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「運び屋」 ★★★★☆ 4.5

◆人生・映画の「運び屋」イーストウッド本人そのものの贖罪の物語、最後に咲かせたい人生のひと花とは?

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90歳の老人がドラッグの運び屋として逮捕されたというアメリカで実際にあった事件をベースに、クリント・イーストウッドが監督兼任としては実に10年ぶりに俳優として復活したことでも話題の作品。「グラン・トリノ」以来ということで、年齢的にも本作が最後になってしまうかもと思いながら見たが、これは家族から見放され家も失った90歳の老人が本当に大切なものに気づく、まさにイーストウッドそのものを映画化したような物語だった。

アメリカン・スナイパー」から「ハドソン川の奇跡」、「15時17分、パリ行き」と4作連続して実話の映画化、ポスターの印象からもサスペンスで暗くて重めかと思いきやほぼコメディに近い愛すべきジジイの話で、久しぶりに気軽に楽しめた。ストーリーとしては「仕事一徹人間の転落、家族愛に目覚めて再生」とシンプルに淡々と進んでいくものの、バレたら一巻の終わりというハラハラ緊張感もあり、コミカルとシリアスがとてもバランス良くできていて、心地良いヒューマンドラマに仕上げているのはさすが。

とにかく主人公アールの魅力に尽きる、生粋の人たらしと、軽快で軽率でエロ爺、最初の軽口からラストまで「全くこのジジイは仕方ねえなあ」と思わせてしまう。裏表なく、人を楽しませるために平気で嘘もつきながら、どんどんヤバい奴らの懐にスーッと入り込んでいく、ユーモアを兼ねた人との距離感のとり方には感嘆する。まさにメールやSNSではなく、生身の人間同士の付き合いならでは。

「ドラッグの運び人」と法的には完全にアウトな仕事で受け取っているのが汚い金だと分かりつつ、求められるがままにズルズルと深みにはまっていく人間的な弱さもありながら、途中でパンクして困ってる人を助けたり、稼いだ金で孫の学費を出したり、決して自分の欲だけのためで動いてるわけではない。圧倒的に間違っていて家族としては最悪だけど、人間としての魅力で憎めないおじいちゃん、刻み込まれた深いシワさえ、枯れそうで枯れてない滲み出るオーラがカッコいい。

「時間が大切なんだ。なんでも買えたが、時間だけは買えなかった」、家族よりも仕事を優先し続けてきた人生を振り返って、間違い続けたと後悔する姿の切なさ。1番大事なのは家族だ、よく言われることだが、この映画での説得力はとても大きかった。崖っぷちからでもつなぎとめられる家族の絆もあるし、再出発できる人生がある、90歳から始める人生講座みたいな映画。

分かってはいてもそうさせてくれない世の中で、家族がいるから仕事を頑張れるという面もあり、仕事と家族を両立させるのはなかなか難しい。。外では社交性があり他人には優しいが、自分の家族には冷たく二の次、仕事が無くなると何もない自分に向き合うのが怖いので、必死に仕事に逃げてしまう。。(特に日本人には多いのかなあ)
映画では奥さんや娘と最終的には和解してたけど、現実では難しいのでは? 正直、自分の身内だったら絶対嫌だと思うし、特に女性の立場だったら許せない人の方が多いはず。(やはりイーストウッドだからなのか・・)

 
【演出】

脚本は「グラン・トリノ」で43歳にして遅咲きの脚本家デビューをしたニック・シェンクと10年ぶりに再びタッグを組んでいる。ベースとなった実話の奇想天外さもあるが、それ以上に余計なものを周到に削ぎ落としたストーリーテリングイーストウッドの監督/役者として全てを達観した演出でスマートに語りかけてくる人生において大切なこと。
決して説教くさくならないのは本当に良い歳の取り方をしてるから、表情一つとっても重みが違うし、普遍的なメッセージでも深みが違ってくる。さらに貧富の格差、人種差別、戦争によるPTSD、ドラッグ汚染、ネット問題など、アメリカが抱えている様々なテーマもさりげなく盛り込みながら、アメリカンジョークや軽やかな音楽をうまく絡め奥行きを深めている。

今作は娘役に実の娘を使っていることもあり、イーストウッドにとって自分の映画人として、夫として、父としての人生を内省するようなパーソナルな映画なのは間違いない。事実、仕事人だけど家族をあまり省みず、至る所で女性とも浮名を流している。実際に娘のアリソンとは子供の頃ほとんど話したこともなく離婚、2度の離婚にたくさんの愛人に子供はあちこちに8人もいる・・ 
娘から罵倒されるセリフの説得力の半端なさは、完全に実家族としてのリアルなやりとりから来るものでもあるのだろう。その意味でも完全にイーストウッドの悔恨と贖罪の作品であり、また次世代へのバトンパスのように思える。
 
【役者】

イーストウッドかなり老けたなあとは思ったが、90歳の役を演じるにあたり、シワを含めどこまでメイクをしてるのか分からず(撮影時は87歳だったので3歳上の役)。その時その映画で自分はどのような役が一番似合うのか、どのような役で一番輝けるのかをとてもよく理解した上で取り組んでいるので、とにかくリアルさの追求は凄い。お得意の戦争経験からの口の悪さ、差別発言をしても何となく許されてしまう軽やかさ、彼以外にアールを演じることはできないはず。

特に、90歳という超高齢であるにも関わらず、まだまだ若い女性と情事にふけることが可能な「元気さ」。生涯現役という最強の男、イーストウッドならありえるし、なんら不思議もない(さすがに2人同時にって?とは思った)。あと画面から明らかに「お尻」好き過ぎだろ!と突っ込みたくもなった(笑)

監督としても役者としても後継者として指名されているブラッドリー・クーパーもさすがの安定感、なんでこんなにカッコいいんだ…あの間の取り方と表情が素晴らしい!
一番驚いたのが、アンディ・ガルシア、太り過ぎて、エンドロールで名前見てやって気づいた…「ゴッドファーザー」「アンタッチャブル」の時の姿はどこへやら…完全に別人。。
 

※ここからネタばれ注意 

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【(ネタばれ)ラスト・考察】

当然うまく続いていくはずもなく、最後は逮捕されて刑務所に入ることになる。大仕事よりも途中で妻との最後を優先して立ち会えたことで、何の後悔もなく、むしろ少しホッとしたような感じですらあった。刑務所の中では、これからずっと、ゆっくりとデイリリーの花を育てることが出来る、これから彼が育てて摘み取る花たちは、どんな賞よりも価値のあるものになるだろう、希望を感じるラストシーンだった。

これまで家族とどう向き合って良いか分からず、家族から疎まれながらも、最後に妻を看取る前に許しを得たことで、初めて心から自由になれた。娘が「これからはどこにいるか分かるから安心ね」という、この仕事をして逮捕されなければ得られなかった家族との対話は、皮肉で運命的なものである。

人は大切なことに気づくのに時間がかかる。過去は変えられないけど、いまは変えることができる。大切な人に伝えたいことがあるのなら、素直になって早く伝えた方が良い、当たり前のことだけど改めて思い知らされた。
エンディング曲の「老いを迎え入れるな、もう少し生きたいから」「老いに身を委ねるな、ドアをノックされても」、生きてさえいれば不可能な事なんてそれほどないのかもしれない。

ラスト近くのブラッドリー・クーパーとのやりとりを含め、響くメッセージが多かった、「家族との時間を犠牲にしてまで、労働の奴隷になるな」、「老いを受け入れず、若い頃と変わらずに人生を楽しみ続けろ」、「100歳になろうとするのは99歳だけだ」、「今日は昨日より好きだ。明日はもっとだ」
そして、妻がアールにかけた「あなたは私が人生で最も愛した人、そして私に最も苦痛を味わさせた人」というセリフが、樹木希林内田裕也との関係を思い出させた。人生をかけて本気で愛したからこそ、二人にしか分からないからこそ言える究極に想いのこもった言葉なのだろう。

イーストウッドには、監督としても役者としてもまだまだ現役バリバリで人生を楽しみ続けて、我々に素晴らしい映画の「運び屋」となって、素晴らしい作品・後継者を育てていって欲しい。