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「凪待ち」 ★★★★ 4.4

◆クズの郁男と香取慎吾と被災地のトリプルミーニング、新しい地図の上で「凪待ち」からの再スタート、ゲロるとミステリーではないので注意を・・

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東日本大震災の傷跡が残る石巻を舞台に、ギャンブル依存症で人生のどん底にいるクズの郁男が、喪失感にのたうち回りながら人生を変えようともがく様を描いた作品。白石和彌監督の見事な脚本・演出のもと、主演の香取慎吾が今までのイメージを覆す見事なクズを演じ切っている。

内容は良い意味で予想を裏切り、冒頭からひたすら息苦しく重くヘビーな展開が続く、リストラ、ギャンブル依存、震災・津波の後遺症、病気、暴力、地方都市の閉鎖性、そして殺人・・どうしようもない、どこにも行けない、あまりにもクズな男のやるせない人間ドラマだった。

キャッチコピーの「誰が殺したのか?なぜ殺したのか?」でミステリーを期待すると拍子抜けするので注意。この物語において誰が殺したとか動機とかはあまり重要ではないのに、あえてこのコピーで誘導する意図が分からない、完全に逆効果になっていて宣伝のセンスを疑う。

 

ちょうど?元SMAP新しい地図)の3人へのテレビ出演に対する圧力というニュースもあり、白石作品なのに映画館内にはアイドル時代からのファンらしき大人の女性が多く見られたのが印象的。白石監督にしてはソフトな作風で良かったが、ここまで汚れ落ち切った慎吾ちゃんをどう思ったのか本音を聞きたくなった。

これを踏まえると、今作は「クズ男のわずかな再生への光」、「被災地のいまだ進まない復興」、「香取慎吾新しい地図での再出発」、という三つの再スタートを重ねられるトリプルミーニング的な映画とも言えるだろう。不条理の中で人生から逃げて落ちていくことしか出来ない彼らを、最終的に救ってくれたのは人の情け・人とのつながりだった・・今作をもとに新しい地図の上で「凪待ち」から船の舵をきっていくことになるだろう。

 

しかし、改めてギャンブル依存症は「依存症」で基本的に直らないことを実感できた。劇中で郁男は何度も人を裏切り、何度も観客を裏切るので、見ていて終始イライラが止まらず、なんでそっちに行くんだと心の中で怒り呆れるしかなく観るに耐えられないものだった。最初は心の隙間や居場所のなさを埋めるために、途中からは喪失感を埋めるために、さすがにこれ以上落ちないだろうと確信したところから更に3回くらい落ちて行くので、その強烈な衝動の前には理由やモラルなんて意味をなさないのだろう。現実にこういう人たちがいて、その家族や周りの人たちのことを思うと辛すぎる・・

本当に真摯に人が変わるということは簡単じゃないのも分かってる、ひたすら足掻いて暴れて自分が嫌になって、それでも何とか息をするのは止めないで。どんなにクズだとしても、それでも愛してくれる人がいる限りは生きていくしかない、少しでも希望がある限り、どんなにもがいても諦めてはならない。世の情けがある限り、周りの人間に恵まれたり、誰かが手を差し伸べてくれる・・そんなチャンスをいかに掴むか、逃さずにいられるか、その準備が出来ているか、周りがフォローしてくれるかが全てなのだろう。

 

【演出】

白石監督らしく、不穏な空気感の中、少しの会話から背景や人物像が徐々に明確に解っていき(引っ越し中にモンハンする二人など)、後半の要所で出される一言一言の重さを感じさせる脚本・構成は見事。映像と共に視界が歪みじわじわ首に手をかけられているような感覚、現実と映像が地続きに感じるこの感覚。見ていて疲れるけど、弱くて醜くて救いがたい人間の有様をリアルに描きつつ、その奥底では人間愛が支えていると信じられる安心感もあり。

カメラは、ユニークで斬新なアングルと人物寄りのカットの多用による緊張感、手持ちカメラの不安定感で、作品全体を暗く沈んだイメージに仕上げていた。特に、ギャンブル依存の描写が上手い、文字通りギャンブルにのめり傾くとカメラの水平も傾いてくカメラワークの気持ち悪さ、3回目の画面傾きの場面は心底ゾッとして画面を乗り超えて止めに入りたくなったくらい。

石巻の景色がそのまま映し出された映像は、震災で荒廃した場所に漂う寂寥感や消えることのない傷跡と、さびれた田舎町に暮らすことの閉塞感がリアルに表現されていて、こちらも息苦しかった。

 

作品の流れとしてはラストを含め、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を思い浮かべる人が多いかもしれない。主人公の罪の重さは違うが、喪失感から逃れようとしても簡単には逃れられず、その感情を受け入れて一緒に生きていくこと・・。

脚本は加藤正人で、過去作「彼女の人生は間違いじゃない」も主人公のささやかな復活を災地の復興への願いと重ねて描いていた。しかし、白石組(常連の役者陣含め)の精力的な映画制作力は凄い、次作は2019.11.8公開の「ひとよ」で佐藤健鈴木亮平松岡茉優が3兄妹を演じる家族ドラマとのことで、これは間違いなく当たりだろうから楽しみだ。白石監督は多作だけど、合間合間でやりたい放題作をぶっこむので「サニー/32」「麻雀放浪記」など(苦笑)。。

 

【役者】

香取慎吾(郁男):ジャニーズ時代なら絶対にやらなかったであろう、稲垣吾郎の「半世界」に続き、新しい地図でのイメージ一新も含めた挑戦、まあ今までが両津勘吉孫悟空ハットリくん慎吾ママだっただけに(三谷幸喜作品もあるけど)、ようやく役者としての代表作が出来て良かった。

その大きな体・背中から漂う色気と哀愁、やさぐれたどうしようもない男の負のオーラをまといながら、己の弱さとの闘いに必死にもがき葛藤する姿が胸に迫る。怒鳴ったり感情を露わにするシーンなどは、無精ひげを生やしてるとは言え元のベビーフェイスから、やはりどこか優しさを感じるし、元の声がどうしても幼いトーンに聞こえてしまうのが難点か、ところどころで「慎吾ちゃん」が見え隠れして、完全に憔悴・絶望の境地までには至らず。

それでも、これだけクズ男なのに、どこか放っておけない・許してしまえるのは、本人の持つ”人懐っこさ”や"末っ子感"といったイメージが上手く作用しているので、上手い起用だったと思う。今作は今までとのGAPインパクトが通用したが、次回からが本当の勝負となるはずなので役柄含めて楽しみだ。

リリー・フランキー(小野寺):この役柄で出ている時点で匂わせてしまうのが、出演が多過ぎてそろそろ辛いところだが、それにしても上手い。

・吉澤健(義父の勝美):トラウマを抱えた漁師役がハマっていて、他人である郁男をここまでして助ける理由、こういう風にしか生きられない男の悲哀を見事に体現していた。

西田尚美(殺された彼女の亜弓):今年はどれだけ引っ張りだこなのか・・新聞記者でも見たばかり、幸薄な妻・母親役がもはや完全に板に付いていて、今作は女の部分もうまく出していた。

・常松祐里(亜弓の娘):「散歩する侵略者」での好演も思い出されるが、家族や震災、社会からの理不尽を一身に受ける女子高生を多感な感情の揺れ幅で演じていた。ただ少し郁男に懐き過ぎて血がつながってないだけに性的な意味合いも少し感じた。

・あとは黒田大輔音尾琢真宮崎吐夢あたりの安定感というか、白石監督の期待に応える感じはさすがに凄い。とにかく、見た誰もが今年のベストシーンの一つに挙げるであろう黒田大輔の「究極のゲロシーン」は秀逸、まき散らし逃亡ゲロ、ローリングサンダーゲロ、土下座ゲロ、まき散らし逃亡ゲロ、食べた直後(それも家系ラーメン?)のダッシュはやはりそうなるのか・・

 

※ここからネタばれ注意 

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【ラスト(ネタばれ)・考察】

妻を殺した犯人は、あれだけ優しく助けてくれた小野寺だった(まあ、リリーだし最初から怪しいし予想通りだわな)。最初から善意丸出しの違和感、彼の善意は全て妻・亜弓に対する執着心とも言うべき歪んだ愛情を媒介していた。亜弓の美容室に胡蝶蘭を持ち込んでくるところ、郁男と亜弓がいい雰囲気になった後の冷凍庫、フォークリフト、そして溶ける・崩れる氷の冷たさや怖さなど細かなイメージの積み重ねがあった。

人からの善意を裏切り続けた郁男が、見捨てずに救いの手を差し伸べてくれた・最も信頼していた人間が犯人だったのは、自分への報いでもあり何とも皮肉的だった。

そして、ギャンブルの借金返済で義父が船を売って作った300万を返したと思いきや・・取り戻すためにその金を使って更にギャンブル(ここはさすがにビックリおいおい)、11レース3-6で見事に勝つも、確証券を食べられてしまう。がなんだかんだあって、最後は義父が昔助けたヤクザの親分に乗り込み全て解決。まあドラマとは言えこの辺りはさすがにあり得ない出来過ぎ展開なのだが、今までの積み重ねで押し切られてしまう。

 

ラストカットは、買い戻した船に3人が新たな家族として乗り込み沖に出ていく(完全に「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のラストと重なるが)・・まさに「凪待ち」。荒波が静まるのをただ待つのでも逃げるのでもなく、波のない場所に自ら向かうことが大事なのだ。

ちなみに、ノベライズ本の最後の1行は「まだ、海は荒れていた」とあり、再生への希望とも再度転落への暗示とも、どちらとも感じさせるイメージで、決して安定した平和が訪れたわけではないのだろう。ただ、今までの同調していない三者三様のピントのズレた映像が、ラストシーンでは3人にピントが揃うこともあり、家族3人一体となって乗り越えていけるはず。

 

この物語の背景にあるのは東日本大震災であり、町や住民に残った深い傷跡がいまだに癒えてないことがさりげなく描かれている。その大きな象徴として登場する義父・勝美は、最後まで郁男を見捨てずに助ける。どうしようもない前科者だった自分を変えて支えてくれた妻を天災で亡くし、娘を人災で亡くし、とてつもない絶望を背負いながら、自分と同じように壊れていく郁男を放ってはおけないのだ。郁男の再生の実現=どんなに悲惨な状況でも人生はやり直せると証明することが、自分の再生にも被災地の再生にもつながるのだ。

津波によって新しい海になった」というセリフが深く響く、「津波によって絶望的な状況になった」のは確かだが、被災地を襲った大波は、いずれ新しい生命、希望をもたらしてくれるのも確かであろう。エンドロールでは、カメラが船の下に潜り水中撮影シーンとなり、海底には津波で失ったモノたち、過去の人生たちが沈んでいる、その上を新しい人生を始める人たちが通り過ぎ、かすかに光が射していく・・ 

さあ、船をこぎ出そう!