンの壁が出来て崩壊するまでどのように生きたのだろうか?、そう考えると今作は彼らの人生のプロローグに過ぎないのか・・

 

「君たちは国家の敵だ、なぜなら自分で考えるからだ」のセリフが印象的、政府は国民には愚かでいて欲しいもの。今の息苦しい時代の空気の中、リスクを恐れて自分で深く考えず流されないように、自分で考えて自由に選択できることの大事さを改めて感じていかねば。絶望という名の満員電車に揺られるだけの日々から卒業しなければ。。