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「真実」 ★★★★☆ 4.5

人生は映画であり自分自身で主人公を演じることが「真実」なのか?、嘘は真実を隠し真実は自分の弱さをさらけ出す、家族だからこそ言えない自分だけの真実の物語・・ 

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是枝裕和監督のフランス映画、国民的大女優ファビエンヌが自伝本である「真実」を出版、アメリカにいる脚本家の娘リュミールが夫と娘を連れて帰るが、本に書かれた内容は「真実」とは言い難い内容だった・・疎遠になっている母と娘の関係、その二人を囲む家族、そして女優というものを描いていく群像劇であり、とにかくカトリーヌ・ドヌーヴジュリエット・ビノシュの初共演と言うだけでも価値のある映画。

フランスで撮っても大女優を相手にしても、安定の是枝印作品であり完全にフランス映画として成立しているすごさ。きめ細かいシナリオと現実を取り込んだ演出はいつもの通り巧みで、それぞれが響き合って多くを語らず映像で魅せる上手さが心地よく、ドヌーヴを満喫するのにも完璧な作品。とは言え日本でヒットするのは正直難しいだろうし、淡々とゆったり進みながら真実と虚構で曖昧になって、フランス語の響きの気持ち良さもあり眠くなる人もいるだろう。

 

いわゆる「真実」を解き明かすことが目的の映画ではない。自伝本では明かせない秘密とか、亡くなった妹で天才女優でもあったサラの背景・謎とかのミステリー要素も少ない。どちらかといえば、互いに距離を感じる母娘が新作映画を撮り終えるまでの微妙な変化を描く人間ドラマがメイン。更にその新作映画がSFの母娘もので、ファビエンヌが歳をとらない母の娘役を演じ、サラの再来と言われる新進気鋭の女優マノンが母親役を演じるという多層的で複雑なメタ構造になっていて、現実とリンクさせながら進んでいくのが見事(現実の女優ドヌーヴ、映画の女優ファビアンヌ、劇中SF映画の女優と3人の女優を行き来しつつ)。

この映画のファビアンヌの役柄がカトリーヌ・ドヌーヴ本人そのままではと思わせるくらいハマっている、亡くなった実姉フランソワーズの存在や本名であるファビエンヌという役名も含めて、ドヌーブもこんなに地をさらけ出した役は珍しいのでは。成功者たる美しい大女優で、わがままで高慢な意地悪ばあさんで、可憐な少女の表情にもなるし、母親としての顔ものぞかせる、ドヌーヴ以外にこの役を演じられる女優は誰もいないだろう、ましてや日本では。是枝監督が本人に取材しながらシナリオや演出を作り込んだだけあって彼女の魅力を全開に引き出して、それに完璧に応える存在感にとにかく誰もが圧倒されるはず。

 

「真実」なんてその人の視点で変わってしまうし(「事実」は一つで変わらない絶対的なもの)、記憶なんてアテにならないし、誰かの言葉で変化して思い込んでしまうもので・・人の気持ちは目に見えないから発した言葉が表情が本当なのかは分からない、だから自分の都合の良いように書き換えたりして、そのとき感じたままに「真実」の落とし所を決めて受け入れていくものなんだろう。たとえそれが台本で用意されたセリフだとしても、女優にとっては演技している時こそがその人の「真実」なのかもしれない。

 

【演出】

フランスで撮っていても是枝節が炸裂していて良かった、人の心の機微をものすごくよく観察していて、いつも一見優しげな雰囲気ながら人の心の嫌な部分を容赦なく突いてくる意地悪なところが堪らない。脚本の完成度は申し分なく、全ての虚実が巧みに分からなくなって全てが自分の解釈次第でそれぞれ成り立つのも凄い。

セリフのないところで人物像や物語を描き出し、子役の自然な演技の引き出しや目の前で起こっているような俳優陣の演技も含めリアルな映像はさすが。父親と娘のシーンはスタジオの駐車場で遊んでいるところなど実際の親子を録画したようなリアルさだった。フランスの自然と街並みの美しさ、フィルムの色合いも含めてオシャレであり、冒頭の緑葉の木々のシーンから紅葉、落ち葉の変化を心象風景に合わせて丁寧に映し出しているのも見事。手持ちカメラっぽい質感での揺れる映像は、クローズアップで表情を際立たせ、母娘の揺れる心境と関係を表現していた。でも是枝監督にしては料理や食事のシーンが少なめだったかな。

 

「そして家族になる」や「万引き家族」は血のつながらない疑似家族を描いていたが、今作は世代をまたがった本物の家族が描かれていて「歩いても歩いても」や「海よりもまだ深く」に近い感触だろうか(娘/息子夫婦が田舎の家に帰省してくるところなど)。また、女優の隠れた私生活を描いた同じジュリエット・ビノシュ主演の「アクトレス女たちの舞台」が浮かんできた。

最後のエンドロールまで、ドヌーヴ愛が伝わってきて感動させられる、犬を散歩させながら通りをゆっくり歩いてくるだけのロングショットなのに、ずっと画面に釘付けになってしまった。

 

【役者】

圧倒的に孤独で自分と向き合い、私生活も含め役柄と相互に影響し合いながら生きていくしかない「女優」という存在。それを尊敬の念で見つめている映画だが、タイミング的にも盟友・樹木希林という女優と過ごした記憶も意識して反映しているように感じた。

カトリーヌ・ドヌーヴ76歳とは思えない美しさと色気、様々な修羅場を渡り歩いてきた堂々たる存在感、頑固で憎たらしさ満開のおばちゃん(タバコとヒョウ柄が似合うことったら)であり、可愛くてチャーミングで天然さもあり愛嬌があって憎めないところまで、これぞ大女優。これほどの”女優”が日本には見当たらなかったので企画が動かなかったのも当然だろう・・日本だと生きていたとしても希林さんではないし、高峰秀子山田五十鈴などしか浮かばない。。

ジュリエット・ビノシュ:何も語らなくても何もしなくてもその眼差しひとつで多くのことを感じさせる。

イーサン・ホーク:控えめなで目立った役ではないが、細かい演技が素晴らしい、子供の頭をさり気なく撫でて画面から捌けるとき、食事のシーンの食べ方などなど。

※子役の使い方の上手さはさすがのひと言だが、日本にはない生意気さ加減がたまらなく可愛かった。

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)ラスト・考察】

是枝監督にしては、珍しく分かりやすい爽やかな後味で、フランス映画らしく合わせてきたのか・・真実の曖昧さに明確な答えまではなかったが、いちおうハッピーエンドと言えるだろう。

結局、ファビエンヌにとって人生は映画であり「女優」としてしか生きていけないのだろう・・自分の本当の姿・弱さを決して見せないため、常に強い自分を演じることで「真実」を作り上げていくしかなかった。何よりも死んでしまった天才女優の妹・サラの呪縛に囚われていて、サラの女優の才能だけでなく、娘も懐いていて「母」としても負けているような嫉妬とコンプレックスばかり。そして、そのサラの再来と呼ばれる若手の天才女優・マノンの娘役を演じること=サラと向き合うことで、本当の弱い自分が出てしまう恐怖から、いったん逃げ出してしまいそうになる。

 

また、リュミールの方もそんな母親の存在に圧倒され自分から逃げ続けてきたが、そんな自分の弱さを隠すため傲慢な母親の方が自分を見放したという「真実」を作り上げていくしかなかった。そして終盤でようやく二人はお互いの告白を受け入れ、意地を張り合っていた時間を取り返すかのように互いの肩に顔を埋める、すっと起き上がったファビエンヌは「この初めての感情を演技に生かさなくっちゃ」と女優に切り替わり、リュミールは優しい呆れた笑みを返す・・

このシーンは和解に向けた演技をすることで、お互いの感情の変化を掘り起こすように仕向けたリュミールの脚本だったのかもしれない。その後にもリュミールの脚本どおり、孫である娘のシャルロットに自分が出来なかったセリフを言わせて、ファビエンヌを喜ばせるというささやかな復讐をしているのも見事(劇中劇を引用しているのがまた乙)。

 

そして、サラの服を着たマノンがファビエンヌの家から去っていくシーンに全てがつながっていく美しさ。ファビエンヌがマノンをサラと認めることで、サラの呪縛から解き放たれ本当の自分に向き合うことができ、リュミールもそんな母親を認めることで、本当の自分に向き合うことができた。和解というより理解し合った二人が女優として脚本家として新たなスタートを踏み出したのだ。これからもお互い面と向かっては強がっていくかもしれないが大丈夫、どんな「真実」が積み重なっても「家族という真実」は絶対に揺るがないものだから・・

ラストカットは家族全員で澄み切った秋の空を見上げて終わる、リュミール「こんなに電車の音が聞こえたのね?」、ファビエンヌ「夏は一面の木々の葉が遮っているのよ」・・幹を隠し覆っていた葉(真実)が落ちてありのままの姿になる、見えていなかったもの・聴こえていなかったものが理解出来るようになったのか、見上げた一面の大空には希望が広がっている。。