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「人魚の眠る家」 ★★★☆ 3.7

◆愛情と狂気は紙一重脳死や臓器提供について改めて考えさせられる、篠原涼子の渾身の演技に震えが止まらない

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東野圭吾のベストセラー「人魚の眠る家」を「トリック」「SPEC」シリーズや「天空の蜂」などの堤幸彦監督が実写映画化。TVシリーズからの派生や大作を多く手掛けた映画では、個人的にはほとんど当たりのないのだが(TVドラマの遊びとしては面白い)、今作は骨太なテーマで真面目に作っていて、見応えのある作品だった。

脳死という重いテーマを扱っており、主人公の薫子(篠原涼子)の狂気に感情移入できるかで、評価は分かれるはず。原作はヒューマンミステリーで、映画は泣けるように作られているが、ミステリーというより社会派ドラマを含んだホラーに近いと感じた。話の中では誰が悪いわけでもなく同情しまくりで、見た後は、命について、脳死や臓器移植、延命措置、生命倫理について改めて考えさせられる。

 

日本では臓器提供をしない場合は心臓死にならない限り死とは断定されないので、医師も義務として最初に臓器提供の可能性を聞かざるを得ない。脳死と言われても本人に聞かないと分からないので家族には辛すぎる決断となる。今作は特に脳死でも手足が動き、筋肉もつき、健康になってきているので、万が一でも娘が生き返る可能性を信じなくはないし、自分も同じ立場になったら同じ行動をとってしまうかもしれない。。

 

ただ、どうしても引っかかった点がいくつかあって。

今回はたまたま主人公の家庭に財力があって医療関係者と親密なこと、自宅に人工呼吸器が置けるなど病室と同じ環境を作れたことが大きい、普通は悩みたくても環境が許さないはず。現実問題として、お金が無くて普通の延命治療さえ諦めざるを得ない家庭もあるだろう、所得が低い家庭で同じように子どもが脳死になった場合をどう描くのも見てみたいし、格差が広がる現代社会ではその方が訴えかける力は大きいのではないかとも思った。

そして、あまりにも弟・生人のことを考えなさすぎ、優先順位が低くなるのは仕方ないし弟自身も分かっているが、あの年齢で姉のこの姿や親の狂気的な行動を目の前で見せられ続けて、学校でのことなど何も気遣ってあげないのは普通の親ではありえないだろう。母親はまだしも父親(演出だろうが存在感が薄すぎる)やおばあちゃんなど周囲の人が止めたり気付かないと。

あとは、とにかく星野(坂口健太郎)に全く感情移入できなかった。開発者としてありえない行動が多過ぎる、社長に頼まれてもないことまで勝手に進めているし、恋人をほっとき過ぎ(恋人の方も跡をつけて自宅に押し掛けたり、社長に連絡して会ったりするのはおかしいが)。健康を保つために運動させるという発想は面白いが、顔の口角を上げさせたり、プレゼントを受け取らせたりするのは、どう考えても本人の意思を無視して人間の尊厳を無くした行為。研究者として単なる実験台(人形)としか見ていないマッド・サイエンティストと同じ。

今まで試したこともないのに、生きた人間しかも子供に本人の許可も無く、長い間ずっと体に電流を流し続けるとか人間として正気の沙汰でない(相当の高電圧でないと動かないはず、脳死状態で痛みも感じないからと思ってるなら、なおさら狂ってる・・)。

最後は恋人とも仲直りしていたが(あれだけのことの後で簡単すぎでは?)、自分の気持ちや責任にどう整理をつけたのか葛藤が全く描かれず、最後までよく分からなかった。。

 

【演出】

最初の幸せな明るい色彩トーンから事故後は暗く冷たい感じになり、娘・瑞穂が家に戻ってからは薫子の狂気に合わせ映像が鮮やかになっていくのは良かった。ただ、ところどころ「何でこんなに光を入れてくるのか?」と不思議なくらいスポットライトのように光を当てる意味が良く分からなかった(心情の表現やホラー的な演出なのか?)。

見終えてタイトルはすごく納得、人魚がかたどられた門の屋敷で眠った少女に出会う冒頭からラストカットへのつながりは見事、水の中で溺れたにも関わらず、心臓は動き生き続けている少女は、足はないが水の中でも生きていられる人魚なのか。

 

【役者】

篠原涼子は、理不尽な悲しみに立ち向かういつもの感じには違いないが、正気を失って狂っていく気持ちも分からなくはないと思わせる説得力のある渾身の演技だった。実際にも母親なので、乗り移ったかのような情念のままに暴走していく迫力の姿には、リアルにゾクゾクものの恐さがあった。ただ、昼夜つきっきりの在宅介護で、心身ともに追い詰められてボロボロのわりには、顔や髪、身なりがキレイ過ぎるように見えたのは残念(元が素でも美しいので仕方ないが)。

西島秀俊は、父親役ではあるものの感情表現があまりにも乏しすぎるように見えてしまった、客観的なのはいいが「人としてやっていいことを超えている~」なんて自分が作った会社で最初に勝手に始めたお前が言える立場でないだろう、いろいろと他人事に見えて仕方なかった。

子役たちはみんな素晴らしかった、特に弟の子は葛藤を抱えながら最後の叫びまでリアルさが見事、ちなみに瑞穂と生人を演じた二人は実際に本当に兄妹らしい。

医者の進藤を演じた田中悦司は、本当の医者のようで淡々と回復の見込みは乏しいという事実を伝えつつも、親御さんの気持ちも分かりますという人間味のあるところがさすがだった。

あとは、松坂慶子のおばあちゃん、ベテランらしい存在感で自分のせいだと己を責めながら孫の面倒を見るシーンには涙。

 

※ここからネタばれ注意 

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【(ネタばれ)ラスト・考察】

ラストは娘が生きていることを証明するために、警察を呼んで脳死状態の娘を自分の手で殺そうと出刃包丁を突きつけるシーンが衝撃的でビックリ。脳死状態で法律上は死んでる娘を包丁で刺せば、自分は娘を殺したことになるのか? それを裁判で証明したい・・

その真意は、自分が瑞穂を殺して「殺人罪」に問われたら、それは逆説的に娘が生きていたことの証明になるし、逆に問われなかったら、娘はプール事故の日にもう死んでいたと納得できるというもの。

完全に追い込まれた状況で、自分が命をかけて取り組んできたこの数年間を無意味なものにしたくないというエゴでもあるが、最後まで周囲に何と言われようとも自分なりの娘への愛を貫く強い意志にグッときた。

そこから、各自の本当の気持ちをぶつけ合ってその場は収まる。姪の若葉ちゃんは、あの日、おそろいのおもちゃの指輪をプールに落としてそれを拾うのを手伝おうとして排水溝に指がハマって抜けなくなった事実を打ち明ける。弟の生人(生きる人とは運命なのか)は死人を連れているとイジメ寸前で自分を守るためもう死んだと説明している事実を打ち明ける(せっかくの誕生日だったのに)。もう子供たちが完全にトラウマになるレベルがえげつない・・

 

そして、薫子の夢に瑞穂が出てきて「今までありがとう、幸せだったよ」という言葉で、最終的に移植を決意することに。泣ける(狙って泣かせる)シーンなのだが、個人的には泣けず。夢という潜在意識の中で「娘の死を受け入れた」瞬間として区切りを付けたいのは分かるが、「人は二度も死なない」「娘は生きている」とあれだけ言い続けてきて、案外あっさり決断したなあという感じ。

クローバーの話など「瑞穂は人のために動ける優しい子」の描写は最初からあったので、「瑞穂ならそれを望むと思います」という結論の言葉も理解は出来るけど・・そんなの最初から分かってたことだし、今までやってきたことは完全に自分のエゴだけになってしまうのでは。

一般的な「臓器提供=正義」という風潮(日本の法律からしてそうだし)にも合わせて、分かりやすいエンタメ的な感動の終わり方になってしまったのかなあ。。

 

ラストで瑞穂の心臓移植を受けた小学生の男の子は、冒頭に屋敷の中に偶然ボールを取りに入ってきた男の子だった。あの日、人魚がかたどられた門の屋敷の眠った少女と薔薇の匂いの記憶に導かれるように(ドクドク心臓音)、更地となった瑞穂の家の前にたどり着く。そこには瑞穂が望んだように他の誰かの幸せのため、一面のクローバーが咲き誇っていた。

また劇中、何度も薫子が脳死の瑞穂を外に連れ出していたのは、瑞穂が一緒に行きたかった絵に描いていた光景を見つけるためで、最後に見つけられたのは、家族が止まっていた時間からようやく前に進められることでもあり感動的だった(原作には出てこない)。これらから最終的には、薫子とよりを戻して生人含め家族全員で仲良く生活を始めたのかもしれない。

 

脳死というのは頭では理解していても認めたくない、心臓が動いて息をしていて体温もあるなら、昏睡状態の人と一緒、死んでいるとは思えないのが実際のところなのだろう。本人の確認なしに臓器提供を聞かれること、臓器提供の意思表示をしないと脳死判定ができないこと、そんな選択を残された家族にさせないために、提供意志表示(ドナー登録)をしておくこと、事前にそのことを家族や身近な人と話しておくことの大切さを改めて感じた。。

 

 

※【参考】

日本では移植希望の待機者は約14000人、移植を受けられる人は年間400人程度。順番が回ってきても適合しなければ移植できないという現実。

国別の臓器提供者数では、日本は圧倒的に少なく100万人あたりに対し0.9人。これは世界でも最も多いスペインが46.9人、アメリカが32.0人、韓国が11.2人と比較しても圧倒的に少ない。。国や地域に根付く宗教観、倫理観や法の整備もあって一概に言えないが、現実は理解しておくべきだろう。