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「サスペリア」★★★★☆ 4.5

◆「決して一回で見ないで下さい、理解不能の変態的なほど狂った美しさ、監督のクセがスゴ過ぎる・・」

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あの繊細で美し過ぎる「君の名前でぼくを呼んで」の次は、まさかのホラー映画の傑作『サスペリア』のリメイク。ルカ・グァダニーノ監督が何十年もかけてきた思い入れの強い作品なだけに情熱が半端ない。ただ、本家アルジェントは「これは俺の『サスペリア』じゃない!」と激怒し、タランティーノは涙で絶賛というように、キャラクターの名前や状況設定だけを借りた完全に別物の映画となっている。本家もクセが強いだけに好きな人は怒るのも理解できるが、個人的には本家・魔女の消滅の物語から魔女の誕生の物語へと昇華させた傑作だと思う。

 

分断された当時のドイツの政治的状況、バーダー・マインホフ、宗教およびその宗派、コンテンポラリーダンスを含めた芸術とそれを弾圧したナチス、「魔女」の歴史的・宗教学的背景、フロイト的心理学、フェミニズム、などなど、散りばめられた記号・情報量が多すぎて何回か見ないと全部は理解は出来ない。

 

繰り広げられる美しさと狂気が同居する閉鎖的な空間での物語は、不気味で息苦しい場面が続くが謎めいて刺激的である。そして全てが結実するクライマックスは、恍惚の地獄絵図だけど圧倒的カタルシスの何とも言えない満足感に包まれる。

女性たちの身体的な美しさ、グロテスクだけど美意識溢れる画的センス、トム・ヨークの胃がキリキリしてくる音楽とともに、監督の本当の姿であろう本当にヤバい変態映画。人体破壊やグロ、大量の血が苦手な人は注意(キツイけど美しく感じてしまう不思議さ)

 

主要テーマは、人間の歴史が繰り返してきた権力闘争、排他主義への批判。作中何度も提示されるベルリンの壁、ドイツ赤軍のハイジャック事件、ナチスホロコーストと合わせ、自分たちの神様以外は一切認めないキリスト教、そこから迫害され舞踏団という仮の姿を得て身を隠している「魔女」、これらは全て自分と異なる相手、考えを排除しようとする考えが生み出したもの。ヨーロッパでの移民排斥問題、トランプのメキシコ国境の壁などに踏み込んでいる。集会儀式やダンスが高揚一体感を生むのと、イデオロギーに踊らされる人々が理想幻想を見るのは似ている。

 

【演出】

映像は、最初は雨やベルリンの景色などグレー基調から、どんどん鮮やかな赤色が主張してきて、観客もどんどん神秘や狂気に引きずり込まれてしまう。ポスター、タイトルやエンドロールのデザインなども良かった。

演出は、血も肉も人の身体も全てが細部にわたって緻密に計算された色味とタイミングで映し出され、サブリミナル的に配置される様々な映像、変態的なほど狂ってながら美しさにこだわっている。ホドロフスキーのように儀式的で、タルコフスキーのように詩的な演出というべきか・・

音楽は、本家ゴブリンほどインパクトは無いものの、じりじりと忍び寄り深く深く沈んでいくようなトム・ヨークの音楽も見事に映像とマッチしている。(唯一、メインのシーンでトム・ヨークが歌うのが合ってない気もする、特徴ある声に世界観が引っ張られる)

描写では、オルガの踊り死ぬシーンは圧巻、まさにリアルな人体破壊ダンスに度肝を抜かれた。これでもかというほど体の中をボキボキめちゃくちゃにされて、うめき声を上げ、失禁し、胃液を吐き出す。(これは途中退出者が多いのも納得)。

 

【役者】

主演のダコタ・ジョンソンは、フィフティシリーズとは全く違ってて赤毛のロングスタイルで一瞬誰だか分からないほど。身体のラインの美しさやダンスでのレッスンの努力が相当に伺える。

ティルダ・スウィントンがとにかく凄い!一人三役(言われなきゃ絶対気づかない)、まさかあの役もとはエンドロールで名前見た時は開いた口が塞がらなかった……。

クロエ・グレース・モレッツはメインではないが、こういう役もありかな、幅は広がるなと思った。

あとは、ミア・ゴスのナイトガウンの着物がむちゃくちゃ可愛くて、販売すれば人気が出そう。

 

※ここからネタばれ注意

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【(ネタばれ)ラスト・考察】

クライマックスの儀式シーンのぶっ飛び具合は、もう怖いとかグロいとかそういう感情を通り越して、美しいとすら感じてしまい、最後はもう逆にやりすぎていて怖くなかった(マルコムがガマガエルのお化けに見えたり、最後冷静に掃除して片付けてるシーンも笑)

冒頭に「母はすべての物の代わりになるが、母の代わりになれる物はない」という言葉が出てくるように、この映画は母という存在の大きさを描いてる。三人の神、三人の悪魔、そして三人の母、「嘆き、暗闇、涙」そのどれもが母であり、何者にもなれるけれど、何者にも変えがたい。儀式でスージーが三つを体現している。

スージーは自分の胸を自分で開いたが、その形は女性器を思わせるので、新しい命が生まれること(再生)を表している。そして、魔女でも聖母でもなく、両方を融合した存在(もっと大きな母という存在、世界の一部)になったのかと思われる。みんなの望みを聞いて回るシーンでは泣きそうになった。

最後、ウラの主人公である博士の頭に手をかざして記憶を消し去る行為は、禊ぎのような赦しと解放、歴史への贖いと赦し、慈愛のようでありながら、最も残酷な罰のようにも見えた。

ラストで現代に飛んで完結となるが、このような歴史の繰り返しを経て、我々が生きている「今」がある、ラストカットのマークの意味がここにある。

更にエンドロールのあと、スージーはこちらに向かって手でなでるようにする。あなたも解放してあげる、というように。何に魔法をかけられたのだろうか?新しいダークヒロイン的な存在なのだろうか。新たな始まりに次回作も見てみたい気がする・・