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「ハウス・ジャック・ビルト」 ★★★★☆ 4.6

◆おかえりトリアー、安定のミスター不快感!「倫理が芸術を殺す」偽善的なポリコレへの警鐘と自己弁護を兼ねたブラックコメディ、必見のラスト20分まで耐えられるか?

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一部ナチスを容認する過激発言により追放処分を受けたカンヌ映画祭に、7年ぶりにカムバックを果たしたデンマークの鬼才御変態ラース・フォン・トリアー監督。前作「ニンフォマニアック2部作」から5年ぶり待望の新作は、1970年代アメリカで殺人をアートと捉えるシリアル・キラー「ジャック」が、”ジャックの家”を建てるまでの12年間を5つのエピソード+エピローグに分けて描いた作品。

カンヌでは、100人以上が途中退席した一方で、上映終了後にスタンディング・オベーションが沸き起こったという毎度ながらの賛否両論ぶり。その問題作が日本ではまさかのR-18指定の「無修正完全ノーカット版」で公開、個人的にはトリアーの撮る映画は内容うんぬん関係なく「鑑賞する」ことに意義があるので(ミヒャエル・ハネケ監督も)、楽しみにしていた。。

 

当然、普通の話になるわけがなく、相変わらずの悪趣味で不快感たっぷりなのに、音楽・音響・映像・演出がスタイリッシュで唸らされる、そして何よりも笑えるシーンが多いのが特徴。今作は過去作に比べれば比較的ストーリーも分かりやすいエンターテインメント仕立てで、ある種の集大成とも言えそうな作品となっている(劇中の宗教感や芸術作品、音楽の引用で語られるメタファーを全て理解するのは困難だが)。個人的には最後まで見ると全体的にはブラックコメディだと感じた。

R-18の残酷描写は全く容赦なく、一切隠さずはっきり見せる終始エグいシーンが続くので、基本的にグロ耐性がない人には厳しい。画的には悪趣味だけど、そこまで耐えられないほどではなく、やり切り過ぎて笑えてくるものもある。どちらかと言うと「倫理的」に耐えられない人や、手持ちカメラの手ブレが酷く画面酔いする人が多そうなので、注意が必要。

 

話としては、殺人者ジャック(マット・ディロン)と謎の告解者ヴァージ(ブルーノ・ガンツ)との対話で進んでいく・・自分の思想や芸術感をあらゆる論理や引用(歴史、美術、音楽、ワインの作り方など)から相手を煙に巻こうとするジャックと、惑わされないヴァージの不条理な議論がスリリングで面白い。

殺人をアートと定義しているが、アートには明確な線引きがなく、自分や他人がアートと言えばアートになるので、自分の思想を正当化する為の道具になってしまう。確かにアートという名の下に様々な映画、音楽、文学などで殺人は美しく描かれ、人々の心を掴んできた。もちろん、思ったままに殺したり死体を飾って作品化するサイコパスぶりに共感も納得もしないけど、ジャックの揺るぎない信念として、徐々に手慣れていくアート(殺人)活動を最後には普通に作品として見ている自分が少し怖くもなった。。

結局、ジャックは自分でも建築家としての才能は無いことを分かっており、凡人である自覚がコンプレックスとなって、その不安や苦痛から逃れるためにアートに固執した殺人を重ねていった。過去の様々な芸術的モチーフに自身を投影してそれらしい理屈を並べるも、建築家にも芸術家にもなれず、ただの殺人鬼でしかなかった。

 

特に今作は、近年の不自然なほどに女性や黒人、マイノリティたちが活躍する偽善的なまでのポリコレ問題や映画業界に対して警鐘を鳴らしているように思えた。近年の映画賞の結果にも表れているように、人種やフェミニズムといった社会問題のメタファーを通して倫理的に正しいメッセージを主張する作品が評価されている。

日本をはじめ、映画やテレビもコンプライアンス最優先で体のいい似たようなコンテンツばかりの今、そんな業界に対して「倫理で芸術を殺すな」と敢えて極端なまでの「倫理に反する」映画を作って、挑戦状として叩き付けているのだろう(自分なら過去の実績からも嫌われているし堂々と表現しても構わないという自信?)。

殺人者ジャックはトリアー監督自身で、被害者は観客の価値観・倫理観なので、metoo運動はじめフェミニズムなど自分の価値観を守りたい人は受け入れられず退場することになる。。映画・芸術だからこそ可能な表現を改めて考えてみるきっかけともなるだろう。

 

【演出】

縦横無尽でドキュメンタリーのようなカメラワーク(手持ちの手ブレ感が大きいけど)とカット割りが緊張感があって面白い。

殺人エピソードが「思い出した順」で描かれるので、時系列も殺害方法もバラバラ、この構成・設定で全く先の読めないハラハラ感が生まれる。そして、殺人を重ねるにつれて潔癖症や強迫観念が和らいで落ち着いていき、服装や外見もまさに洗練されていくのが見事。トリアー作品お馴染みのチャプター分けされた構成で、ジャックと謎の男ヴァージとの会話で過去の殺人を振り返っていく流れは、前作「ニンフォマニアック」とかなり似ている。

グロ描写は見れないほどではないが、残虐シーンをはっきりと全部映すのは凄い、特にジャッキで殴って顔面が凹んでいたり、、市中引き回しの刑で顔面が半分すりおろしになっていたり(キム・ギドクの「嘆きのピエタ」のラストシーンが浮かぶ)、乳房をナイフで切り取ったり(最終的に財布になったのは衝撃)、鳥の足をちょん切ったり・・恐ろしいもので無残に殺害される様子が続いてくると、ピザの冷凍倉庫に雑に収納されていく死体にも見慣れてしまう。。

残虐性の中にちりばめられるユーモアも面白い、潔癖性という強迫観念に悩まされるジャックが「もしかしたら、あそこに血痕が残っているかも・・」と何度も何度も殺人現場に戻り確認し掃除するところは、病気の人には申し訳ないと思いつつ笑ってしまった。死体の写真に納得できず、殺人現場に死体を運びなおして何度も構図を変えながら撮影するところも。「殺人鬼×潔癖症」という設定の面白さは前半だけで、克服し出した?後半はほとんど活かされなくて少し残念。

マザーグースのジャックが建てた家(タイトル)、建築家としての視点、グレン・グールドの映像(天才ピアニスト)、デビット・ボウイの音楽フェーム(名声欲)、ボブ・ディランの音楽サブタレニアン・ホームシック・ブルース(反体制)、そして監督の過去作なども出てくるオマージュや引用の演出は、全ては分からなくても意味を考えるのは楽しい。顔面を潰された被害者とキュビズムの絵を繋いだり、死体の腐敗を貴腐ワインに例えたり、悪趣味だが分かりやすいところもあって、特に殺人鬼の心理を街灯で表現したアニメが素晴らしい(光は必ず闇を生み、闇もまた必ず光を生みだす)。

 

※ここからネタばれ注意 

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【(ネタばれ)・考察】

【各エピソード:コメント】

①殺人衝動の開花:全ての始まりであるユマ・サーマン(最初誰か分からず、歳とったなあ)が演じていた女は傲慢で性格が悪すぎて、誰でもイライラさせられぶち切れるのも理解できるので、あまり同情は出来ず(それだけ上手く演じていた)。この最初の殺人は引き金にすぎなく、遅かれ早かれジャックは殺人の道へ足を踏み入れたはず(子供の頃からの異常性も描かれている)。

②美の追求から覚醒:強迫性障害と戦いながらアート・美への試行錯誤、殺したはずの女が息を吹き返し、苦しみの中お茶を飲ませ、こだわりの角度で再び締め殺すという謎の美学。血の痕跡にあれだけ気を使っていったのに車で死体を引きずって血の跡ベッタリも、タイミングよく雨で証拠隠滅となり、神の祝福と解釈して怖いもの知らずの覚醒(雨がなければ捕まっていた)。

③家族アートから洗練:家族をテーマにしたアートに向け、シングルマザーと子供たちと楽しいピクニックで父親の在り方、銃の扱い方などを丁寧に説いて満たされた後、一転し家族狩り(好きな数は大きい数字を言おう)で無残に虐殺。このリアルな子供を打ち殺す音と、ヤバすぎるお食事タイム、からの怒りん坊の笑顔矯正、狩りの成果として大量のカラス死体と共にキレイに絵画のように並べられる・・と一番倫理的にも精神的にもキツいシーン(これを普通に公開する日本って・・前作の性描写はモザイクしてるくせに・・)。

ここで被っていた赤いキャップは明らかにトランプ大統領を意識していて、「ドックヴィル」からの反アメリカを唱えるアメリカ三部作の系譜を汲んでいるのか・・

合わせて、ジャック自身の見た目も殺害方法も洗練されていき、ぶどう酒の糖度を高める3種類の方法を例に人間の持つ暴力性に美を見出すことの普遍性や、貴腐ワインの腐敗とホロコーストなどのある種の腐敗に魅力を感じることを必然だと語ったりする(トリアー自身への言い訳でもあるのか)。

④愛情アートからフェイム:ライリー・キーオ(マッドマックス)に薄っすらと愛情を示してみるも、結局は外見的特徴への愛着でしかなく・・おっぱいを切り取られ(ここもキツい)、最後には何と縫い合わせて小銭入れにするという狂気の沙汰・・大事にするのかと思いきや彼女の絶叫にさえ気づかない無能な警察の車に張り付ける。助けを求めても大抵の国・町の人たちは自己本位で他人に少しも興味など示さないのか・・

この頃にはもともとあったFAME(名声)を求める心もどんどん肥大化していき、人間性も更に複雑化していく。

⑤暴走からの崩壊:才能や独自の美学も確立していないのにアートを作り続ける難しさから、新規性・変わったことを求めて、5人の銃弾貫通実験を試みる(見てみたかった・・麻痺しているのか?いつの間にか思わせられてるのが怖い)。が、銃弾も焦点も合わないで弾を変えに行って警察に通報され、奪ったパトカーを犯行現場に乗り捨てたままにするなど杜撰すぎる行動(投げやりなのか過信なのか?)で、警察に包囲されてしまう。

 

【役者】

●マット・ディロン:これまでのイメージを完全に覆す圧倒的な怪演で、見る者を狂気の淵に引きずり込む、張り付いたような笑顔と冷徹な目つき(鏡の前で表情の練習のぎこちなさ)。強迫潔癖症の不安定さと滑稽さ、殺人を重ねて解放されてゆく姿などエピソードや年と共に、その変化や違いを見事に演じ分けていて素晴らしかった。「クラッシュ」での渋みと「ブラット・パック」や「アウトサイダー」でのカッコよさがいまだに残っていて今作で更にステップアップしたかも。

ブルーノ・ガンツ:2月に逝去されたため今作が遺作となった(ご冥福をお祈りします)、前半の声だけでの会話や最後姿を見せてからの圧倒的な存在感はさすが。かつて「ベルリン・天使の詩」では天使を演じたが、今回は悪魔や死神のような役としたのは、いかにもトリアーらしい。

 

【エピローグ・ラスト】

途中退席する人の気持ちも分かるが、この映画の面白さはラスト20分とエンディングにあるので何とか耐えて欲しいところ。警察に包囲されてしまってからの展開は唖然としつつも、過去作を考えると一種の異種世界・ファンタジーに入り込むのも納得。

ラストはヴァージに導かれるように、ようやく理想の”自分の家”を建てる。様式にとらわれる事なく、心から納得できる自分だけの素材を見つけて、過去を利用し、既存の倫理観にとらわれないある種オリジナルな作品として完成したのは、今まで殺してきた死体で積み上げた家だった。まあ、タイトルからも最終的に人間で作ることは想像できたが・・思ったよりグロくもなく小さめ(と言っても60人以上はいるのか)で普通の形だった。。個人的にはキレイな女性の裸体だけをシンメトリーにキレイに積み上げて欲しかった。この映画自体が監督の作り上げた理想の家とも言えるのか(過去の作品や発言を積み上げた)・・

 

そして、エピロ-グ、ここは評価が分かれるはず、今までのトリアーなら削っていただろう、ある意味分かりやすく丁寧なオチで、悪いことをした人は最後はちゃんと地獄に落ちるという。

理想の家に入るとそこが地獄への入口になっていて、ここからダンテの「神曲」地獄編・インフェルノの精神世界観へ突入していく。謎の告解者ヴァージ(Verge)は、「神曲」での案内役・古代ローマの詩人ウェルギリウス(Vergilius)のことだったのか、ヴァージに地獄を案内される。地獄の河を小舟で下っていく画が、ドラクロワの「ダンテの小舟」の絵画の構図になってスローモーションで流れていくシーンは圧巻。

そしてジャックが落ちたのは、地獄の全9階層構造において最下層にあたる9階層コキュートスと呼ばれる裏切り者の地獄だが(人間の叫びのようにこだまする効果音が怖い・・)、本来は2階層上にある7階層の暴力者の地獄に落ちるはずだったと言われる(裏切りが何よりも重い罪になるのはキリスト教らしい、ちなみに8階層は悪意者の地獄、7階層では血の河で煮られるか半人半馬のケンタウロスに矢で射られるらしい)。

これはおそらく、ジャックは本来は誰も裏切らず、悪意もなく、ただ純粋に理想の家を作る自らのアートのために殺人(暴力者)をしていたが・・最後は目的を忘れ私欲にまみれて今までの自分を裏切ったということなのだろうか・・

そして、罰(地獄)ではなく罰から逃れること(地上への道)を選択し、橋のかかっていない道を壁づたいに自力で這いつくばって渡ろうとするが(ヴァージは「何人か挑戦したけどみんな失敗した」と忠告していたが)、力尽きて深い闇底に真っ逆さまに落ちていくラスト。

しかし、またどこかで次のジャックが生まれては、またここに戻ってきて落ちる・・人間である限り、芸術の表現をめぐる闘いは永遠に続くのかもしれない。

それでも、地獄の道から天国を覗くジャックの目に映るのは、幼い頃に好きだった草刈りの風景、大人たちが呼吸を合わせて大きな鎌で一心不乱に草を刈っていく様は、美しくも恐ろしくもあり・・彼が涙した意味は、この風景の美しさへの感動なのか、あの頃に戻りたい郷愁なのか、鎌で刈る(殺し)への後悔なのか、もう刈る(殺す)ことができない無念なのか・・

 

そしてすかさず笑撃のエンディング曲、レイ・チャールズの「ヒット・ザ・ロード・ジャック」が流れてくる。「♪Hit the road Jack and don’t you come back、No more,no more,no more♪」「出て行ってジャック!もう二度と戻ってこないで!もう二度と、もう二度と、もう二度と!」、嫌われ者のジャック、馬鹿にされるジャック、笑い者のジャック・・・残虐な殺人で長々と語ってきたジャックの芸術観を一蹴して馬鹿にするかのようなエンディング、哀れみや寂しさと滑稽さがこみ上げてきて謎の爽快感もあり。まさか、こんな気持ちでトリアー監督の映画を見終わるなんて思っていなかった。

 

この映画はトリアーの集大成的な作品であり、ジャックに今までの自分自身を重ねた自己弁護の作品ともなっている気がした。ジャックはコミュ障で強迫観念症で偏見ありの完璧主義、プライドの高いキレやすい人格ながら、どこかで捕まって救われたい願望があるが、これはトリアー監督自身に近いものがある。

常に賛否両論の衝撃的な作品を作り続け名声も得てきた、自分が芸術だと思うことを突き詰めて問題発言で映画界から追放もされた、それでも芸術活動を止めることが出来ない、救ってほしい自分がいる。今作で倫理を逸脱したジャック=自分を最後に「地獄落ち」させて、更にエンディング曲で「もう二度と戻ってくるな!くたばれジャック!」と落とし込む。

このように、いろいろあったけど全ては自分の信じる芸術活動のためだった、地獄に落ちて反省?しています、と自己批評しながらも・・一方で、結局はカンヌに復帰して歓迎され、倫理に反した内容でも絶賛する人たちも多いという偽善的な皮肉にもなっている・・

 

ラストカット、明暗を逆転させる、「闇」を「光」に変える写真のネガフィルム演出にはため息が出た、一番暗い部分が焼き付いて離れない。闇が無ければ光は成り立たないし、お互いが魅力を際立たせる・・倫理は芸術を殺さない、映画への希望が込められているのだろう。

 

※エンドロールの締めのコメント「この劇中で狩られたり傷つけられたりした動物はいません」って・・残ったものはスタッフで食べましたなど、うるさいコンプラ・クレーム対応へのアンチテーゼ・カウンターとして意図的に入れたのだろう。決してリアルに気を使って弁明説明用ではないはず。