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「COLD WAR あの歌、2つの心」 ★★★★☆ 4.7

ポーランド版「ララランド」「愛がなんだ」、芸術的な映像美とマッチした音楽の美しさにオヨヨ~♪、省略・引き算の美学ここに極まれり、これぞ映画、クラシック!  

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冷戦下のポーランドで恋に落ちたピアニストの男ヴィクトルと歌手志望の女ズーラの情熱的な大人のラブストーリー。全編モノクロのスタンダードサイズ画面で映し出される芸術的な映像美や、ポーランド民謡を含む様々な音楽やズーラの美声など、全てに圧倒的な美しさを堪能できる映画。

監督は前作「イーダ」でアカデミー外国語映画賞を受賞したパヴェウ・パヴリコフスキ(いまだに覚えらない)、今作もカンヌで監督賞受賞、再びアカデミー外国語映画賞だけでなく監督賞と撮影賞にもノミネートされたのも納得の本当に素晴らしい作品だった。

タイトルからは、時代や政治に翻弄され、引き裂かれる男女の逃避行的な悲恋ものかと思いきや、想像と違って、女の自由奔放さに男が振り回されるファムファタールもの(多少は政治的歴史背景を予習しておいた方が理解・余韻は深まる)。

1949年~1964年の怒涛の15年間を描いているにも関わらず、上映時間が88分しかないので一切無駄なシーンはなく、二人の心情を必要以上に語らず、ちょっとした表情や仕草、音楽によって見事に表現している。ワルシャワ、パリ、ベルリン等のシークエンスをぶつ切りで終わらせ、差し込まれる”間”によって描かれない数年の空白に何があったのか観客は様々な想像を巡らせながら、二人の全く読めない愛の終着を見守っていく。

 

「COLD WAR」というタイトルは、東西冷戦の影響もあるが、どちらかと言うと二人の恋愛戦争(男女の考え方のすれ違いが織りなす冷たさ)を象徴しているものかと思われる。ズーラをアイコンとして計算高く利用したいヴィクトルと、ヴィクトルを使って自由な世界に羽ばたきたいズーラ、最初のお互いの思惑を超えて、既存の価値観にとらわれない情熱的な愛は、共産主義や冷戦構造なんぞ軽く凌駕してしまう。

お互い愛し合っているが一緒には居られない、その都度社会体制から制約は受けるが、一緒に居続けると情熱が燃え尽きてしまう。相手に男ができても女ができても結婚しても関係なく、出会いと別れを繰り返すたび冷静と情熱の間にハマった愛が深くなっていく。

ズーラは抑圧的な中でも自由に歌い踊る、その歌声は儚げでありつつも何処までも力強い、その直情的で自由奔放な大胆さと魔性に、ヴィクトルだけでなく見ている観客も取り込まれていく。

一方的に決めてパリに連れて行こうとするヴィクトルに、「自分のものになったと思わないで、つまんないわ!」「もっと命がけで私を愛してよ!」と、湖に飛び込んで流されながら歌うところは圧巻、愛というのは常に命を燃やし続けていないと冷たくなってしまうのか。

ズーラが大事にしているのは、社会や政治、モノやお金など関係なく、ただありのままの自分だけを見つめて愛をくれればいい、離れていても永遠に愛し続けること。ヴィクトルが大事にしているのは、二人の関係性が上手くいくように、自由を求め愛を実現するために西へ逃亡するなど二人が一番輝ける環境を整えること。どちらもお互いを思いながらも、直観的な女と論理的な男との違いなのか、どうしてもすれ違ってしまうのが歯がゆくも共感もできる。

 

そして年月は過ぎ、場所は移ろい、互いを取り巻く状況が変わりゆく中でも、楽曲「2つの心」が二人を分かち難くつなぎ止める。「心よ あなたは安らぐことを知らない♪」と歌われるように、静かながらもその底には絶えず激情が走っていて、楽曲自体も時代や場所により様々に変奏されていく。

この楽曲やズーラ自身は、社会や政治には屈しない愛や芸術への情熱であり、周辺列強国に振り回されてきたポーランドの歴史や民族的な心のルーツの象徴であり、外面は変わっても根本は変わらない「魂」の強さが最後まで心に響いてきた。。

 

 

【演出】

ベタに描けば気恥ずかしくなるような腐れ縁のメロドラマを、これだけの芸術作品に仕上げたパヴリコフスキ監督の力量には驚嘆させられる。

普通は3時間かけそうな長い話をあり得ないほど大幅にカットして90分以内に納める潔さと決断が見事で、説明らしさが全くないので、理屈ではない二人のやり取りがより際立っていて成功している(まるで二人が離れている間の想い出など存在しないかのように)。前作イーダでも顕著だった「余白」と「省略」を効果的に使った編集も見事。映画は何を見せるかも大事だが、何を見せないかも重要だなと改めて思わされた。

とにかく極限まで削られた脚本と、映像と音楽のマッチは凄い、まさに「これぞ映画」を見たという満足感が半端ない。

前作「イーダ」に続き、モノクロームの濃淡が映し出す奥行きと光と影のコントラスト、「神の視点」と言われる所以を指し示すような溜息出るほど完璧な構図、アレクサンダー・ペイン監督の「まばたきするのも惜しくなる」とのコメントも納得。

スタンダードサイズで切り取られる画角だからこそ効果的な、上半分開けて画面下部に人物を配置するフィックスのショット、そして人物を寄りで映すことにより、冷戦下の社会状況や二人の愛の世界の息苦しさ・圧迫感を感じさせている。一方で自然を背景にした引きの画では、雄大で荒涼としたポーランドの自然美を絵画的に映し出している。動きの少ない緻密で計算し尽くされたカメラワークも印象的で、たまにゆっくりとパンするところも息を飲む。

 

監督をして「第3の主人公」と言わしめた音楽は、時代の流行りや国・場所によって民謡からジャズにロックにマンボと、ジャンルを問わずに変わっていくが、どれもが本当に素晴らしい。

特にアレンジを変えて何度も歌われるテーマ曲「二つの心」の「オヨヨ~♪」のフレーズは、民族歌謡、ジャズ、シャンソンと変化しつつも、しっとり感と切なさ・やるせなさが、いつまでも耳に残って離れない(フランス語ではoh la la、英語ではOops、おやまぁ、おっとという意味)。

演出的にも非常に効果的に使われていて、その時々の二人が置かれている社会的、政治的な状況を反映したアレンジで、対訳の解釈を含め自由を求めるズーラと、形にこだわるヴィクトルなどを見事に表現している。

国内では演目も、スターリンレーニンを讃える共産主義プロパガンダ的なものになり・・西側世界では、自由や資本主義の象徴のジャズになり、パリでの演奏シーン(アンニュイな美しさの極地)では、音楽にも幅が広がり深みも増し、容姿も妖艶に変わっていくズーラの変幻ぶりが魅力的だった。

冒頭で、ヴィクトールは農村地帯を回って歌を録音していたが、民族音楽マズルカ」(ポーランドの民族舞踊や舞曲)への愛情はこの映画の根底に流れるテーマとなっていて、最後にたどり着き戻ってくるのは原点なのか(ラストも教会に戻った・・音楽はもう無かったが)。ポーランド版での悲しみのスキャットから、パリ版ではアイドルシャンソンの小洒落たウィスパーに変わり、ズーラは失われたものの大きさからかレコードを投げ捨てたように・・ズーラが帰国を決意したのは、民族音楽へのこだわりを捨てきれなかった部分も大きいのかもしれない。

 

エンドロールで「両親に捧げる」と出てくるように、ズーラとヴィクトルは監督の両親の実名で、両方とも他の人と勝手にくっついたり離れたりしながらも、最終的に二人は何度も愛し合い続けてきたという実話がベースとなっている・・前作「イーダ」も監督のおばあちゃんの話だし、すごい家族だ・・次回作は誰の実話になるのか?

 

似たような作品としては、厳しい社会情勢の中で伝統舞踊や音楽を入れて描いた「芳華-Youth-」を思い浮かべたが、やはり同じアカデミー賞受賞作の「ROMA/ローマ」と比較せざるを得ない。「ROMA」も、圧倒的なモノクロ映像美でアルフォンソ・キュアロン監督の幼少期の家政婦を描いた実話であり、今作と国や年代は違えど政治的混乱による激動の時代を静かに抑制を利かせながら情熱的に描いていた。

改めてつくづく、この傑作「ROMA」と今作「COLD WAR」と同じ時代になってしまった「万引き家族」は運が悪かったとしか思えない。。

日本だと、戦後の腐れ縁に囚われた男女の破滅的な恋を描いた作品としては、成瀬巳喜男の大傑作「浮雲」や「吉田喜重の「秋津温泉」を思い浮かべた(「浮雲」は影響を与えていそうな感じ)。

  

【役者】

何よりも、ズーラを演じたヨアンナ・クーリグの存在感が圧倒的。前作「イーダ」での歌手の役や同じポーランド映画の「夜明けの祈り」のシスター役も良かったが、今作の突き抜け方は凄い。演技ももちろん、歌も全部自分で歌っていて、大スターになる可能性を十分に感じられる。現在なんと36歳だが、純粋無垢な10代の少女から20代後半のカッコよさまでを見事に演じ分けている。

レア・セドゥにとてもよく似ていて、ジャンヌ・モローも彷彿とさせるが、スラブ系の美しさと冷徹さと意志の強さが感じられ、アンニュイで野性的な雰囲気を漂わせるファムファタール感もあり、今後の活躍が楽しみ。

ヴィクトルを演じるのはトマシュ・コット、長身ですらりとした体型と大人の渋さがスクリーンから漂ってきて、音楽を愛しながらも時代やイデオロギーの波に押しやられ、ズーラに振り回される芸術家の姿を感傷的な魅力で演じている。

 

※ここからネタばれ注意 

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【ラスト(ネタばれ)・考察】

ズーラを追って帰国するも祖国を裏切った罪(スパイ?)で15年の刑期となったヴィクトルを、ズーラは嫌いな奴と結婚(子供まで出来た)までして救い出す。そして肉体労働で手を痛めピアノを弾けなくなったヴィクトルと、酒に溺れ自国でも流行りの音楽が中心でマズルカも失ったズーラが全てを捨てて向かったのは、冒頭で歌を集めていた時の廃墟となってしまった田舎の教会。

そこで二人は結婚の誓いをたて、自分の体重に合ったクスリ(毒薬?睡眠薬?)を飲み、大草原のバス停のベンチに座り「あっちのほうが景色がきれいよ」と十字路を渡りフレームアウトし、つむじ風が麦の穂を撫でるように揺らして終わる。

 

このラストは様々な解釈ができるが、この一連の10分間の流れからのラストカットはこれ以上ないほど完璧な終わり方で本当に素晴らしい。

固定カメラで捉えた窮屈な画面から二人が消えて動きと音を失った風景・・そこにサァーッとそよぐ風の姿と音の余韻・・「世界の果てまで一緒よ」と誓った言葉と重なったこの映画的瞬間の美しさに震えが止まらなかった。。これぞ映画!クラシック!!

何もかもを捨てて本当の自由になった二人だが、こちら側の世界にはもう居場所は見つけられないのか、境界線を飛び越えたあっち側(彼岸)に永遠の二人だけの世界への旅立ち。二人をつなげた音楽が鳴り止んで、最後にいきついて残ったのは自然の音・・

二人は自由な風となって、流れるように流されるように、穏やかなそよ風のように激しい嵐のように、新たな世界に音楽(音)をこれからも鳴らし続けていくのだろうか・・

 

そして、エンドロールで流れるバッハの「ゴールドベルク変奏曲」、グレン・グールドの鼻歌も聴こえてきて、全ての魂が鎮められるかのように最後まで続く深い余韻が素晴らしい。。