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年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「ミッドサマー」 ★★★★☆ 4.7

◆「不快感から爽快感へ」美しさと狂気は紙一重の地獄のようなトラウマ映画であり、別れたいカップルや孤独な人・失恋した人には共感から解放と救済されるセラピー映画

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大注目のアリ・アスター監督×A24再び、近年のホラー映画では久々に唸らされた大傑作「ヘレディタリー継承」から待ちに待った新作は、予想通り作家性が爆発した最高に狂ったカルト映画だった。ホラー映画というジャンルの枠組みでは語れない領域にあって、前作同様おぞましくて胸糞悪い不快感が続くが、今作は終始明るい画面で美しくアートで最後には爽快感すら感じるという不思議な余韻が残る作品だった。

前作ほどのホラーらしい恐怖感はそこまで感じないけど、淡々とスローテンポでどこへ向かうのか全く分からない不気味さの中にも笑いあり「いったい何を観せられているんだ」状態の2時間30分、味わったことのないトラウマ体験ができる。R15でエログロさも強烈なので誰にでも勧めることは出来ないけど、ハマる人には堪らないはず、観るときの精神状態によっても変わるし本気でヤバい領域にイッてしまうのでメンタルが弱ってる人は注意が必要。

 

スウェーデン奥地の村で90年に一度開かれる祝祭・夏至祭(MID SOMMAR)に参加した若者たちが、白夜の下で行われる異様な儀式に飲み込まれていく比較的シンプルな話だが、全編伏線メタファーで恐ろしく考え抜かれた緻密な伏線回収の脚本構造と演出で、敢えて明るい陽射しの美しい景色の中ではっきりと見せる残酷性、邦画なら暗い色彩になるところをひたすら爽やかにお花いっぱいにフォトジェニックなまま描き切る斬新さ。

監督曰く個人的な失恋体験とスウェーデンの伝承を掛け合わせた映画を作ろうと思う発想力も凄いし、実際にこの完成度の作品に仕上げてしまうのも尋常ではない。どういう別れ方をして、どういう視点で世の中を見てたらこんな世界を表現できるのか?、前作同様「家族とは呪いである」から「個人の解放と救済」まで、ただの変態を超えて最悪でもあり最高でもある振り切れ方も素晴らしい。

 

「自分たちの価値観に反する文化を持つ人々を見た時、我々は何を思うのか」という民俗学目線でも興味深い、今作では村人たちは"狂った人々"ではなく基本的にみんな”いい人”として描かれている・・他から見たら非人道的な行為も彼らにとっては昔ながらの伝統であり文化にしか過ぎず、逆に彼らから見れば私たちの常識が狂ってるのかもしれない(もちろん倫理的にやってることはアウトだが)。

土着文化においては「多様性」として寛容になるべきなのか?どこまで認められるべきなのか?、そして人間関係の浅く広いネット社会のコミュニティではなく、人間関係の濃密な狭い村社会のコミュニティ(カルト宗教的な共同体)ならではの居心地の良さにいつの間にか共感していってしまう恐ろしさもあり、現代に対する皮肉にも捉えられる。。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・コメント】

大学生グループが休暇中に田舎の祭りを訪れて大変な目に遭うというプロットだけなら普通のB級ホラーなのに、ここまで格調高く仕上げるのが凄い。物語の序盤で散りばめられた伏線が後半になってどんどん回収されていくが、記号や言葉や絵など細かいところまで凝っているので見るたびに新しい発見が出来るはず。

前作に続き、画角、距離感、光と影の使い方など徹底的にこだわった圧倒的な映像美も美しく、どのカットも計算され尽くして作り込まれているのでフォトジェニックなのにしっかり恐ろしさも感じる。白夜の状態を現したかのような白みがかった映像で、構図や自然や音楽が美しいほど・村が明るいほど癒しにも不安にもなって、残酷な儀式やコミュニケーションの違和感を巧みに麻痺させられ、主人公ダニーたちと同じようなトリップ状態に陥ってしまう。まさにドラッグのように画面が揺れたり流れたり、手や足に草が生えてくる幻覚を見たり、花が咲いたり閉じたりするサイケデリックな世界を漂っている感じ。

独特のカメラワークや意味深なショットの多用など前作で見られた癖の強すぎる演出は、更に磨かれていてその世界観に入り込んでしまう。上から俯瞰で撮ったり鏡越しに並べたり、目覚める時に目を片方ずつ開けたり、特に村に入る時「ここから先は常識が通じない世界ですよ」とばかりにカメラが回転し天地がひっくり返るところなど好みだった。グロテスクな人体破壊も明るい場所ではっきりと見せるため、細部までしっかり作りこんだリアリティある美術も凄かった。

 

前作でも顕著だった「嫌な音」の演出も健在で、伝統の不思議な唄や耳ざわりな不快な音階を重ねた(サンプリングもあり)音楽を背景に、ハエの飛び回る音、蠢く料理や森林、そして泣き叫ぶ声など自然の音響にもこだわっていて、加えて弦を中心とした神秘的なサントラもすごく良い仕事をしている。

日が沈まない白夜という北欧特有の天気と、俗世から隔離された田舎の自然あふれる美しい村という空間設定も見事(撮影場所はハンガリーの首都ブタペストで行われたとのこと)・・冒頭の雪の降り積もる暗く狭い部屋の空間で家族の喪失という辛い現実を抱えたダニーにとって、晴れ渡る大自然や真っ白な衣装、色鮮やかな花々といった明るいモチーフ溢れるホルガ村は“聖域”と感じさせるだけの印象を与える。

 

序盤のスウェーデンに行く前から友人・恋人間の微妙な空気の描き方が上手く、ダニーにとってすでに終わってる人間関係を予感させられる。1年前から別れたくて内心ウンザリしてるくせに決断できずズルズルと引き延ばし上辺の優しさを見せる彼氏クリスチャン、感情的で不安定でヤバい女と思っていながら本人の前では表面的に親切に振舞う男仲間たち、連帯感がありそうで実際は自分のことだけしか考えていない(論文ネタの取り合いや欲望優先)。

そんな奴らでもすがらざるを得ないダニー、冒頭のクリスチャンとの生々しいリアルなあるある言い合いから痛々しく、村に着いてハッパを吸う時など友人関係や連帯感を気にし過ぎて取り残されないように必死についていくのが観ていて辛い(現代の同調・忖度の空気感、簡単に壊れる関係性)。

クリスチャンが忘れていたダニーの誕生日をペレに教えられて小さなケーキで祝う時、なかなかロウソクに火が付かない(もう恋の炎が燃えることはない)のと、火が付いても彼が見ていない瞬間に火を吹き消す(彼と今後一緒に見ることはない)のと、その後ろでは村の女性たちが赤ちゃんをあやしているシーン(この村で新しく生まれ変わる)が二人の行き先をすでに暗示していた。

最初は女性蔑視のような発言もしていた男性陣が、村では女性優位に誘導されて殺され最後には女王に選ばれる立場に落ちるのも現代的でもある。

 

クリスチャンの性交シーンはさすがにシュール過ぎてエロさは全く感じず、終わって我に返ってフルチンで外に逃げ回る姿にも笑ってしまった。周りで応援・共有するおばあちゃんたちの裸体が強烈すぎて、自分だったら絶対に出来ないけどクスリの魔力と圧力でやらざるを得ないのか・・後ろからおばあちゃんにケツを押してもらうとか冷静に考えたらただの罰ゲームだし浮気でも何でもないのでは(と言っても信じてもらえないのが男としても辛いところ)。

しかし、この作品でのモザイクは本当にいらない、一気に現実に戻される感じで興ざめ、意味を分かってなさすぎ、それも中途半端な箇所でそこ意味あるのか?謎のかけ方に更に苛立たせられる。

 

普通の状態なら一刻も早くこの村から逃げ出すことを考えるのだが、いつの間にか不思議な心地よさとどうすれば救われるのかを考え始めてしまう。この狭い共同体の中では個人の尊重をなくし運命共同体「家族」のために行動する、「家族」が悲しんでいたら一緒に泣き、苦しんでいたら一緒に苦しみ感情を共有する・・落下に失敗し苦しむ老人と共に悲痛な叫びを上げる、性交する二人を手助けし共に喘ぎ声を出す、泣き叫ぶダニーと共に泣く、みんなで同じ動きで合わせながら全力で共感し共鳴する。

客観的に見れば過剰で異常な光景も当事者にとっては今まで一人で抱え込んでいた人ほど、これだけ大勢の人たちと分かり合えて感情を爆発させて発散できることは、確かに解放であり救済になるだろう。それだけ自然に沿った野生的で本能的な方法が一番効果があるのか、カルト宗教団体にハマってしまう怖さも改めて感じた。ただラストで“痛みと恐怖を感じなくなる”という薬を信じたけど、炎に焼かれる生贄二人が”恐れる顔で悲鳴を上げる”シーンを入れるあたり意地が悪い。どんなに信じて共感されても熱いし痛いものは痛いのだ。

 

結局、この村の真実は分からない、本当に伝統儀式だったのか、狂信的なカルト集団としての儀式だったのか、どちらにせよ最初からこの奇習の中で育っていれば問題なく受け入れてしまうのだろうけど。人々を殺害する村人たちには罪の意識どころか逆に救済の意識しかないところが怖すぎるがこれが洗脳ということなのか。

どれだけ外部の人間が入ってきたのか、近親相姦と子供とのバランスはどうなのか謎ばかり。ただ、90年周期という設定は濃い血を薄める目的としては長すぎるし、歴代のメイクイーンの写真が非常に多く、赤ん坊(毎夜泣きの演出)や子供の数も明らかに多いので、どう考えても実際には夏至祭以外の日にも外部からの人間を引き入れてるはず。村=共同体を存続させるために集団の幹部になったものが真実を知らされて秘かに運営してきたのか、結局ペレはどこまで知っていたのかは気になるところ。

 

ペレが普通の大学生としてみんなと今までどうやって付き合ってきたのか、定期的に生贄を連れてくるためだけの役割としての存在だったのか。何ならダニーの妹の無理心中を手助け>両親も殺したのはペレだったのではとも疑ってしまう、最初から女王として素質のありそうなダニーに目を付けていて、彼氏とも上手くいかず更にドン底に落として確実に村に連れてくるために仕組んだのか・・

さすがに無理があるにしても、ダニーを好きだから連れてきたかったのはあるだろう、旅行に来ると分かった時の顔や誕生日を覚えていて絵を差し出すところなどは真剣だったように見えた。両親が火事で死んだと言ってたのは恐らく生贄の儀式で焼かれて天涯孤独になったので、ダニーへの共感は強かったのだろう。

 

監督曰く影響を受けた映画はいろいろあって、参考にした日本映画は小林正樹「怪談」、今村昌平「神々の深き欲望」、新藤兼人「鬼婆」とのことで納得、またイングマールの名前も出てくるようにベルイマン「叫びとささやき」「ある結婚の風景」やビジュアルはロマン・ポランスキーマクベス」「テス」にも影響を受けたよう。

特に個人的に一番感じたのは「ウィッカーマン」で土着信仰に生贄などほぼ同じ設定と展開であり、ラストのクリスチャンのクマは2006年版「ウィッカーマン」でニコラス・ケイジがクマの皮を被っているのと全く同じで驚いた。その他、イーライ・ロス監修の「サクラメント 死の楽園」(新興宗教団体にいる妹を連れ出すために潜入する話(信者全員集団自殺したカルト集団の実話)や、観た後の感覚は宗教的なメタファーも多かった昨年の「サスペリア」にも近いことを思い出した。

 

【(ネタバレ)伏線・メタファー考察】 

多くの考察サイトがあって面白く参考になったが個人的に注目して気になったもの、記号やメタファーだらけで改めてビデオでじっくり見返したい。

夏至祭の真の目的は「外部者と子作りして新しい血を取りこむこと」であり、共同体の繁栄維持のために人口コントロールしていて、計画的に外部から血を入れたり近親交配している。

・「アッテストゥパン(スウェーデン語で崖)の儀式」は、72才になったら人の厄介になる前に崖から飛び降り自殺すること(姥捨山)。死ぬこともセックスも儀式であり、命の循環が繰り返される。

・ルビン(近親相姦で血が濃くなり過ぎた障害者)は、あえて近親相姦で生むことで世俗との繋がりを持たせず、最も大切なルーンの聖書「ルビー・ラダー」を書き続けることが出来る。

・数多く出てくる絵画は全てどれもその後の彼らに訪れる未来を予兆させていた。

※クマの画:北欧でクマは強さや繁栄の象徴、最初のダニーの部屋の画は王冠を戴く金髪の少女と巨大なクマ、その後もオリの中に閉じ込められている実物のクマ、火に包まれるクマの画までクリスチャンの行く末が見えていた。

※最初のタペストリー:左から右へ、雪降る冬の日のダニーの妹の無理心中、次に泣くダニーを恋人クリスチャンがなぐさめて木の上から眺めている男性が絵を描いてる、次にそのハーメルンの笛吹き男ペレが4人を連れてホルガ村の夏至祭行き、右端は白夜の太陽の下でダニーたちに混ざってガイコツ(死者)も踊っている。

※外に立てかけてあるタペストリー:右から左へ、子作り許可年齢に達したマヤは気にいった男性クリスチャンを選んで、枕やベッド下にルーン文字「愛」を潜ませて、自分の陰毛をミートパイに、生理の血を飲み物に混ぜてクリスチャンに飲食させる、そしてドラッグで朦朧させて裸の女性たちに囲まれ処女のマヤに受精させる。もしマヤがクリスチャンを選ばず、ラストでダニーがクリスチャンを選ばなければどうなったのだろう?どこまで計算されていたのか?

※建物内の壁画:中央にメイクイーン、周りに9人いるうち二人が裸で一人が炎の中とラストそのまま。また性交する儀式画の下のベッドはクリスチャン。

・「9」は聖なる数字なのか、夏至祭は90年周期で9日間続き生贄は9名、飛び降り前に血をぬる石碑には9つのルーン文字、自殺する72歳は7+2=9、Midsommarのアルファベットの文字数が9、冒頭の留守番電話の表示が9、北欧神話では世界樹ユグドラシルの神々世界アスガルドを含む「9つの世界」が存在、9の倍数の「18年周期」で少年~18歳、青年~36歳、中年~54歳、老人~72歳、そして72歳の儀式で飛び降り自殺して次の世代に名を譲る命の循環。あと「13」の不吉な数字もあり、クイーンに選ばれたダニーに付きそう女性が13人で、クリスチャンの性交の場にいた裸の女性も13人。

・9つの世界への生贄9名は外部5名、内部4名:①サイモン(イギリス農場の彼氏、鶏小屋でのブラッド・イーグルという拷問で身体を切り開かれたまま吊るされ生かされていた?肺が動いていた)、②コニー(イギリス農場の彼女、水死体)、③マーク(神聖な木に立ちションして顔と下半身の皮膚を剥がされた)、④ジョシュ(ルビ・ラダー撮影して殺される)、⑤クリスチャン(内臓を抜いた熊皮の中に生きたまま入れられた)、⑥老婆(崖から飛び降り顔面ぐしゃぐしゃ)、⑦老爺(崖から飛び降り左脚ぐしゃ+顔面ハンマー)、⑧ウルフ(立ちションにキレてたおじさん)、⑨イングマール(イギリス農場から生贄2人を連れてきた)

ルーン文字も多く出てくるが、昔ゲルマン民族が用いた古代文字で、使われている箇所はメイポール、神殿の部屋の内装、服、石板などで、それぞれパワーや進化、自己犠牲、死などの意味があるとされている。死体や衣装の刺繍にも文字が人物に合わせて使われていたり、食事の食卓机の並べ方が文字の形になって順に変化していくのも意味があるのだろう。

・ダニーがダンスコンテストで最後まで踊り続けて「メイクイーン(じゃがいもでなく5月の女王)」に選ばれたのは偶然か必然かは分からない、ドラッグでハイになっていたとは言えヤラセにするのは難しそうだし。ただ、クイーンは女王アリ/蜂として子孫を産み続ける役割を与えられるのかもしれない。

・ホルガ村の入り口は太陽を象った意匠だが女性器にも見えるし、シンボル塔のメイポールは完全に男性器のカタチでその周りを子孫繁栄を願って女性たちが踊りまくる、最後の儀式の三角の建物は北欧神話ユグドラシルの木を連想させられる、ここで燃やすことは神聖な行為であり浄化、成仏の意味があるのだろう。

・彼の名前がクリスチャンなのは、ダニーがそれまでの自分の信仰(キリスト教)を捨ててホルガに入信するということ。

 

役者としては、やはり主人公ダニー役のフローレンス・ピューが素晴らしい、「ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語」でアカデミー助演女優賞にもノミネートされ、「ブラックウイドウ」のナターシャの妹?役も決まっていて今年大注目の女優。全編通して泣きっぱなしだが様々なシーンでの泣き、嗚咽の演じ分けが凄かった、最初と最後では違う様に聞こえる、特徴あるハスキーボイスの泣き声が耳から離れない。ちょっとぽっちゃりな体型やメンヘラで不安定な状態の演技も好き。

あとは彼氏のクリスチャン役のジャック・レイナーは「シング・ストリート」から気になっていたが、あの見開いた目や情けない姿などの熱演に圧倒された。マーク役のウィル・ポールターは一度観たら忘れられない特徴的な顔だが、あの「デトロイト」では胸糞悪い警官役を演じていただけに今作では逆に酷い目に合うのが感慨深かった。

 

【(ネタバレ)ラスト・コメント】

最後の儀式では9人の生贄が必要であり、ダンス大会で女王となった(村人に称えられ「必要とされる喜び」で恍惚になっている)ダニーは、彼氏クリスチャンともう一人の村人の二人から選ばなくてはいけなくなり・・結局選ばれたクリスチャンは本物のクマを着ぐるみにされてメインの小屋で全員燃やされる中、ダニーの笑顔で終わるというラストカット(全身お花だらけのダニーと全身クマのクリスチャンの美女と野獣のビジュアル対比が最高)。まあ最初の流れからもクリスチャンと別れて最終的にはこの村の一員になるのは予想される範囲ではあったが、まさかこんな爽快感すら感じるカタルシスと不思議な高揚感で終わるとは思ってもいなかった。

最後の死体はあまりリアリティが無く、少しデフォルメされ過ぎて花を生けたりクマになったりやたらインスタ映え感があったのは敢えて儀式的だったのだろうが、外で全員で熱さと哀しみを共感する中、ダニーの今までで一番最高の爽やかな笑顔が強烈だった。この笑顔をハッピーエンドと見るかどうか・・(ドラッグなどでラリっている時は映像が歪むがラストは特に歪んでいなかったのでシラフでの笑顔のはず)。

ダニーにとっては、妹や両親を亡くしたトラウマやふんぎりのつかない彼氏との関係など、一人孤独に抱えていた苦悩をようやく一緒に分かち合い、真に解放・救済されたこと、自分の本当の居場所・新しい家族を見つけられたことはやはりハッピーエンドなのだろう(全身お花で覆われるのは完全に共同体に取り込まれたということ)。全てが白日の元に晒されて、死んだ家族や生贄になった友人や自分の命は繋がっていて全ては輪になっていると悟ったとも言える。クリスチャン含め他のメンバにとっては、異常な狂った村で裏切られ単に犠牲になったバッドエンドなのだが。

ただ、これがベストな選択だったとも思えない、ここに来ないで地元で新しい優しい彼氏に支えられて家族になったかもしれないし、いずれ彼女が生贄になるかもしれないし、実は全てホルガ村の思惑通り弱みに付け込まれ、薬物と心理掌握によって誘導・利用されてしまっただけの結果なのかもしれない。でもそれが欺瞞に満ちたものだろうが、彼女が死のトラウマから抜け出し人間関係を清算し、新たな家族の一員となることができたことは確かなのだ、おとぎ話の王女のように。

 

ホルガ村のような共同体はきっと今でも地球のどこかにあるのだろう、「サークル・オブ・ライフ」命が循環する思想は人口を増やし過ぎないことで共同体を維持することだし、近代個人主義と完全に逆行した生活は現代の閉塞感の中で孤独に苛まれる人たちにとってはユートピアにさえなり得るだろう。大きな失恋や大切な人の死を乗り越えられない人、一人孤独に様々な苦悩を抱えて解放されたい人は救済の物語として完全に主人公に共感してしまうかもしれない。。

「ジョーカー」までは無いにしろ、そういった人たちを取り込むことを許容する危険な映画とも言えて、あくまでも怪しい完全にカルトな宗教団体に騙されてハマらないことを祈りたい・・※製作会社である「A24」がこの映画を観て別れたカップルに3ヶ月間無料のセラピーを提供しているとのこと。

ただ、今作は主人公ダニーの女性ならではの主観的な視点であり、自分としては男たちの立場も分からなくもないので入り込むまではないが、クリスチャンのように彼女をいい加減にあしらうことなく、少なくとも話を心から聞いてあげることを徹底しようと恐怖をもって反省?させられた。。

 

個人的には「ヘレディタリー」より怖さや残虐さは少なく比較的分かりやすい作品だったので、どうせならR18にしてもっと突き抜けても良かったかな・・と思っていたら、更に30分ほど長い170分の「R18のディレクターズカット版」があるそうで、ちょうどクラウドファンディングで一定数集まったら公開する企画が走っていた。。それは是非実現して観なければ!

アリ・アスター監督、次は恋愛映画やダークコメディを撮るとか噂があり、この路線でいくのか変えてくるのか、とにかく一筋縄ではいかないだろうから、また楽しみにして待っていたい。