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年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「斬、」 ★★★★☆ 4.7

ザン、残、暫、山、惨、懺、漸、読点の後に続くものとは・・塚本ワールド全開で現代日本の 生(性)と死をぶった斬る、テントウムシは上に登りすぎたら上に飛ぶしかない

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塚本晋也監督の最新作にして異色の時代劇、チャンバラ等の活劇やエンタメ的な派手な展開を期待してはいけない、ただの時代劇にあらず「野火」から続く監督流の反戦映画(今作のオープニングの火と「野火」のエンディングの火が関連している)。

人を斬るという行為に葛藤する主人公を通して現代人の葛藤と重ね、斬ることや復讐の葛藤を通して、生死の問題に肉薄することで、「非暴力」のテーマを炙り出す。人はなぜ斬るのか・・それだけを伝えるための徹底的に無駄を省いて、人を斬るためだけに作られた【刀】という鉄の塊を操る人間たちに「斬るとはなんだ?」と問いかけられ続ける圧巻の80分!「野火」と同じく観ていて怖くなる感覚、この重厚感と嫌な予感と緊張感の密度が濃くヒリヒリしてくる。

デビュー作「鉄男」から鉄を追い続ける監督らしく、キン!キン!と赤く輝く鉄をうつ打撃音、生と性の混乱、カメラワークの狂気ぶり、アクションのような殺陣といい、塚本好きには堪らない見どころ満載! 一般の時代劇は斬られたら倒れるだけだが、今作ではしっかり斬り落とされたり、内臓が流れ出たり、きちんと殺戮という行為の残忍さを表現しているのはさすが。塚本映画に慣れている人はいいが、グロいの(血ふぶき、脱腸シーンなど)や画面酔いする人は注意。

 

都築杢之進という浪人を通じて、人間が本能的に抱え込んでいる暴力性を炙り出す演出で、人を殺すとはどういうことか?、決定的な一線を超えるか・超えないか?あたりは「野火」と同じテーマだろう。

改めて人を斬ることは簡単なことではない、侍は簡単に人を斬れるイメージがあるが、そこまで行くのにはやはり経験の積み重ねや最初の1人目を斬るまで・斬った後のものすごい葛藤を乗り越えていくのだろう。銃で撃つのとは違い、刀の重さ、肉を切る感触、骨を砕く響き、血しぶき、近い間合いからの殺気や恐怖など、どれほどの重圧と覚悟を背負っているのか・・この重さがあるからこそ一度斬ったら「もう二度と普通には戻れない」のだろう。

人を斬れば憎しみの連鎖は続く・・その連鎖を断ち切るために偽善者と言われようが人を斬らない・・これは理想論でしかないのか、杢之進は武士の身分でありながら「武士道のあり方」と「人の道のあり方」に悩みながら理論が優先して行動に移せない。。

剣の技術は一流でも百姓の少年との木刀での稽古のみ、蒼井優と想いは通じ合っても自慰行為のみ、と全ては疑似体験の域であり、「いざ本番」とは程遠い。生も性も斬らずに逃げてばかりの彼に、現代を生きる若者と同じような感覚も感じつつ、いざ刀を目の前にした時、「斬るか斬られるか、殺すか殺されるか」、自分ならどうするだろうかとも考えさせられ・・苛立ちは募るばかり。バックグラウンドが不明なので何とも言えないが、心が弱いからこそ修練するのか、自分の強さを把握しているからこそ斬れないのか、その彼がいかに本番で侍としても性的にも斬り結べるのか。

戦争は相手に恨みがあるわけでもないのに「それが戦争だから」という理由で殺人を正当化し、なぜ相手を殺すのか考えもしない・・同じように「それが武士だから」と集団が生み出す狂気として片づけられるのか? ひたすら見せつけられる逃れられないジレンマ、時代背景の描写もあえて薄くしているのか、若者の葛藤やいまだ人と人が争い、戦争に終わりのない現代にも通じる一石を投じる作品にもなっていた。

 

【演出】

今作も塚本晋也ワールド健在で、出演、製作、脚本、撮影、編集、監督と1人6役をこなしている。

相変わらず独特のカメラワークと音を駆使した情景描写が素晴らしい。殺陣のシーンで、カメラを固定ではなく同じ動きで撮っていて躍動感と迫力が生まれていた。自然の音の静けさで際立たせる不穏な空気感、荒い息遣いや刀を抜く音の緊張感、刀を振りかざし刀同士がぶつり合う音の躍動感、刀が人の体を斬る残虐感、など音だけで想像が膨らみ心がざわつく。

塚本組である石川忠氏の音楽も相変わらず素晴らしかったが、これが最後になるとは寂しすぎる・・ご冥福を祈りつつ今までありがとうございました。

「野火」と同様、深い森の中で、暴力に疑問を抱く人間、暴力に取り憑かれた人間、暴力の間に挟まれる人間が描かれる構図となっている。また、徹底的に当時の時代考証に基づいている中、言葉だけは完全に現代の言葉にしているところは、あえて現代にも響かせるメッセージとしているのだろう。

生と性の表現もメタファを用いて暴力的かつ官能的に描くのが塚本監督らしい、杢之進は壁の穴から指だけを外に出し、それを咥える蒼井優の疑似口淫、満たされぬ欲望・諦めに対して噛むことで確かめ合うお互いの痛み。夜の小屋、蒼井優と塚本の距離感の取り合い、根本要因である恨み・怒りからか、本番に強い男への誘惑・憧れからか、めくるめく主導権の移り替わりと体位の入れ替え・・交わってはいないが、直接体を密着して交わし合う痛み(杢之進は壁を挟んでいる)。そして最後、彷徨って彷徨って、一撃必殺の斬り合いでようやく発射された男根(刀)と立ちすくむ表情の生々しさに何を感じるか。

冒頭での爆音からの刀で斬った一本の線がタイトルになっていくオープニングのカッコよさ・・普通なら「斬。」であり、武士は人を斬るのが仕事であり斬ることでその行為は完結する。しかし今作は「斬、」であり、「斬る、なぜ人を斬るのだろう」「斬る、その後どうなるのだろう」と考え続けさせる意図があるのだろう。

 

【役者】

初共演の二人に尽きる、この二人でなければ成立しなかった映画、池松壮亮の現代にも通じる煮え切らない若者の葛藤、蒼井優の内に秘めた情熱と絞り出すような慟哭と叫びは二人の十八番演技と言っても良い。重苦しい余韻を残すラストにあの声が響き渡って頭から離れない。。今作に続き二人が共演する「宮本から君へ」も楽しみで仕方がない(また重い作品で二人ならでは)。

池松壮亮の暴力の解放の先に報われたのかどうかを問わせる背中、殺陣さばき・刀の抜き差しの流れるような美しさ。

蒼井優の人の業を背負って耐え忍ぶ受け入れ感からの感情の爆発、奥に漂わせる色気、ラストの心の底からの本物の泣き声。

塚本晋也監督の善良ぶった大人の怖さとエグさ、常連の中村達也の存在感のある悪党ぶりもさすが。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・考察】

ラスト、杢之進が刀を抜き一撃で塚本を倒す、顔が血ふぶきに染まる瞬間、「ようやく斬ったか!」というカタルシスと「斬ってしまったか・・」という絶望の両方が押し寄せてくる複雑に絡み合う感情。二人も観ている我々も、斬ることは終わりではなく始まりに過ぎないと分かっているだけに、今後の行方はそれぞれに委ねられる切れ味鋭いラストだった。

ふらつきながら宛てもなく歩く杢之進は、人を斬ったことに絶望して山中でのたれ死にするのか、斬ったことで自分の存在意義を認めて幕末の京都で大活躍するのか、一匹狼の侍として生きていくのか・・残されたゆうはどう生きていくのか・・

ラストの霧がかった森を彷徨う姿は、今後の日本の行く末を示しているようも思える・・平和の均衡は闖入者により簡単に崩れる危険性があること、曖昧な忖度だけではなく斬るという痛みを伴った決断が必要となること、そのとき刀という暴力に吸い寄せられてしまうのか、争い・戦いを回避する策を見つけられるのか。。

斬のあとに続く「、」 人を斬ることで始まる更なる悲劇・負の連鎖こそが「暴力」が持つ本質そのものであり、暴力的な世界と隣り合わせに生きる我々が忘れてはならないことなのだろう・・「、」を「。」にして「完」にするために何ができるのか考えていくことが大切なのだろう。