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「僕はイエス様が嫌い」 ★★★★ 4.2

◆「神様ヘルプ!」「SAY YES!」神の不在を日本の子どもの視点から描く、世界は残酷で神様は何もしないが何かを信じることは素晴らしい、障子の穴から見えるものは?

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若干22歳の新人・奥山大史監督が青山学院大学に在学中に作られた超低予算の76分というデビュー作、サンセバスチャン国際映画祭にて最優秀新人監督賞など様々な国の映画祭でも受賞して話題となった作品。

おばあちゃんと一緒に暮らすために東京から田舎へ引っ越すことになった少年・由来(ゆら)が、新しい学校での礼拝に戸惑いつつお祈りをする中で目の前に小さなイエス様が現れて・・題名からはブラックユーモアを想像したけど(英題「JESUS!」)、前半はほのぼのした感じでファンタジーチックでもあり、後半のある出来事をきっかけにリアルなテーマが突き付けられとても考えさせられた。

淡い写真集のような切り取られた映像の美しさ、雪国のキーンとした空気感と演技とは思えない自然体の子どもたちの雪の結晶のような透明感で、削ぎ落とされたシンプルさが心地よい。過剰演出を排除し、あくまで日常の風景を淡々と描くことで日本での信仰文化を異質に映し出す実に巧みな構成に唸らされる。

非常に少ないセリフから見えてくるのは、信仰とは決して願いを叶えるものではなく繰り返される日常の中にあること、それに至る感情の変化と少年の成長が見事に伝わってきた。

 

日本は海外ほど1つの宗教を深く信仰している人は少なく宗教観も様々で、どちらかと言うと深い信仰心を異質な違和感として捉える人も多い、無宗教だからこそ見えない神様を都合の良いように信じたり信じなかったりしてしまう。

今作はその違和感を分かりやすく純粋な子ども目線から描いていて、小さなイエス様への願いも同級生と仲良くなりたいとかお金が欲しいとかさりげない呟き程度で押しつけがましくない感じ。世界中で過去から描かれてきた「神の不在」というある意味普遍的なテーマを、この日本で子どもの視点から描くのは非常に新鮮であり世界で評価されるのも分かる気がする。

今は疎遠になった田舎の友達と過ごした温かい時間や、実家で障子を破って怒らたことを思いだしたり、画面の比率がスタンダードサイズなのもあり、ノスタルジックな気持ちにさせられた。派手なことは起こらず淡々と静かな作品のため、決して娯楽作品としての面白さはないけど、奥山監督の才能を感じさせる魅力的な作品で日本映画らしさを求める人にはおススメ。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・コメント】

ブルーグレーの校舎、こげ茶色の礼拝堂と食卓、フィルムカメラで撮った写真みたいな色味や質感がとても良かった。学校の廊下や雪に覆われた校舎、家庭の食卓などの固定ショットの多用、中盤までの水平なショットから後半の和馬が死んだ後の俯瞰気味のショットへのさりげない転換、ラストの垂直移動まで神の視点を見据えた素晴らしさ。

また、確信犯的な構図や光の差し方も印象的で岩井俊二監督のような美しさも感じられた。特に由来と祖母が祖父の仏壇に並んで向いている仏壇側からのショット、死んだ祖父があちら側から覗き込んで見守っているようでグッときた。

冒頭で祖父が障子に指で穴を開けて外を覗くと何かを発見したかのような驚きの表情だったが、ラストでも由来が同じ動作を繰り返す・・祖父や由来はいったい障子の先に何を見ていたのだろうか? 自分なりに大事に信じていたもの、穏やかで平穏なかけがえのない日常の風景だったのかもしれない。

 

小さなイエス様がお笑い芸人のチャド・ブレーンなのも適役で、子供が心の中で思う神様だから自由だし、あえてしゃべせらせなかったのも正解、イエス様が出てきてる時は、由来が神様がいると信じている時なのだろうから。

積もった雪の上をサッカーボールを追いかける二人の足跡と、鳥の雛が埋れながらも必死に歩いている足跡が、死と対照的な未来を思わせてくれる、降り積もっては無くなりまた歩いて残して、いずれは溶けていく人生の足跡のようなもの。

大人と子供の対比も見事で、お別れの会で先生から手紙を要請され、その手紙をお母さんに見せて書き直させられるところ、亡くなってすぐに置かれる白い花の献花、その人の好みとか本人のためではない儀式的・形式的な人の死に対する作業感。だからこそラストで由来が、献花を和馬の大好きだった青のラッキーカラーにして、大人に直された手紙ではなく自分の心からの言葉で語りかけるところは泣けた。

 

子供たちの演技とは思えない完全な自然体でのやりとりが素晴らしく、会話がめちゃくちゃ小学5年生の語彙になっているのがリアルだった。一方で大人たちの腹の立つ過剰とも言える演技はおそらく演出なのだろう(カタチだけ整えばいいのだから)。

真っ白な雪景色の中でかかる音楽は賛美歌のみで美しさが際立って良かったし、ニワトリを捕まえてサッカーをして仲良くなる流れとか、人生ゲームでの絶品の会話とか、二人の関わり方が自然で美しくて是枝監督を思わされた。是枝監督と同じ分福出身なので子役の扱い方や演出など似ているのは当然か、雰囲気は「ワンダフルライフ」に近い感覚、とにかく奥山監督の次回作が楽しみで仕方がない。

 

【(ネタバレ)ラスト・コメント】

なんとなく死の予感はしていたが、和馬が突然の交通事故(黒沢清監督のような轢かれ方、あのスピードなら普通は即死だろうが)で意識不明に、そこからはなぜかイエス様は現れず、結局一番叶えて欲しい祈りは届かず死んでしまう。そして和馬を追悼式で弔事を読み上げている最中に唐突に現れるイエス様、なぜ今なのか、由来は神への祈りを拒絶し祈りを拳に変えて神様をダンッ!と叩き潰す。

子どもならではの振舞いの中に浮かび上がってくる「救い」、最後に出てきて由来の迷いや憤りなどの感情を何も言わずに全てを受け止めてくれたのか、それに気付くことで一歩成長したとも言える・・これが宗教の「救い」ということなのか? 

これは決して祈りなんて意味がないというキリスト批判ではないだろう、最後のシーンでは賛美歌が流れているし、エンドロールでは「この映画を若くして亡くなった友に捧ぐ」と出てくるので、監督にとっても映画を作ることが祈りであり救いでもあったのだろう。

 

ラスト、どこまでも真っ白で幻想的な雪の中でサッカーしている画をカメラが上空に上がって俯瞰的にいつまでも追っていくシーンが美しく、神の視点からこれからの未来を見守っていくということなのか。大事な友達のために青い花を捧げる優しさは空の上にも届いているはず。

「信じるものは救われる」と言うけれど、神の存在があっても天変地異や無理難題を含め全てのことに対して助けてくれるわけではない、表面上の祈りではあったが「お祈り、意味なかったね」という純粋な一言が染みる。神様は願いを叶えてくれる存在でなく拠り所であり、祈ることは心の平静を保つために必要で罪悪感を無くすことなのかもしれない。

「イエス様なんていない」ではなく「イエス様が嫌い」なのは信じているということだし、何か一つでも信じられるものに出会うことは素晴らしいこと、それは神様でなくてもいいのだ。