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年間500本以上観る会社員のありのままのレビュー

「殺さない彼と死なない彼女」 ★★★★☆ 4.5

 

◆青春の光と影と死「未来の話をしよう」好きなものは好きと言える素直さと伝えたい時に伝えられることの奇跡、見終えたあと改めてタイトルの意味に涙する哲学的な映画

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原作は世紀末(まさかの「北斗の拳」“世紀末覇者拳王”ラオウがネタという)の人気4コマ漫画で、ラフなスケッチで人間の本質を哲学的に炙り出す不思議な世界観が素晴らしい作品。殺すぞや死にたいが口癖の二人・幼なじみの女の子二人・一方的に告白する女の子と受け流す男の子の3組の友情や恋愛を描くオムニバス形式。

それを大好きな「ももいろそらを」「ぼんとリンちゃん」の小林啓一監督が映画化ということで期待していたが、見事に原作の持つ独特のリズム、空気感を完璧に映画として再現していて不意打ちを喰らわされた。ただのメンヘラ映画でもお涙頂戴映画でもなく、笑って泣いて純粋な気持ちになりながら生きる意味を深く考えさせられるキラキラ映画の皮を被った哲学的メッセージ映画だった。

 

日常会話ではあり得ない言葉と不自然なセリフ回しが完全にマンガのままで、自然光メインのどこかファンタジーな雰囲気で淡々と進んでいくので、最初は苦手な人も多いだろうが必ず最後まで観るべき。3つの群像劇をリンクさせる構成(原作は3つが独立)や後半の展開と細やかな伏線回収の素晴らしさ、原作キャラを違和感なく実写に落とし込んだ配役とそれに応えた演技も見事。

個性豊かで不器用なキャラに寄り添い一人ひとり感情をこめて丁寧に描いており、きゃぴ子や地味子という記号的な名前のままこのぶっ飛んだキャラだからこそ誰かしら共感できる部分もあり客観的に自分を投影できるのだろう。SNS全盛で人とのコミュニケーションの形が変わりつつある現代の若者たち、感情を表出するのは不器用だが内に秘めた想いがあるからこそ思わず感情が出てしまう時にグッと心を動かされる。

 

キラキラしながら淡く儚く痛くもある10代の全て、狭い世界と少ない人生経験の中で死という選択肢は隣り合わせなのか? リアルには見えないのにやけにリアルな言葉や描写にハッとしたり、観終えてタイトルの意味を改めて知った瞬間に鳥肌が立ち泣いてしまう。誰か1人でも自分の存在を認めてくれる人がいれば人は生きていけるし、知らないうちに誰かを救っているかもしれない、日常とは当たり前のものではなく実は奇跡なんだと再認識させてくれて優しい気持ちに包み込まれる。

マンガ再現の喋り方やセリフ回し、ぶっ飛んだキャラ、現代の10代のリアルなど「ホットギミック ガールミーツボーイ」に相通ずるものもあり、スピード感や編集は違うけど新しい潮流や表現は感じる。ネットでの口コミや評論家の評価は高いのに、キラキラ映画と思わせるような宣伝の仕方が悪いのか、「君の膵臓を食べたい」があれだけヒットするなら今作ももっとヒットして観られるべき、生きづらさを抱えている全ての人たちに是非!

 

※ここからネタバレ注意 

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【(ネタバレ)演出・コメント】

露光トバし気味のソフトフォーカスの淡い画がひたすら続く、照明が無くほぼ自然光だけで撮っているカメラは日常に溶け込み、とても心地よく夢の中にいるかのよう。ほぼ全編手持ちで長回しのカメラワーク(手ブレ酔い注意)は、止まっていてもわざとカメラが揺れてたり、特に廊下や道を並んで歩いているところを前から長回しで追うシーンが多く印象に残った。シークエンスがぶつ切りとなる‪暗転の多用は、4コマ漫画原作の性質に合わせているのだろうが、手持ちカメラの長回しに臨場感があった分、少し物語への集中が途切れてしまう人もいるかもしれない。

後半の怒涛の伏線回収も細かく説明しないでさり気なく映し込むのがまた粋な演出、新しく出来たクレープ屋さんの2周年記念表示や、彼女鹿野のプレゼントに買った猫のキーホルダーのお店での扱いなどで時系列の違いが分かる人には分かる。並木道でランニングする部活集団で1人だけ遅れて走る子を彼小坂が視線で追いかけるシーンは、彼の置いていかれている状況への焦りや後で分かる彼の部活でのケガの件をさりげなく示唆していたり。

セリフやキャラ造形などはデフォルメされた芝居的なものだが、それに冷めるわけでもなく不思議とその言葉や表情には血が通っているように感じ、言葉や表情のひとつひとつが真っ直ぐ胸に届いてくる(美男美女だらけの顔面偏差値と表情力にも画が映える)。3組ともそれぞれお互い相手の心情や願望を映す合わせ鏡のような存在として機能しているところも良かった。

4コマ漫画原作らしくところどころテンポの良いギャグで、重くなりそうな話題を面白さで包みながらメッセージを伝えるのが上手い。頻繁に交わされる「死ぬ」「殺すぞ」「可愛い」「大好き」は、「だるい」「うざい」などと同じくSNS時代のイマドキのゆるい関係性の常套句、極端に記号化した言葉でのコミュニケーションと同じようなものであり、「人生」や「命」にどこか重みがなくなってきている現代の空気感を上手く投影しているかのよう。

舞台は「ららぽーと柏の葉」が多く出てくるが、バイトも遊びもデートもここ、10代の狭い世界が表されているのか。

音楽の奥華子もさすが、暖かさや優しさを感じさせながらシーンに合わせたピアノの音色は感情移入を高める。主題歌の「はなびら」は歌詞を聞いていると非常に作品をしっかりと読み込んだ上で作られた楽曲だと分かる(「時をかける少女」の「ガーネット」も良かった)。

 

【(ネタバレ)各パート内容・コメント】

◎「自分大好きで誰からも愛されたいきゃぴ子と、何があっても近くで支え続ける地味子」

幼馴染の仲良しさが伝わってきて、いつも側にいるからこそ分かるお互いのことが良く表れていた。女の友情は男の友情より温度感低いし男絡みなど脆いという固定観念もあるけど、この二人の友情・人としての本当の信頼関係の揺るぎなさは羨ましいくらい。

きゃぴ子は1番欲しかった母親の愛情が得られなかったが故に異常なまでの承認欲求があり、本当は「ただ1人大切な人から愛されたい」と思っているが諦めていて本心を隠すため「全人類から愛されたい」と逃げているのだろう。好きだけどフラれたくないから先にフッてしまう、都合の良い女になっているのも分かっているのに辞められない辛さ「1人は我慢できるけど孤独は耐えられない」という切なさが響く。

一方の地味子は、生まれ変わったらきゃぴ子のようになりたいと願うなど愛される彼女に憧れていて、本当に性格が良すぎてこんな子が側にいたら最高だなあと思わせる。ラストの悪口をはっきりと否定することで、どんなことがあっても裏切らずに自分にとって一番大切な人だと気付かせてくれる、そんな人に出会えることの幸せを感じさせてくれた。個人的にはもう一展開あればなお良かったかな。

体育倉庫でのラピュタ味あふれるシーン(ドーラのモノマネには萌え死)や「女の子は遠目にはみんなかわいい」「あなた以外の誰かと幸せになるくらいなら、あなたのそばで不幸になりたい」などのセリフも印象的。

虹色デイズ」でも組んでいた二人、堀田真由(きゃぴ子)は説得力を持たせるのに難しい役どころだが、圧倒的な可愛さと芯の強さと奥に潜む切なさを見事に表現していた(誰もが田中みな実を思い浮かべただろう笑)。垣松佑里(地味子)は絶対に地味ではなくキレイだけどさすがの安定感、今年も「凪待ち」や「アイネクライネナハトムジーク」などに出演し着々とステップアップしているので今後が楽しみ。

 

◎「ひたすら好きという気持ちを伝え続ける撫子(原作は君が代)と、過去に囚われその気持ちをかわし続ける八千代」

おそらくこのパートが好きな人が多いだろう、とにかく撫子のピュアさ・まっすぐさと古風な女の子言葉「かしら」「だわ」の余りの可愛さに好きにならない男は誰もいないはず。特に告白11連発をきちんと画で魅せてくれるシーンは、あえて八千代を外してスクリーンの観客に向かって様々な「好き」を体感させられ誰もがノックアウトされるに違いない・・好きなものを好きと伝えることの素晴らしさに泣けてくる。

「私が好きって伝えているだけなんだから、あなたは『うん』とだけ答えてくれたらいいのよ」と言っておきながら、「僕も好きだ」と言ってくれる八千代の夢を見て泣いてしまうところはいじらしい(結ばれたらこの関係性は壊れてしまうのではと思いつつ)。八千代も後から考えると常に冷静である事(冷めている事)が彼にとっての大人像を必死に演じていたと思うと切ない。

映画館のシーンで「ももいろそらを」が流れていたのも良かったし、その帰りあのまっすぐ長い道を2人は手を繋いで歩いてきたと思うと愛しくなるのも堪らない。ラストで、いつ伝えられなくなるか分からないということ、を経験者である彼女鹿野から教えてもらったからこそ毎日のように想いを伝えていたことを思い返すと改めて泣けてくる。

箭内夢菜(撫子)はストーカー並みの行為を好意的に嫌味なく受け入れさせる透明感・乙女観が見事、あれだけのパターンの「好き」を全て違った表情で全て気持ちがこもって魅せるところや、最後には八千代を丸ごと包み込むような母性すら感じるところは凄い。ゆうたろう(八千代)もクールに突き放しながら寂しさや儚さを隠し母性本能をくすぐらせる感じが上手かった(千葉雄大っぽい可愛さもあり)。

 

◎「「殺す」が口癖の全てを諦めている彼・小坂れいと、「死にたい」が口癖の感受性豊かな彼女・鹿野なな」※ころさないかれ=こさかれい、しなないかのじょ=しかのなな

彼女は感受性が豊かで小さな事柄にも敏感に反応してしまうからこそ感情の起伏が激しく辛い気持ちになるが、蜂の死骸や3秒間に一人死んでいる話など誰よりも命を尊んでいる。リストカットは生きるための行為であり心の痛みを体の痛みに置き換えている(血を見て安心する)、「死にたい」という言葉の後には「だけど、生きたい」という言葉が隠されているのだろう。

彼が肉まんやアイスを食べさせることで「食べることは生きること」と直結した行為として生を意識するようになっていく、そして「来年の夏にまた花火をしよう」「同じ大学に進学する」など未来を見せること・夢見ることで「明日」という言葉を使うようになる。未来のその場所に ”ともにいる” ことが、死にたくなるような「いま」を輝かせてくれる希望となるのだ。「殺す」と言っていた彼、「死にたい」と言っていた彼女、その言葉がある瞬間から「好きだ」のニュアンスになるのが愛おしい。独特の根暗的ギャグセンスも楽しく、特にイカ焼きのくだりとか最高だし、ほっぺにキスする時に「今起きたら殺す」と言ったり、大学に行くという彼に彼女が泣きながら柵を乗り越えるところなど切ないのに笑ってしまう。

後半、それまで漂っていた死の匂いから何となく予想されていた彼の死、並行してチラつかされていたサイコキラーに突然殺されてしまう呆気なさ(この死んでいくシーンの細かい演出も見事)、日常はこうも理不尽に簡単に突然奪われるものだということ(キミスイと同じ)。唯一の救いであった彼の死で、また元に戻ることなく前を見続けていられたのは、死んでもなお彼の存在と言葉があったから、夢でも自分の勝手な妄想でもいい、今の未来を信じることが出来るようになったのだ。お互いに最後には好きと言う言葉を口にするけど直接伝えられなかったのがまた泣ける。

夢に出てきた彼に「ゆっくりしてってよ」と言うシーン、彼の家に行って彼の母(森口瑤子の変わらぬ美しさは凄い)がいない彼を呼ぶところや、彼の部屋で見つけた糸電話とプレゼントと服を抱きしめながら泣き崩れるシーンはやはり泣いてしまう。教室で休みの間のノートを貸してくれる彼女も良かった。あと、葬式でよく言われる「眠っているみたいね」には形式的な謳い文句として空虚で無意味に聞こえていたので、彼女の「そんなに言うなら目を覚まさせてみろよ!」には同意。

間宮祥太朗(小坂れい)は相変わらず高校生には見えないが(どんだけ留年してるのか笑)、絵になるカッコよさとまつ毛の長さと声に男でも惚れる、「今日は分け目が逆だろ」は男の自分でもすぐ分かったくらい。「ホットギミック」と言い青春映画の傑作に連続で出演しているのも凄い。

桜井日奈子(鹿野なな)は、もちろん可愛いけれど(キョトンと上目遣いが好き)、今までの少女漫画系よりも、こういう地味で暗い不機嫌な仏頂面の方が似合っているのでは(ドラマ「ヤヌスの鏡」も頑張っていた)。長回しのロングカットでの泣くシーンも感情が溢れ出るまでを見事に演じ切っていて見直した。

 

【(ネタバレ)ラスト・コメント】

改めて全てを見た後でタイトルの意味を知ると泣けてくる、なぜ彼女は死なないのか、彼は彼女をどうやって殺さないようにするのか?

各パートの関わりは地味子の弟が八千代というくらいだったのが、最後の方で葬式でのきゃぴ子と地味子の反応と、大学生となった彼女ななが桜並木の道端でリストカットしようとした撫子と出会い話を聞くところでつながる。ラストで全てのパートがつながって一つのセリフ「未来の話をしよう」に集約していく構成が見事としか言いようがなく、リアルな日常を描いてきた物語が改めて線でつながって、違う一本の物語と感動が生まれてくるカタルシスがたまらない。彼の死は無駄ではなく想いはつながっていくのだ・・彼から彼女に、彼女から撫子に、撫子から八千代にと受け継がれていく。

きゃぴ子は大学生にフラれ、八千代は逆に好きだと告白し、彼女鹿野は死にたいが好きに変わる・・それぞれが囚われていたアイデンティティが崩壊しても、自分の価値や存在を丸ごと認めてくれる人がいることで前に進んでいける。みんな一生懸命に生きているが誰もが上手く生きているわけではない、ついついネガティブになって悪いことを思ってしまい回避しようと必死にもがいている。他人とのコミュニケーションは面倒くさくてもきちんと言葉にしないと伝わらないし、それが本当の本質かも分からない、伝えたいことは伝えるべきだし、いつそれができなくなるか分からないのだ。

先を恐れる必要はない、好きな人と映画を観たり、アイスを選んだり、クレープを食べたり、テレビゲームをしたり瞬間瞬間の積み重ね・・今と言うこの瞬間の「好き」を抱きしめながら生きることの素晴らしさ! 楽しい時は笑って、嬉しい時は喜んで、悲しい時は泣いて、寂しい時は落ち込んで、そして好きな人には好きと伝える・・素直に感情を表現できる素晴らしさ! ちゃんと自分と向き合ってくれて心から信頼できる人を得られる人生の素晴らしさ!

 

「未来の話をしよう」、今を基準に数分前は過去のことで一秒先は未来とも言える、未来は見えないから常に今と向き合うことが大事であり、このセリフが言えるということは自分とも相手とも向き合っているということ。人の気持ちがそれぞれ違っていて分からないのは当たり前で、不器用でもいいから真剣に相手を分かろうと思うこと・努力すること。人生は劇的な出来事ばかりではなくて普通の日々の小さな積み重ねであり、生きていく意味が分からなくても、まだ名も知らない誰かとの出会いをきっかけに自分の世界は変わりうるということ。

誰かと出会って話をして自分の価値を存在を認めてもらう・未来を語り合うことで、誰かのどこかで世界は変わり続けている・・たった一人でもいい、そんな誰かの未来を世界を変えられる存在になりたい、冒頭に出てくる言葉「すべての眠れぬ夜に捧ぐ」そんな不安で寂しい夜を過ごす人たちに寄り添いたい、そう思わせる素晴らしい作品だった。。